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小説:出づるも アダウチ

※ホラー小説です
※猫が理不尽な目にあっています

 猫は賢い。
 誰に何をされたかをちゃんと知っている。
 例えば、二丁目のサガワは「邪魔だ」と吠えて、石を投げた。
 例えば、一丁目のイシカワは三味線のために猫をとっ捕まえて殺すだけでなく、そのやわい皮を剥いだ。
 猫はそれらを見、「やれ、こいつは危険だ」とか「いつか復讐のために赤子をなぶり殺そう」などと算段する。
 猫らが空地で集うそれを「猫集会」とも言うではないか。

 小鳥遊は、先生サマから原稿に赤を貰うだけではなく散々貶されていた。今日も今日とて目を合わせることも出来ず、惨めに畳を睨むばかりで何も答えられないでいる。
「気分転換に一つ、どうだね」
 と、小鳥遊たかなしの先生という者は、自身の顎を撫でながら言う。
「小出町の石崎の家に妙な噂が流れていてね。いや。噂、と言うか、本人がすっかり参っているんだ。キミ、少し様子見しに行っておいでよ」
「……えぇと、それは病人でしょうか? 僕は、お分かりの通り学がありませんで……」
「いや、なんとも言えんのさ。病というには、なんとも言えない時代錯誤な話でね。「猫が憑いた」と言うのだよ」
「はあ……」
「キミ、そういうのが得意だろう? 少しばかり、見に行っておいでよ。気分転換の一つでもなりそうだから」
 小鳥遊が「はい」とも「いいえ」とも言えないうちに、先生は「それでは頼むよ」と話をくくった。
(信じられん。先生は、きっともう先方と話をしゆう)

 1

 五条邸。和室にて。
「「小鳥遊が行く。もうなんちゃーじゃ心配はいらん」きっと、先生はこううて、金を貰っちゅう」
 憤慨する小鳥遊の話を聞きながら、五条椿はせっせと小さなお守りを縫う。
 椿のお守りというのは、一部界隈に重宝されている。どんな危険なコトがあってもこのお守りが護ってくれる。そういった言葉が出るのは、けっして嘘では無い。
 椿の様子を見る限り、苦情というのはないようだ。故に信心深い小鳥遊もこういう奇妙な、とくに幽霊などが関わる場合、すぐさま新しい小鳥遊専用のお守りを作って貰っている。
「でも、小鳥遊様。憑き物と言うのは、代々土地に憑くと言うじゃありませんか。先祖であったり、その因果が土地に根づくと言いますし。私が言いたいのは――……」
「「前にもあったか?」と言いたいがやろ?」
「はい、その通りです」
「先生がなんちゃーじゃ言わなんき、わしは知らん。自分で調べると思っちゅうんだろ」
 不満たっぷりにそう言い、小鳥遊は足を組み直す。
「話はこうだ」

 夜な夜な、ナニカが戸を叩くのだ。
 戸を開くのが恐ろしくて目視はしていない。が、翌朝確認すると、音が聞こえる場所にはいくつかの猫の毛の塊と、目玉をくり抜かれた庭の鯉が転がっていた。
 だから直感的に猫が憑いたと思った。
 ようするに、相手は化け猫だ。
 その化け猫は、次男坊と三男にだけ用があるらしい。彼らの部屋の窓へわざわざ回り込むとを叩くのだ。
 家系を絶したいなら長男だ。だが、その長男は病弱で、いつも床に伏せていた。
 何度も空咳をしては。熱のせいで目に涙を浮かべ、ただただ天井を見る。祟り殺す必要も無いのだろう。
 次男と三男は、日を追うごとに弱り始め、しまいには長男と同じように寝て生活を送る様になった。日が昇っても部屋から出るのを強く嫌がるのだ。
 
「何人かの不良に見張りを頼んけんど、数人は逃げだし、一人は気が触れて、一人は喉元を噛まれて重症よ」
「噛み殺されかけた?」
 椿は驚いて縫う手を一度止め、小鳥遊を見た。
「あぁ。幸い生きてはいたが、結局は気が触れてどこに行ったかも分からん。ほがな場所にわしゃこれから行かにゃならん」

 2
 
 石崎邸。玄関前にて。
「書生のわしにほがな恐ろしいことを調べさせるかえ?」
「あなたの噂は、常々聞いております」
「噂?」
「化け物退治に秀い出てるとか……」
 てっきり書生としての噂かと思ったが、まるで望んでいない方でだと聞かされるとは思っていなかった。小鳥遊は誰から見ても分かる程落胆した。依頼主は、それを賛辞が足りなかったから落胆したと思ったらしい。しどろもどろで小鳥遊を褒め称える。
「もうえい。頼まれたからにゃやる。けんど、わしはわしのやり方でやる。文句があるなら他のヤツに頼め。それでえいな?」
 自棄になった小鳥遊に依頼人は何度も頭を下げた。
 そう、有り難がって何度も頭を下げたのだ。

「あんの狸ジジィ」

 夕暮れ。
 小鳥遊は、石崎邸の庭にて不満を爆発させている。
 依頼人はあれだけ頭を下げていたくせに、心の内では少しも小鳥遊を信用していなかったらしい。
 屈強な男二人が、門の前に立っているのが見える。依頼人と少し話をしてから、庭に来て、そしてようやく小鳥遊に気がついたらしい。
 彼らは小鳥遊の爪先から頭の天辺まで見たかと思うと豪快に笑った。
「危ないから、子と共に部屋にいろ」
「そうそう。便所まで護援にな」
 怒りのあまり小鳥遊は言葉も出なかった。それを言い返せないと勘違いした二人は、笑いながらも門へと向かった。おそらくそこで化け猫を迎撃するようだ。

「なアにが、部屋におればえいがじゃ」
 怒りの発散と言わんとばかりに小鳥遊は近くの木に頭突きを食らわせる。
 どたん。
 近くでそんな音が聞こえた。どうやら、誰かが軽んだらしい。小鳥遊が振り返ると、縁側にはやせっぽっちの少年が転倒している。
「おう。大丈夫ですかなんちゃーがやないなが?」
「あ……。すみません」
 小鳥遊が慌てて介抱する相手は、どうやらここの病弱な長男の和男らしい。
 日焼けをしていた次男、三男とは違い肌も、顔も雪の様に白く、体も棒のように細かった。
「便所にでも行きゆうか?」
「いえ。三毛に餌を」
 和男の手には、ニボシが二匹握られている。
「なんじゃ? 猫憑きで皆怖がっちゅうがやき、おんしは猫に餌をやるかえ?」
 その問いかけが、和男にとって非難に聞こえたのだろう。彼はキュッと身を縮こませた。
「三毛は良い母猫でして……。たぶん お産が近いんです。だから栄養をつけないと、と思って」
 小鳥遊はその言い分を聞きながら広い庭を見た。
 和男は小鳥遊が何も言わない様子を見、許されたと思ったらしい。
 どこか嬉しそうに頬を染めていて、少し興奮気味に話を続けた。
「私は、こうも体が弱いでしょう? だから、友達は三毛だけなんです。弟たちは悪戯好きなヤンチャ坊主でして。犬も猫も、私にも悪戯をするんです。三毛も弟たちに悪戯をされて、逃げた挙げ句に私の部屋に迷い込んできました。それから仲良くなったんです。
 私は三毛を弟たちから匿い、餌をやりました。三毛も私が病弱としってか知らずか、生きたトンボやモグラをとって見せてくれるんです」
 でも。と、和男は口を閉ざした。
「三毛は最近来なくなりました。腹が大きくなっていましたし、動くのが億劫なのかもしれません」
 悲しげな声に小鳥遊はおどけてみせた。
「子がいたら、ココに来れんがは当然やきのう」
「そうかもしれませんね。もしかしたら、もう子供を産んでいるのかもしれません。様子見でも出来たらいいんですが……」
「母猫ちいうがは、ほいたら時期は神経が尖っちゅう。下手に手を出したら、守るために子を噛み殺すかもしれん」
「守るためにですか?」
「人の手に渡るくらいなら……、という事だってあるき。犬にも、よお起きる」
「知りませんでした」
「本来は知らんでえい事ぜよ。次来る時は、子らぁ従えてくる。ほがな煮干しじゃー足りんな」
 それを聞いた和男は、嬉しそうに「そうですね」と何度も頷いた。
 洗濯物をこんでいた使用人は、その様子を怪訝そうに見つめていた。

 3

 夜。
 次男と三男の部屋。
「おまんらは、何をしたか覚えがありゆうか?」
 小鳥遊にそう問われた二人の子供は、首を振る。どちらも弱りきっており、今夜の襲撃を予想し怖がっている。だが、それ以上放そうとしない為、小鳥遊はさらに言葉を探す。
「悪戯したがやろ?」
「ちょっと追いかけ回しただけです」
「してません!」
 二人の声が重なる。二人は驚いて顔を見合わせた。
「だって、追いかけただけです」
「おまんらも一度大きな男に追いかけられるとえい。きっと、怖ろしゅうてかなわんやろうな」
「ちょっとからかっただけなのに!」
「そのちょっとがこの結果よ。他に何かしたか? なんでもえい。言え」
 二人は黙ってお互いをにらみ合っている。きっと話をしたら怒られると思っているのだろう。
「……言えん程のことをやったか?」
「わざとじゃない」
 二人は頑なにその言葉しか繰り返さない。けれど、度々お互いを見あっているので、隠していることは明白だ。
「わざとじゃない遊びは、他にどんなことをした? 猫を追い回すだけでは、つまらんろう?」
「大声を出したり、しましたけど」
「……隠したり、しました。でも、わざとじゃなかったんです。探せば、すぐ見つけられます」
「馬鹿! それは関係無いだろ!」
 次男が三男を殴った為、それ以上は泣き声が部屋に響くだけで会話にならなかった。
 
「全く、これだから……」
 小鳥遊はそう言い捨てて、部屋の前に座った。泣いて、喧嘩になり、両親が来て、それでおしまいだった。小鳥遊は「子供たちを守ればいいんだ。それ以上は詮索をするな」とその両親に吐き捨てるように言われ、部屋を追い出される形となった。この騒ぎを聞いた門番の二人はきっと嘲笑っているだろう。
「門から来るとは限らん」
 小鳥遊の前には、障子があり、もしバケネコが来たらその影で分かる。
(門に立つあの無礼な男二人がいるので、影を見て判断する必要もなさそうではあるが……)
 と、小鳥遊は思いながら、愛用の傘を撫でる。傘の中には、打ち刀が隠されている。家に代々伝わるなどという物ではなく、せめて護身用にと祖母からこっそり渡されたものだ。
「わしはそがに頼りないかよ」
 実際、頼りないのだ。子供のころ、姉たちに怖い話をされては大声で泣き、布団を濡らした。今もこうして金のために働いているが、すぐにでも逃げ出したい。
 物思いに耽るうち、少し、また少し、と虫の声が小さくなっていく。
 
「あああああああああああああああああああああああああああああ」
「ぎいいあああああああああああああ……っ! あああっ……! ――……っ!」
 悲鳴が二つ、あがった。
 おそらく門にいる男二人のものだ。
 小鳥遊は飛び上がり、傘を構えた。いつでも抜刀出来るよう、指に全神経を集中させる。
 恐怖で心臓がバクバクと脈打つ中、隣の部屋から和男がそっと襖を開けたので、小鳥遊は今度こそ悲鳴をあげた。
「小鳥遊さん。今の声……」
「バカ! どういて来たがよ!」
 和男の顔色が悪いのは、単に体調不良だけが原因だけでは無いだろう。
 その間も、外からは物音が続いている。
「えいか。絶対、動くな」
 声を殺して言う小鳥遊に、声すら出ない和男はただただ頷いた。

 かりかり

 不意に、障子の向こうで音がした。
 影は猫そのものだ。しかし、あまりにも大きい。
「憎い、憎いなあ」
 それは女にも思える声で言う。
「何が憎い。此処いらの子ぉにどういて祟る」
 小鳥遊は傘から刀を抜いて叫ぶように問う。
「許せんよぉ、許せんよお」
「何にじゃ」
「あっこの子供はよォ。オレの子を殺しよった。一度目は可愛い娘を川に投げて、二度目は体の弱い小さな息子を――……殺さんと気が済まん」
 小鳥遊は言葉を探した。
 そんな話、聞いていない。だからこそ、あの二人の子供は、話そうとしなかったのだろうか。
 驚きのあまり和男を見たが、彼もまた目を皿のように丸くして小鳥遊を見ている。二人には思い当たる猫がいる。否、それしか該当する存在は無い。

 ――このバケネコは、三毛か?

「許せるか? えぇ?」
「ここの子ぉら殺したら、気持ちは晴れるか?」
「知らん。知らんよ。だが、やってみなければ。憎くて、憎くて気ぃがおかしくなる。あそこあっこで笑うのも泣くのも親に縋るのも憎い。憎い。憎い。オレにはもうできんことだ。オレを斬るか? オレは知っているぞ。そこの傘に刀があるのを。ようく聞いとる。何故、斬らん? オレが怖いか?」
「わしは……頼まれたからには最善を尽くさにゃいかん。……けんど、子を殺されて憎いと思うのは当然よ」
「情けか? そこな高みで哀れと思うか?」
「違う。あの子ぉらは、わしに話をしなかった。わしは、これからアレらに半年毎日おまさんに酒と、油と魚を持って謝りを入れろという。一日でも欠かせば、おまさんの仲間に害を成せば、もう好きにすればえい。その時は、誰も邪魔せんようにする。払い屋も拝み屋も、わしが止めちゃる。それが報いちょいうことぜよ」
「オマエはどちらの味方だ?」
「どちらでもない。わしばわしが思うようにやる」
「後悔するぞ」
「最初から、ずっとそうじゃ」
「三毛!」
 黙っていた和男が声を張り上げた。
「私が、私が犠牲になればいい話じゃありませんか! 私はこうも体が弱いんです。私のせいで家族は無駄金を使っています。だから、私なんていなければ――……!」
「嗚呼、お前――……」
 障子向こうの声は震える。
「お前、お前がいたのか。お前に会わないようにしたのに。……お前、お前だけだよ。オレに優しくしてくれていたのは。だから、こうして夜にわざわざ来てるのに」
「私は――……!」
「よせ! やめんか!」
 和男は障子に手を触れた。小鳥遊が止めようとするも、病弱なはずの和男の体は、ピクリとも動かない。
「私には三毛しかいなかった。三毛しか優しくしてくれなかった」

 ――だから、かまわないんですよ!

 力一杯障子が開けられた。
 小鳥遊は反射的に刀を構えて走り出した。斬った感触はある。が、そこには何もない。あれだけ大きな体であったのに、一瞬のうちに移動してしまったらしい。
 和男は障子にもたれかかり、静かに涙を流した。
「バカが!」
 と、小鳥遊は和男の頭を叩いた。
「おまんが傷つかんようにしてきたあのネコの気持ちはどうするがよ!」
 和男は、ただただ声をあげて泣き、何度も激しく咳をした。水を持ってこようとする小鳥遊を止め、体を引きずるように自室へと戻っていき静かに襖を閉めた。
 騒ぎを聞きつけた家族たちは、すぐに次男と三男、そして小鳥遊の安否を確認した。小鳥遊が説明するよりも先に、彼らは逃げるように部屋の奥へと戻って行った。
 あまりにも早い行動に小鳥遊は何も言えず、ただ独り取り残された。

 4

 翌朝。
 二人の護衛は行方不明になった。ただ、ズタズタにされた片方の靴が見つかったのでおそらく無事では済まないのだろう。
 小鳥遊は二人の子供に拳骨を食らわせたあと、一生かけて酒と油と魚を備えるように伝えた。やつれた二人の子供は、自分のした罪を十分に理解しているかは分からない。
 小鳥遊の剣幕に押されて泣いているのか、それとも小鳥遊の叱責から助けてくれない両親に絶望して泣いているのか、連日寝られぬ恐怖故に泣いているのか、涙を流す要因はあまりにも多い。
小鳥遊たかなし様」
 二人の子供が支度をするため、両親に連れられてすぐ、不確かな足取りで和男がやって来た。
 昨日の出来事で高熱を出しているのだろう。顔はほんのり赤く、目は潤み、今にも倒れてしまいそうだ。
「小鳥遊様。来てください」
 空咳を何度もしながら彼が言う。小鳥遊は、少し躊躇ったが素直に彼について行くことにした。
 そこには、骨と皮ばかりになった雌猫が転がっていた。
 長い尾は2つに分かたれており、猫又であると二人は瞬時に理解した。
 昨晩、小鳥遊が斬ったであろう痕跡は周囲に散らばった毛くらいしか見当たらない。猫は苦悶とも、憤怒ともいえる表情のまま硬直している。
「お墓を作ってあげないと――……。あ、……」
 和男の体力は、ここで限界だったらしい。その場に崩れ落ちる和男を、小鳥遊は寸で抱える。和男の体の軽さに小鳥遊は驚いて彼を見た。病弱とはいえど、あまりに軽い。こんな体でよく昨晩、眠らず怒鳴る事が出来たのか。
「墓ぁ作っちゃる。金なんぞいらん。やき、おまんは休め」
「悪いですよ」
「わしがやりゆう」
「……でしたら、私の部屋から見えるようにしてください」
「おん」
 不思議そうにこちらを見つめてくる使用人を無視して、小鳥遊はよろける彼を部屋に戻す。
 餓死した猫を埋葬するのに時間はいらない。母がこうなっているのだ、腹の子は助かりようがない。慰める言葉も、咎める言葉も見つからず、ただただ静かに拝もうとし、――……。
「あのう」
 昨日、小鳥遊を訝しんでいた使用人が声をかけてきた。

 5

「ダメだ、まるで成ってない。あのね、小鳥遊君。現実はもっと厳しいんだ。推理をしたいならば、こんな空想が強いものでは話にならないよ。副業の件は、とても良い話を聞いているけれど、これとそれとはまた話は別だ」
「そん、な!」
 没と書かれた茶封筒が畳に放られる。小鳥遊はそれを大事に抱え、五条邸に向かった。
 
「本当にあった話の何がいけん」
「実際見ないと、人は信じないのでしょうね」
 小鳥遊の為に茶と菓子を出すよう使用人に指示をしながら五条椿は言う。
「もし、問題無ければ、その原稿を買い取らせて頂けませんか?」
「それは、わしに情けをかけちゅーのか? 例えお嬢さんでも許せんことだぞ」
 いいえ、と椿は首を振る。
「私の家に来る語り手は、毎日いる訳では無いのです。雨が降れば足は遠ざかり、来ても聞けるのは私がお守りを作ってる短い間だけ」
「結局は……」と、言って椿は寂しげに笑う。
「繋がりが欲しいのですよ。人と」
 その寂しそうな笑みに、小鳥遊はすっかり毒気を抜かれた。
「ほがにええやか?」
 脱力感を覚え、隠していた原稿をそろそろと出す。椿は嬉しそうに原稿を受け取ると、再度使用人を呼ぶ。
「買い物をしましたよ。小鳥遊さんの原稿です。お金をお渡しくださいね」
 はい、かしこまりました。と、使用人は答えてすぐに襖を閉じる。
「……まぁ、えいけど」
 頭を掻こうとして止めるのは、フケが飛ぶからだ。
「次、またお守りが必要になったら言ってくださいね」
「ほにほに」
 小鳥遊はそう言って、のっそりと立ち上がる。
 チラリと椿を見れば、彼女は愛おしそうに原稿の入った薄い茶封筒を撫でている。そこまでして嬉しい物かと小鳥遊は一瞬だけ考えたが、
「これが謝礼です」
 侍女に茶封筒を渡され、中身を確認し目を疑う。
こんなこがに貰うてええんやか?」
 そう言いながら再度、枚数を確認する。一ヶ月生活するのに余裕な金額だ。
「お嬢さんは、ほがに世間知らずながか? こりゃあまりにも……」
「いいえ、違いますよ」
 ぴしゃりと言われて小鳥遊は黙る。
「本当に必要な人は相応の対価を払います。お嬢様はそれ程必要としていたのです」
 それ程人との繋がりとやらが必要だったのか、それとも暇潰しが欲しかったのか小鳥遊には分からない。
「確かにお嬢様は貴方を贔屓しています。けど、私は使用人として見張っていますからね」
 悪戯っぽく使用人に言われ、小鳥遊は苦笑する。
「かまん。水飴みたいにベッタリするがは息苦しゅうてかなわん」
 そう言って小鳥遊は玄関に立てかけた番傘を掴む。
「ほいたらにゃ」
「またお越しくださいね」
 小鳥遊は機嫌良く家へと戻る。
 人が多い道の中に、ふと薄汚い野良猫を見つけた。
 野良猫もまた足を止めて、小鳥遊を見つめた。

 ――……楽しいか?

 不意に小鳥遊の耳にそんな声が聞こえた。
 小鳥遊は、目を見開き、猫を凝視する。
 数秒。実際には一秒にも満たないが、彼らはしっかりと目があった。
 世界が止まった気がした。
 人の声も、足音すらも聞こえない。

 ――……つまらんウソを吐いてよ
 
 そんな沈黙の中、吐き捨てるような声音だけが聞こえた。
 小鳥遊は椿から貰ったお守りに触れようとしたが、先に視線を逸らしたのは猫の方だった。
 猫は気取った足取りで人の波を泳ぎ渡り、そして角に曲がって消えた。
「おう」
 猫の姿が消えてから、小鳥遊はお守りに触れようとした手はそのままに小さく応えた。
 いつの間に消えていた人の声や足音は、戻っている。
 ――……小説にするからと、少し感動的にしたのだ。
 椿を傷つけないために。
 自分の為に。
 アレがバケネコと化したのは、なにも自分の子が死んだからだけでは無い。
 ほんの些細な悪戯だ、と二人は言っていた。
 ――……隠したり、しました。でも、わざとじゃない。探せば、すぐ見つけられます。
 そう言っていた。だから、あの小説は、きっと先生に見透かされていたのだ。

 ――……現実は、もっと厳しいんだ。

 だから、堪えるのだ。
 本当にそうなのだと。報われるばかりではない。しかし、
「椿は満足しよった。それでえいだろ?」
 問いかけには、誰も答えない。

サポート有難うございます。紙媒体やグッズ作成に使用したいと思います。