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ケズレヴ・ケース〜コーデリア01光宙記録 Report 4〜

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Report 3から続く

開始-観測-

「副長より艦長へ通達。間もなくトリトンとの邂逅点へ達します。油を売ってないでブリッジへお戻りください。」
 群旗艦コーデリア〇一副長のサーシャ・ソビエスキー二等宙佐が、無駄のない簡潔明瞭な用件を艦内通話で伝えて来る。
 さり気なく艦長のエミリア・カートライト一等宙佐へ向けた”毒”が含まれているあたりが、実に彼女らしい。
 そして、エミリアの云い訳を封じ込めるために、それを艦内通信の全艦向けに流した点も、実に彼女らしい。
 今ごろ、艦内のあちらこちらで、クルーが忍び笑いを必死に堪えていることだろう。
 だが、それは同時に緊急事態発報後、長時間の緊張を強いられているクルーに気が緩まない程度の、束の間の緩和も与える精神的作用も含まれている。
 口数が少ないことでは、人後に落ちないサーシャの言だからこそ、効果的なのである。
 苦笑いを浮かべたエミリアに、ようやく気分が落ち着いて、医務室のベッドから起き上がり掛けていた群司令イリア・ハッセルブラッド宙将補が促す。
 「……だ、そうだ。次の油を仕入れるまで、仕事に戻るんだな」
「副長のご命令では致し方ありません」
 そこで艦内通話が対象者特定秘話回線に切り替わり、再びサーシャの声が聞こえた。
 「……僭越ながら、ご気分が回復されておられるようでしたら、群司令もご一緒にお越し願えますでしょうか。差し支えなければ艦長に介添させますので」
 イリアはブリッジへ戻ろうとしたエミリアと顔を合わせる。
 概ね、察しはついていたが、それを補完するように群副司令のジョセフ・アサクラ一等宙佐の声が、サーシャの言葉を継ぐようにふたりの耳に聞こえた。
 「……実は群司令のお休み中に三機目の連絡艇が到着しまして……。」
 アサクラがらしくもなく、言葉を濁した。
 イリアは、彼の口調から状況を理解すると、こちらへ向き直って”仕事モード”の直立姿勢で、彼女の下命を待つエミリアへ呟いた。
 「私も仕事へ戻らなければならないようだ。ついては艦長、肩を貸してくれないかね」
「群司令のお願いでは致し方ありません」
 酔い止めの薬が効き始めたとは云え、いまだ復調したとは云い難いイリアは、エミリアに寄り添われながら、ブリッジへとあがった。
 こう云う時、体面など気にすることなく、誰の手を借りることを躊躇わないのがイリアであり、同じく、エミリアも、何の衒いもなく、イリアに手を貸すことを厭わない。
 ある意味で、これが公団が純然たる軍隊とは違う側面を示しているとも云えた。
 上っ面の威厳など何の益もなく、上っ面の心配など、何の意味もない。
 彼女たちが何だかんだと云い合いを続けながら、それでも長年の付き合いをやめないのも、軍隊に身を置いているのではなく、共に公団にあるからに違いなかった。
 ふたりが戻ったブリッジでは、既にトリトンからの第三便が送ってきた情報の分析と検討が始まっていた。
 「……少しは落ち着かれたようですな」
 アサクラが自席へ戻ったイリアに声を掛ける。
 「済まなかったな、副司令。それで、何が判った?」
 アサクラに短く礼を述べると、イリアはすぐに仕事に掛かった。
 珍しくCICから出て来た情報解析担当の次席幕僚ビヨン・スジュン二等宙佐が、各員の席のモニターへデータを表示させた。
 「これはトリトンの観測位置から見たグリーゼ五八一方向の宙域図です。彼我の距離はこの時点で五光年を切っています」
 つまり、これは赤色矮星グリーゼ五八一を主星とした恒星域の、今から五年前の映像と云うことでもある。
 「映像の中心点には、本来、グリーゼ五八一があって然るべきなのですが、ご覧の通り、やはり何も見えません」
「まさか、本当に消えたのではないのだろう?」
 スジュンの語尾に含まれた微妙なニュアンスを感じ取って、イリアが先を促す。
 「はい。これはあくまでも可視観測の未加工映像に過ぎません。ただ、トリトンのペポニ艦長は、この映像自体に違和感を憶えたようで……」
「違和感? グリーゼ五八一が消えた以上の違和感かね?」
 アサクラが最近、老眼気味の目をしょぼつかせながらも画面を見つめ直す。
 「……ひどくシンプルな違和感です。判ってしまえばどうと云うこともない程の……」
 スジュンはコンソールを操作して、画面中央を拡大すると、骨董品級の値打ちものだと云う噂のウェリントン・タイプの眼鏡越しに、そのつぶらと称される両の瞳を、一同へ順に向けた。
 「確かにグリーゼ五八一は写っていません。が、その後方にあるべき星々も、また見えないのです」
「成る程。確かに種明かしされれば、どうと云うこともないシンプルな話しだ。アサクラ副司令の所感が当たりましたね」
 スジュンと同格だが、先任の次席幕僚クライヴ・ハメット二等宙佐が、手にしていたドリンクボトルのチューブから、いつものように常温のただの飲料水を啜った。
 つまり、光宙艦群とグリーゼ五八一の間に何らかの物理的な障害物があり、それが視界を妨げていると云うことである。
 確かにシンプルな話しではある。
 ただ、ここが広大な宇宙空間であり、グリーゼ五八一が恒星としては小型に分類される赤色矮星だとは云っても、それでも太陽半径は〇.二九RSUN。
 すなわち、太陽の約三分の一、地球の約三十一倍のサイズはある。
 ただ見るだけなら小さいが、実際に目隠しをするとなると、充分に大きすぎる。
 要するに先のサイズ以上の障害物が存在することに他ならない。
 現象そのものはシンプルである。
 だが、状況はそれほどにはシンプルではないことも確かだった。
 「トリトン二二は通常宙域へ復帰後、直ちに立体実測を開始しています」
「成る程、さすがはペポニだ。人事考課通りの無駄のなさだな」
 立体実測とは、この場合、トリトン二二から見てそれぞれ百二十度の方向へ無人探査体(プローブ)を三基、投射し、各々の視差を利用して、より精度の高い観測値を得る手段である。
 それぞれの探査領域は一部が重複しており、それによって視野角なども補正出来るため、実測対象の”見掛け上の大きさ”に惑わされることなく、ある程度の正確な位置、サイズ、そして何よりもその実体に迫ることが出来る。
 「……詳細な実測結果は邂逅点でトリトンとの情報連結後に到着する予定です」
「それでは邂逅点に急ぐか……」
 イリアがそう呟いた時、群司令部のブリーフィングスペースからやや離れた位置、ブリッジの中央部の一段高い席に座る艦長のエミリアがにやりとこちらを見ると、わざとらしく厳しい顔つきへ戻ったあと、口を開いた。
「艦長より群司令へ意見具申。トリトン二二との邂逅点へ急航するため、本艦は十分間の緊急八G加速を行いたく……」
「副長より艦長へ意見具申。その必要を認めません。あと五分で本艦は邂逅点に到着します。邂逅点を素通りして何がしたいのですか?」
「……厭がらせ…かな?」
 誰への厭がらせなのかは置くとしても、イリアが却下する迄もなく、エミリアの意見具申は無視された。
 だいいち、もし本当に緊急加速が必要な事態が発生したとなれば、彼女は手続きやら何やらで時間を浪費するよりも先に、事後で済むものは全て後回しにして、自身の判断で直ちにそれを実行するだろう。
 あれでも仕事はきちんとする人なのだ。
 群司令部が遺漏なく仕事が出来るのも、有能な艦長がその乗艦する群旗艦に関する全てに責を持ち、司令部を煩わせることなく、存分に差配を奮っているからなのだ。
 だからサーシャは艦長たる彼女に信頼と尊敬を以って応え、鬼の副長の任に敢えて甘んじているのだし、イリアが群司令として旗艦を預けるに足る艦長は、どれほど人として間違っていようとも、エミリアを置いて他にはいないのだった。
 そして、トリトンとコーデリアとの直接交信可能域まで達すると、すぐにトリトン二二から情報連結許可を求める通信が入った。
 イリアはすぐに許可の返信を送るよう、通信担当士官へ伝える。
 「公団の人事部はきちんと仕事をしているな? え?」
 そこでイリアはチラリと”前公団本部人事部統括官”アサクラの顔を覗き見た。
 「……いやぁ、働き者が多い部署でしたので」
「それは貴官もやりがいがあっただろう」
「いえ、皆が働き者ですと、小官などは暇を持て余してしまいます」
「成る程。ここはどうですか?」
 ハメットが無遠慮な質問をする。
 アサクラは厭な顔もせずに、涼しい顔で答えた。
 「さしずめ、バランスが取れている職場とでも。働き蟻も皆、休むべき時を心得ている」
 キリギリスの仮面を被った公団随一のワーカホリックの働き蟻は、こともなげにそう評価すると、裏のない笑顔を見せた。
 「だが、今は働き蟻の時間。この際、キリギリスにも働いて貰わねばならんでしょう」
「キリギリス?」
「はい。副司令より群司令へ意見具申します。キリギリスを一匹、いや、ひとり迎えに行きたいと愚考します。ついてはその許可をいただけますでしょうか?」
 ふたりのやりとりの間に、スジュンは自身の持ち場たるCICへ指示を出す。
 「センター長よりCICレンズマン各員へ通達。トリトン二二との情報連結に備えよ」
「CICレンズマン-セカンド、ツグモよりセンター長へ。……その……トリトン二二は、既に情報連結を開始しておりますが?」
「は?」
「既にトリトンからの情報は”T.A.N.K.-Total Absolute Navigation Keeper-(全天球統合型航法制御モジュール)”に充填中であります」
 レンズマンとはCICに詰めるアヴィエイターたちを表す符牒であり、その歴史は人類が戦闘艦を地球海洋面にちゃぷちゃぷ浮かべていた時代まで遡る由緒ある呼び名だった。
 元々、CICのアイディア自体が、当時人気だった同名のSF小説シリーズから得たものだったからとされている。
 実際、公団航法士-アヴィエイター-としても選りすぐりの彼ら、彼女らは、”レンズマン”と云う呼称に誇りすら覚えている。
 (なお、この時代、”man”から性別を示す意味は、すでに失われて久しい。むしろ、”human-人間-の略語として使われていることの方が、社会一般的なのである)
 ましてや、その長たる群司令部次席幕僚ビヨン・スジュン二等宙佐は紛れもなく”正真正銘のレンズ”の眼(いまどき医学的かつ実用目的で眼鏡を掛けている人間など稀なのだ)を持つ”レンズマン-ファースト”なのだから。
 CIC、群司令部管制指揮所の士気は彼女の遺憾無く発揮される俊才ぶりと的確な指示によって保たれているのだ。(なお、重ねての注釈で恐縮だが、ここでの”ファースト”、”セカンド”と云う呼称はCICでの序列を指しており、世代のことではないので、出典引用元の表記と混同しないように留意されたい。)
 だが、CICの主任航法士(レンズマン-セカンド)であるツグモ一等宙尉の報告に、”ファースト”のスジュンは一瞬だけ戸惑いの表情を浮かべ、イリアを見た。
 (そういうことか……)
 と、ペポニのやり方が判ってきたイリアは、エミリアへ話題を振ることで、それに答える。
 「さすがは貴官の悪友だな。貴官と行動規範が似ている」
「そうですね。小官が彼から学んだことは然程ありませんでしたが、彼が小官から学んだことは終生、彼の依るべき指針となり得るでしょう」
 エミリアのトリトン二二艦長への寸評は、副長のサーシャの吹き出し笑いで、あっさりケチがついた。
 悄然とするエミリアを視界の端に見ながら、イリアは、そっと心のうちで満足して自分の仕事へ戻ると、傍らに待機していたアサクラからデータ・クリップ・ボードを受け取った。
 そして、ざっと眺めて、アサクラが述べた"キリギリス"の素性を確認すると、小さくため息をつく。
 「……イパネマのご老体か……」
「小官も何の気無しに移住者名簿を見ていた時に知ったのですが、よもや一般人として乗艦しているとは思いもよりませんでした」
 アサクラは、おそらくはワーカホリックの性分として、本当に何の気無しにケズレヴ到着後の仕事を円滑に進めるために、暇を見つけては移住者リストをチェックしていたのだろう。
 来週、来月、来年に到着する訳でもないのに、だ。
 イリアは誰に云うでもなく口の中でそっと呟く。
 賭けても良いが、恐らくはアサクラの脳内の記憶野には、既に移住者全員の公開情報のリストが完璧にインプットされている筈だ。
 イリアはふと、果たして、自分には、後方の移住者母艦群にいる移住者二万人分のリストを漏れなく記憶出来るだろうかと自問してみた。
 たかが二万人、されど二万人である。
 その家族関係、職業、移住後に要望している様々な事柄、非公開情報を差し引いても尚、記憶すべきデータ量は半端ではない。
 しかも、アサクラはそれを最適化したかたちでいつでも自分の頭の中から取り出せ得るように分類し整理まで済ませているのだ。
 その管理を情報記憶AIに任せるにしても、必要な情報にたどり着く最善のルートの地図は手元にあるに越したことはない。
 云うは容易いが、とはまさにこのことだろう。 
 「了解した。あのご老体が相手では、副司令自らが出向いた方が礼を失することもあるまい」
「ありがとうございます。ではジョセフ・アサクラ一等宙佐、直ちにキリギリス送迎の任に着きます」
 アサクラはイリアへ敬礼すると、ブリッジから艦内各所へ繋がる通廊の気閘へと向かう。
 「艦長より甲板長へ通達。アサクラ副司令が移住者母艦群へ”おつかい”に出られる。キャブの発艦準備を急げ」
「こちら甲板長マルケス、了解です。久々のアサクラ・カスタムの出番と云う訳ですな」
 心なしか甲板長のマルケス一等宙尉の声が弾んでいるように聞こえた。
 事務屋の親爺を自称するアサクラは、常々、事務屋の足は"キャブ"ですからと公言して憚らない。
 そして、おそらくはこの"キャブ"の愛称で呼ばれる単座または複座式の小型光宙連絡艇の操縦でアサクラの右に出るものは、この光宙艦群にはいないのだった。
 無論、アサクラ・カスタムとは彼の操縦特性に合わせて、自身が非番の折にチューニングした専用艇である。
 そんな非番の過ごし方をしている輩を、職業的技術者集団でもある甲板員の長が嫌う理由は見当たらない。
 むしろ、つるんでいるに違いがないのだ。
 イリアなどは、時としてこの”自称・事務屋の親爺"が、あとどれだけの"隠し球"を持っているのかと訝しむほどであった。
「そう云うコトだ。それからトリトンからのお客さんもぼちぼちやって来る頃合いだ。そちらの収容準備も進めろ」
「ほ。臨時列車ばかりが出入りしますな」
「それこそ、緊急事態らしかろ?」
 サーシャの一瞥からさり気なく目線を外しながら、それでもエミリアは当座の艦長としての職務は果たしてみせ、自分なりの矜持を取り戻そうとしている。
 そして、イリアの方へ視線を向けると、
 「直接乗り込んで来ますよ、ンガジは……」
 とだけ伝え、それで説明終了とばかりに艦長席の正面モニターへ向き直った。
 彼女としては気の利いた、第三者にとっては余計なひとことを、それ以上は云い添えなかったのは、まだサーシャの目が光っているからに違いない。
 情報連結が完了している時点で、コーデリアとトリトンの間は双方向直接通信をほぼリアルタイムで行えるようになっている。
 だから、関係者でブリーフィングするにしても、リモートで充分と云えば充分なのである。
 だが、エミリアがそう云うなら、ペポニとはそれでは満足出来ない性分なのかも知れない。
 そして、アサクラの光宙連絡艇(スーパー・キャブ・アサクラ・カスタム)が発艦してすぐに、彼、哨戒光宙艦トリトン二二艦長ンガジ・ペポニ二等宙佐はブリッジへと姿を見せた。
 ペポニ二等宙佐は紛うことなき偉丈夫であった。
 鮮やかな赤のローブとこちらも鮮やかな青い胴巻きをバーミリオンカラーの通常作業服の上に纏い、アフリカン特有の黒檀のようなつややかな肌に彩られたしなやかな細身の長躯から伸びた細い四肢は、無駄のない筋肉が精悍さを醸し出している。
 地球"メインランド"の出身でありながら、身の丈はむしろ、イリアより首ひとつは高い。
 同じ細身の長身でありながら、イリアと違うのは1G重力下で鍛えられた研ぎ澄まされた刀身のような鋭さを印象づけているところだろうか?
 尚、この如何にもな民族衣装然とした装束は、彼の私物ではなく、れっきとした公団の官給品である。
 文化の多様性を重んじる公団の主旨に基づき、本人から申請があれば、それぞれの属する文化圏に則ってアレンジされた制服が貸与されるのである。
 もっとも、先に述べたように、彼の眷属で公団に籍を置くものは後にも先にも、彼ひとりだったので、今のところ、この制服を着用しているものは他にはいない。
 艦内通廊から続く気閘をやや前屈み気味にくぐり抜けると、一族の慣習に従い剃り上げた形の良い頭部の真ん中で知的な光を放つ両の眼を以って、ブリッジ内をぐるりと見回し、よく通るバリトンを響かせながら、小気味良い敬礼をする。
 「申告します。トリトン二二艦長ンガジ・ペポニ二等宙佐、イリア・ハッセルブラッド群司令へ状況の説明と報告のため、出頭致しました」
「Au Ngaji…… Je, hatimaye ulihisi kutaka kunipa ng'ombe?」
 答礼しようとするイリアを差し置いて、艦長席に座るエミリアが上半身だけを捻って振り向くと、ペポニへ何ごとかを囁いた。
 「!! ……エミリア、ふざけるなら時と場所を選べ」
 彼の母国語で発せられたエミリアの問いかけに、ペポニは標準英語で返す。
 「おやおや……。私を呼ぶときは”マイハニー”とか”スウィートハート”と呼べと云ってるではないか? 何なら"ラヴリーキティ"でも許容するぞ?」
「今は任務中! あ、 いや……。プライベートでもそんな呼び方はせん!」
「連れない奴だ。数えきれぬほどの夜を共にした仲だと云うのに……」
「……! あれは貴様がグダグダと理由をつけては博士論文を一向に仕上げようとしないから付き合っただけで……」
「おや? そのうちの何度かは、確かに私の象牙色の肌とお前の黒檀色の肌を重ねて、愛を交わし合ったではないか?」
「あれは! いや、そうではなくだな……。いや! どの途、そう云う用件で出向いたのではないぞ! 私は……いや、小官は任務中であります。 私事に関しての話題はお控え願います。カートライト艦長……」
 ”ようやく牛を持って来たか?”
 エミリアはペポニにそう云ったのだ。
 わざわざ、彼の母国語で、彼の出身一族の求婚の際に用いられる慣用句まで持ち出して……。
 不意打ちに近いかたちで突然、ヘボな詩人と化した彼女の問いかけに対するペポニの狼狽振りは、見ていて切なくなるほどだった。
 何しろ、ブリッジに詰めているクルーは、誰もが公団の上級士官に属する。
 つまり、それは、かなり限定的な地方の方言でもない限り、一般的な地球の言語に殆どについて、高度な教育を受けていることを意味している。
 一見、迂遠に見えるエミリアの云い回しも、ここにいる誰もが瞬時に意味を理解出来るし、彼女は判っていて、敢えて皆に聴こえるように云ったのだ。
 だからこそ、ペポニへの容赦ない彼女なりの歓迎の挨拶にどれ程の猛毒が含まれているかを理解し、やはりエミリアは私人としては、諸々、間違っていることを改めて確信したのだった。
 後日、何かの折に、エミリアはブリッジの中央で愛を叫んでみせたものだ。
 「ンガジ・ペポニ、彼こそが私の愛そのものです」
 ———居合わせた誰もが
 「どの口がそれを云う?」
 と、しばらくは開いた口が塞がらず、それを平静で清らかな心のままで閉じる方法を各自の座席の端末でそっと検索したし、私は私で
 「光宙艦全群へ通達。総員ツッコんでヨシ」
 と群司令としての職責を果たすべきかどうか迷った程だった———
 後年、ンガジとエミリアの結婚披露宴へ、アフリカ経済連合大統領府の公式な来賓として招かれたイリア・ハッセルブラッド退役宙将の祝辞の一部要約である。
 大統領府公邸に隣接する公文書記録館で誰でも閲覧出来る間違いない彼女自身の言葉であった。
「……わざわざ済まんな。ペポニ艦長」
 前触れなしの痴話喧嘩から職務へ戻りたがっている風のペポニへ助け舟を出すつもりで、イリアは遅ればせながらもその心中を労う意味も込めて答礼を返す。
 そして、視線だけで、
 (このふたりはそういう間柄なのか?)
 とエミリアの傍らでため息をついている副長のサーシャに尋ねる。
 サーシャは肩をすくめながら、
 (ご存知なかったのですか? そう云うことです。ペポニ艦長はまことにお気の毒なことで……)
 と、更なるため息でイリアに答える。
 全くを以ってご存知ではなかったし、個人的にはかなり興味深い話題ではあるが、残念なことにイリアも仕事を優先するたちだった。
 どうせ、素知らぬ顔で職務へ戻ったエミリアへの”お仕置き”は、あとでサーシャがやってくれるだろう。
 とにかく、今は先に片付けることが山積みなのである。

(続く)

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