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バイト先の昼休みに30代の方と話していた。
出産した時の痛みは神様が記憶とともに消しているんじゃないかって。

出産の痛みは女性にしかわからないこと。
男の僕にはそれがどれだけ辛くて大変なものなのか、想像の域を超えることはできない。

けれども、話を聞くだけでどれだけ壮絶で、苦痛で、そして偉大なのかを知ることになった。

僕の母は3児の親だ。
今から約20年前に僕を産み、弟たちを産んだ。

ほとんど覚えていることはないけれど、大変だったと思う。
当時の僕にとってはそんなことは全く考えたことはなかった。


今ならわかる。わかろうとしている自分がいる。
僕の母は本当にすごい、そして偉大だってこと。

世のお母さんたちも本当にすごいけれど、それでも一番身近にいる自分の母が最高にすごいと思う。

よく兄弟どうしで喧嘩したし、母ともめたこともたくさんある。
それでも最後は仲直りというか、いつも通りの日常を届けてくれた母がいたから、今日まで来れたような気がする。

今日は何かの記念日でもなんでもない。ただ思ったことを綴っているだけ。

忘れちゃいけないと思ったから書いている。大事だと思ったから残そうとしている。そんだけ。


そして父。

昔はよく怒られていて、笑った声は特に好きだった印象。
なんだかんだ自分より僕たち子どものことを気にかけてくれた人だ。

お金のことも生活のことも冷静にしっかりと考えていた。
今の今まであまり事故せず、まっすぐ成長できた気がするのは父のおかげなのはいうまでもない。

書いていて恥ずかしくなってきた。そろそろ締めなくてはいけない。

この内容を書きたいと思ったのは昼のことがあったからだけじゃなくて、父の寝顔を見ていたからだ。

最近は特に、すごくお酒を飲むようになった気がする。おつまみも。寝る時間も多分いつもより早い。

現実的な思考から考えると、父は高齢へと向かっている。最近は一緒にゴルフを始めた。僕より熱心に練習している。

すごく寂しく感じた。少しずつ脳も身体も衰えていっているのが目に見えるようになってきた。間違いなく死に向かっているんだなと。そこまで考えた。

死なないでとは思わない。人にとって、動物にとって死は当たり前のことだから。そこから目を背けることはしないけれど、少しずつその時が近づいていっているんだってちょっとだけ感じたから。

その時が別れと考えたとき。口を聞くことができなくなると思うと、やはり寂しさは避けられない。今まで当たり前に過ごしてきた時間だったからその現実を見たくない気持ちは確かにある。


なんだろう、父も母も僕にとってはとても偉大で、偉大すぎたから今の自分を重ねると少し情けなく感じてしまうのかもしれない。

まだまだ道半ばというか、全然自立できてないなと思うと同時に、今でも親の助けなしには生きられないんだなと思う気持ちがやっぱりある。

早く立派になったところを見せたいって思う。しっかり生きてるぜ!って言いたい。今の感じじゃなくてもっとちゃんとした人として!




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