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「コミュニティの再生」

先日ニュースで、気温が40度を超える日を「酷暑日」と呼ぶことにしたとの報道がありましたが、連日、猛暑日が続いています。強い日差しを浴びただけで汗が文字どおり吹き出てきますよね。
この他にも、日本中をここ3年間覆い放しの新型コロナ、ロシアのウクライナ侵攻に伴う世界経済の停滞がもたらした空前の円安と値上げラッシュ、旧統一教会問題等々、世の中ほんと右も左も真っ暗闇じゃござんせんか。
ととと、歳のせいか、最近とみに愚痴が多くなってきた、わがことの最高齢者、村上です。

私事で恐縮ですが、過日、これまでわがことを大美代表と両輪でけん引してきてくれたK.Nさんが抜けた後、監事から副代表に異動?しました。KNからKMへのちょっとした?変更です。肩書は変わりましたが、中身は変わり映えしません。KNさんの抜けた穴は埋ようもありませんが、メンバーに安心感だけは与えられる存在でありたいと思っています。

春先に大美さんと長尾さんと一緒にスナップエンドウを収穫(今回の話題に直接関係なし。笑)

今回は、ちょっとまじめに「コミュニティの再生」について考えてみようと思っています。
最近、人口減にもかかわらず、自宅の近くの20戸超の団地をはじめ、地区内のあちこちで団地造成がものすごい勢いで進んでいます。しかも、コミュニティセンターの職員によると、ほとんど自治会には入ってくれないらしく、コミュニティの行く末を案じていました。

本題に入る前に、まず日本における地域コミュニティ政策の流れについて、ざっと見てみましょう。※1

最初は、1960年代の高度経済成長に伴う農村部から都市部への人口移動により地域共同体が衰退したことを受け、1970年代に旧自治省が「コミュニティ(近隣社会)に関する対策要綱」を定めるとともにモデル事業を実践し、ハード面等で一定の成果を上げたものの大きなうねりとはならなかった。1980年代には脱工業経済が進む中で人間疎外が社会問題となる中、旧自治省はモデルコミュニティの拡大を図った。その後、1990年代初頭にかけ、バブル景気の到来により、以前に増して経済優先の風潮となり、地域共同体、自治組織の弱体化、形骸化が決定的なものとなった。これに対し、旧自治省はコミュニティ組織・機能の強化を図るべく、地域の実情に応じた新たなコミュニティ施策を展開した。
1990年代前半にバブルが崩壊し、国や地方自治体も軒並み財政がひっ迫し、従来型の行政運営が困難となった。1995年に起きた阪神大震災で、地域でのつながりや互助等、地域コミュニティの役割、重要性が再認識される契機となった。
2000年代後半に入り、日本が世界に先駆けて突入することとなった超高齢化社会や地方分権の論議に合わせ、「地域のことは地域で」という考え方が強くなり、地域づくりの担い手、主体としての地域コミュニティが求められ、その構築・育成のための政策が日本全国で展開された。
この流れの中で、初期の地域コミュニティでは既存の自治会とは別の組織体を想定しており、後期になると、既存の自治会も含め地域の総力を結集する、いわば「地域力」の醸成を強く意識しているのが重要な点である。

※1:『「地域コミュニティ活性化方策調査報告書」平成21年3月 愛知県』」の関係部分を基に、筆者が要約しました。

正確性を欠く部分、分かりにくい部分があるとすれば、偏に筆者の能力不足によるものですので、ぜひ原本に目を通すことをお薦めします。https://www.pref.aichi.jp/uploaded/attachment/14304.pdf

地域での話し合いの様子

さて、ぼちぼち本題に入りますが、この地域力を持つ地域コミュニティを作り上げるため日本中で多くの方々が日夜苦労されています。高松市も同じように、原則小学校区を単位にコミュニティ協議会を構築しました。構築から20年が経ち、一定の成果は上がっていると言いますが、さらなる高み、真の地域自治を目指すにはまだほど遠い感じのようです。
なぜでしょうか。地域における基礎的な共同体であり、それゆえ地域コミュニティの軸であるべき自治会の力が弱っているからではないのか。そう考えた市は地域コミュニティの支援とともに自治会の再生を掲げ、自治会の設立、加入促進を図ろうと施策を展開しようとしています。私もつい数年前はその動きの中にいたので、危機感は十二分に承知しています。

昭和50年頃は高松市でも自治会への加入率は90%を越えていました。それが右肩下がりで年々低下し、ここ2,3年はついに50%を割り込む状況になっています。まちづくりについて、半数の民意しか反映できない可能性があるという重大な局面です。がしかし、一方で自治会関係者はこの数字に疑問を持っています。加入率の算出式に問題があるからという声もあります。

若い人が積極的に参加しつつある地域もあります

自治会は、一般的には家単位で加入します。住民基本台帳上の世帯とは異なります。例えば、Aさんのお家、息子さん夫婦が同居しているとしましょう。同一世帯であれば問題ありませんが、様々な事情で世帯分離をしていると、2世帯が同居していることになります。自治会が把握しているのは1戸ですが、加入率の計算上は1/2世帯になってしまいます。「自治会側で世帯分離しているかどうか把握すればいいじゃないか」という意見もあるでしょうが、ある意味プライバシーに関わる情報ですし、地区内の実情を正確に把握することは現実的には不可能です。
話が横道に逸れそうなので、加入率はひとまず置いといて、本筋である、「なぜ自治会になぜ入らないのか」について筆を進めます。

市は数年前、これについて自治会の在り方等検討プロジェクトチームを作って分析しました。※2
ごく大雑把に言うと、市民は自治会に対してメリットを感じていないばかりかデメリットすら感じているようです。デメリットとしては、用水路等の清掃やイベント事への動員、日赤や共同募金、社会福祉協議会等への寄付金等のお金がかかることが挙げられています。
※2:「入りたい、入っていてよかった、魅力ある自治会を目指して」令和元年9月

地域コミュニティ協議会の一役員となって一年余り経ち、自宅の属する団地の自治会長も経験する中で、自治会が任意団体である以上、自治会加入を強力に推進する切り札がないということを切実に感じています。生の人間が相手であり、損得だけでなく、好き嫌い等情緒面も絡んでくるので、本当に難しい問題です。自治会に頼らず、新しい形で地域の力を結集する方法を考えなくてはなりません。
自治会には会則が必要です。役員、少なくとも会長と会計が要ります。私のところのような小さな団地の自治会ならば兼務で事足りますが、ある程度大きくなるとピラミッド型の管理形態がとられ、敷居が高いと感じてしまうのも無理ないと思います。

多世代の住民が緩やかにつながる

そこで、以下はまだ私の構想、妄想に過ぎませんが、自治会を補完する、新しい仕組み、「つながり」が作れないかと思っています。
冒頭に書いたとおり、右も左も真っ暗闇のこの時代、せめて隣近所は顔見知りという関係性を取り戻したい。縁あって同じ団地、近所に住んだ者同士が、ゆる~い関係性の中で情報交換等を行うという、この趣旨に賛同してくれる有志たちで、〇〇団、〇〇グループ、〇〇ネット等という団体、仲間を作ってもらう。会則も役員もなし、名称は自由、こだわらない。逆に親睦会とか互助会なんかだと、どうしても自治会的なニオイを感じてしまうきらいがあるので、〇〇会というのは付けない方がいいかもしれません。

団体を作ったらコミュニティ協議会に届け出てもらい登録します。届け出る項目は、名称、連絡先(代表者でなく、コミ協との連絡窓口として)、構成世帯数(戸数)、参考資料として、当該団体の区域など。
これを受けてコミ協側は自治会に準じた扱いをします。まちづくりに関する行政及び地域内の情報を積極的に提供するとともに、日常生活における様々な相談・問い合わせに応じたり、必要に応じて防犯灯の設置・維持管理に対する助成対象として扱うなど可能な範囲での便宜を図るものとします。また、情報提供はするものの、行事ごと等への一切の動員要請は行わないこととします。

この構想を実際に推進していく際には、防犯灯の助成要件等細かく詰めておく必要もあるため、対象となる非加入者の意見等も聞きながら慎重に具体的なスキームを構築していく必要があると考えています。
また、この試みと並行して既存の自治会そのものの改善にも取り組む必要があると思っていますし、デメッリットとして認識されている日赤の社資や共同募金、社会福祉協議会への寄付金については、勉強しなければならないことも多く、別稿に譲りたいと思います。

コミュニティの再生について関心のある方、ご意見はもとより、こんな良い事例があるよという情報もどしどしお寄せいただければ幸いです。


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