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講義に参加

お疲れ様です。ひであきです。

先日
久しぶりに大学の講義に参加してきました。

京都女子光華大学
その名も「仏教看護論Ⅱ」。

大学でパシャリ



こちらの大学は看護師の教育に仏教思想を取り入れている大学なんです。

どんな子たちがいるのかな?
女子大みたいで女子ばかり。
早めに到着しましたので久しぶりに学食いただきました。

チキン南蛮

でもさすが看護師になろうとしている子たち。
本当にいろいろな感性に出会いました。
今回は末期がん患者さんのベッドサイドにて
いろいろな場面を想定して、あなたならばどのように接するかという問いから、それぞれの考えをグループ内で吐露するという授業でした。

この授業の参加は4年生。
まもなく国家試験を向かえて来年度は臨床に出ていく学生たち。
それぞれ自分の意見を発することができる。
これはすごいこと。
臨床で自分の意見を述べる場面は出てくる。
そのシュミレーションの意義もありました。

大きなテーマとしては
「役割喪失感」「終末期の患者さんと出会ったときに、どういう心構えでいるか」

背中に手を回すという姿(笑)

当日は学生さんの前で
外部参加者代表としてお話をさせていただきました。

話したことは特に偉そうに語ることはなかったので
・先程の感性を既に持ち備えていること
・臨床は良いことばかりでなく、時にはつらいこともあるので
 セルフケアを大切に、また仲間を大切にしてください。
・いろいろな意見を受け入れるこころ、素地を持ち続けてください。
 (おそらくこの大学、授業で大切にしている思想の一つだと思ったので)

この授業は
ある意味臨床における宗教家の存在意義を今後も大きくしていくために
必要性を高めていくためにも意義のある授業だと思うのですが
今回おそらく参加した宗教家は約10名くらい。
実はコロナ前に参加したときは倍はいたはず。残念。
個人的に期待感あったんですよね・・・・
でもこれこそ臨床宗教師の現実かな?
決して一部で終わらず
なかなか壁は難しいと思うのですが。

京都はいつも修業の場

今回のこの光景から
個人的に臨床宗教師はきっとこれからも拡大はしていかないだろうと思っています。
その思いが強くなりました。
それは臨床における加算にならないのは当然大きいのではないでしょうか。
では加算になるためには国にこの関わりは意義のあるものと思ってもらわないといけない。
それは学会で発表したり、働きかけをしないと。
まだまだ道は長い。
ただもう既に医療従事者の中で関わっている人は多くいます。
宗教家だからという道はきっとこのままだと自覚しました。

今、わたしは米国にてチャプレンとして働いている方から
学びを深めています。
以前から興味ある「スピリチュアルケア」を深めたい。
今すぐでも臨床現場で働きたいと思っているのですが
結局のところ
先程も書きましたがなかなか難しいと今回で実感しました。

ただこの「スピリチュアルケア」
決して末期がん、余命あと少しという方へのみではないと思っています。
これは昔から感じていました。
誰しも存在、魂、いろいろな痛みをもっているのではないですか。
それは無自覚かもしれません。
それでいいのです。

だから私は今のこの学びを深めていきます。
医療だろうとなんだろうと
どこへ行ってもこの知識は活かされると思っているからです。

私はいま「チャプレン見習い」です。
人生、修業。修業。
楽しいですね。

また書きますね。

合掌

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