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生きる上で全く必要のないデザインという領域

僕にとってのメディアの恩師みたいな人、元エイ出版の角社長と久しぶりの会食だった。彼の審美眼はとても独特だ、今日もとてもユニークな方々を連れてきていただき、YAKINIKUMAFIAにてワギュジスカンを楽しみながら、途中からインダストリアルデザインの話で盛り上がる。

最近、僕はこう思う。いいデザインというのは、しまわなくていいもの。すなわち、隠さなくていいものだと思っている。キッチン上というか、カウンター上でみると明確だ。残っているものは、かっこいいものだ。見せたいものだ。見せたくないものはかっこわるいので、しまってしまうのだ。使い勝手はいいのだが、自分の感性で不格好なものは、隠されてそして使う回数も減ってしまう。

ついこの間まで、アップルアップルデザイナーだったジョナサン・アイブ。独立後の彼の最初のプロダクトがSondek LP12と聞いて、つくづくセンスがある人だなぁっと思った。もはやデザイン的には変える必要もない、そして機能的にも世界一のLPプレーヤーである。そこに彼のエッセンスを入れていくという作業だ。完成されたプレーヤーをみると、これは彼の作品であることをすぐに認識した。アートピースになると、もう音などどうでも良くなる。とにかく近くに置いておきたいそんな作品なのだ。

そういえば、この間、トム・サックスが送ってきてくれた酒器もこの例えに近い。届いたのは木のボックス、ボックス自体もアートになっているのだが、一番印象的だったのは幅広のラバーバンドでシールドされていたことだ。もうこの時点で、捨てられない箱なのだ。もはや彼の酒器などどうでもよくなってくる、この箱自体が美しいアートで、酒器との主従関係がいきなり真っ逆さまに変わるのだ。未だに、この箱は我が家のアートピースとして飾られている。

食事は無用なものだ。カロリーだけ食べていればいいという人もいる。和牛やトリュフやキャビアを食べなくても人は生きていける。デザインもそうだ、全く必要としない。ただし、価値を見出すというのが人間の類まれなる与えられた能力だとすると、僕は食べるものをこだわりたいし、そして僕が思う美しいデザインの中で生活したいと思うのだ。


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