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さかな

真っ暗な共用廊下で死にかけのセミがバチバチバチと音を立てたのにびっくりして少し騒ぎながら仮住まいに戻ると、部屋からルームメイトが出てきた。

「大丈夫やった?」
「うん。暗闇のセミはほんまにびっくりするわー」

セミのことか、こんなに夜遅くまでうろついていたことについてかはわからないけどそう答えて、他愛のない話を少ししておやすみを言った。そしてそのままお風呂にも入らず寝てしまったらしい。


昨日、客室の玄関にさかながいた。虫かごのようなものにいれられた3センチくらいのメダカ...なのかな。この部屋に連泊するお客が置いていったものだろうと思っていたが、どうやらここは今日新しいお客が来るらしいので、このさかなは先客のものらしい。いや、さかな自体は誰のものでもない。でも、そのお客にとってさかなは忘れものなのか、置いていったものなのか、その辺りはわからない。ふと「朝の金魚、夜の電話」のことを思い出した。

「朝の金魚、夜の電話」は、昨年の夏前に演っていた芝居で、女子高生と、屋台ですくわれた金魚の話だ。女子高生は毎夜のように電話をかけている。金魚は一緒の空間にいる。「水槽をひっくり返すとさかなは死んでしまう。できない。やっぱりここからは出られない。私だって何処へも行けない。地球からは出られない。だけど、私たちは何処へでもいける。」

誰もいない自分の声だけがむなしく響いてるのだろうと信じている場所へ少女はよく電話をかけていた。こういった内省的なつづり方とよく似ていると思った。ひとりごとのつもりの言葉や、誰もいないアカウントで呟くこととか、何の知り合いもいない場所で言葉を即興のままに話すこと。本当は誰かに想いが意図した波数で響いてほしい。それでも、他人に響くたいていの音の正体は、本人も予測しなかったところの、もっと、溢れ出たその人のところにある。


ひとりになりたくて夜、海へ行く。もう誰にも会いたくないと思う。でも、海へ行くと誰かに電話をしたくなる。そのくらいの距離がいい。時間をライブで共有しなくていい。違う景色を見ているくらいが丁度いい。
「母親のごはんが食べたいから短期間しかリゾバできないの」
「胃袋掴まれてんなぁ」
「そうだねぇ〜」
わたしはどうでもいいのに味のある会話が恋しい。こうやって完全におわってしまう会話はもう仕方がないらしい。投げる言葉の一つひとつが、ただこのいま見てる真っ暗な海にひとりで投げてるだけなんじゃないかと思う。帰ったら、あの子とこんな話がしたい。あの人のあの仕草が見たい。ひとりになりたいんじゃない。ひとりになれないことに息苦しくなって逃げたりしても、ただ好きな人はいる。わたしにもちゃんと好きなひとたちがいるんだ。


生きているだろうか、さかなは。そのあと、他のやつにしれっとシンクから流されていないだろうか。焼いて食べられてはいないだろうか。さかながもしバッドエンドを迎えても、どうか先客がうっかり忘れていったものであることだけを祈る。

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