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人間らしさ


はろーこんばんわ。

人間らしい、
という言葉。

都合良いの自論を展開するとき、
よく使われるイメージがあります。

これは、
なにを指し示す言葉なのでしょう。

今回はそれを、
少し考えていきましょう。




◆人間と動物


人間らしさを語るにあたり、
まずは人間とは
どういったものかと定義しなければ
なりません。

人間と動物の最も大きな違い、
それはなんでしょうか?

優しさ、賢さ、善悪の判断。
はたまた神に似せて作られたこと。

少なくとも優しさや賢さは
他の生物にもあります。

善悪の判断もまた、
自分たちに/社会にとって
善いか悪いかは、
虫でもなんでも判断ができます。

では最も異なる点が
なにかというと

・口語、文字の両方で
 たくさんの情報を
 個体同士がやりとりできる

すなわち

・言語が扱える

言葉が喋れ、
文字が書ける。

それによって
高度なコミュニケーションが
世代を経てもとれるということが、
最も大きな
動物と人間の違いでしょう。

音によるコミュニケーション、
また図案や印でのコミュニケーションは
動物でもとれますが、
たくさんの情報を言語、
口語・文字によって伝えられるのは
人間だけです。


◆言語と思考


この言語を扱えると、
さらに高度であり
わたしたちが日常的に行っていて、
なおかつ人類がここまで
発展できたことにつながることが行えます。

それは

・深い思考

わたしたちの思考、
少なくとも深い考えをするものは
言語を扱って整理しながら行います。

言語がなければどうでしょうか、
普段の思考はまったくできませんよね。

言葉を使って考えない人は、
わたしは聞いたことがありません。

よって人間と動物の大きな違いは、
もう一つ踏み込んだものとして

・言語による思考ができる

これもあるでしょう。


◆人間らしさ


では、
人間らしさというのを
もう一度考えてみましょう。

ここまでの話に従うのであれば、

・言語による
 深い思考ができる

多く語られる人間らしさ、
わたしの印象では
善悪を語る際に
よく使われています。

これらも、
言語・社会的なルールにそって
深い思考を行えば
自ずとこういった理論に
落ち着くだろう。

そういった意味合いで使われていれば、
それなりに納得がいきますね。

実際に、
その理論が受け入れられるかは
また別の話ですが。

そもそもにおいて、
深い思考の前提の
知識や経験が
間違っている可能性がありますから。

人間らしさ、
使うことは簡単ですが。

定義もせず、
思考もされないのに使われるのは
あまりわたしは好きではありません。

それではまた。