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人の言葉からは、必要なものだけ受け取ればいい

ここ最近、改めて言葉の使い方について考えている。

私達は、毎日たくさんの言葉を当たり前のように使っているけど、きちんと使えているかというと、そうではないように思う。

私などは、言ったことが相手にちゃんと伝わっていなくても、大概のことは、「まあいいか」と気にしないようにしている。人の受け取り方は千差万別なので、それぐらいおおらかでいないと気が休まらないからだ。

でも、それで良いわけではない。

しっかり伝わるように指示を出さなければ、スポーツだって、仕事だって、現場が混乱して結果に影響がでるし、家族や身の回りの人とのやり取りにしても、おざりにすれば、結局、尻拭いすることになる。

「まあいいか」の私が言うのもなんだが、他人の”受け取りスキル”のせいにしたって、自分が伝える努力を怠ったった分は、ちゃんと自分に返ってくる。

このところの私も、言ったことがうまく伝わらなくて、伝え方の大切さを痛感していたところ。さらに、うまく伝えられていないことを厳しくダメだしされたりして、もう、ぐうの音もでない。。

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先ほど太陽は魚座へと抜けたが、今は4天体が水瓶座に入っている。12サイン11番目の水瓶座というのは、10+1の新たな1番目のフィールド。ここからは、これまでのフィードバックも入ってくるし、新たな視点も加わる。

そんな水瓶座が強調されている今は、他者からの客観的な指摘を受け取ることが多々ある。

今どきは、なんでも不適切になってしまうご時世だけに、匿名であれこれ書く人は増えたけれど、面と向かって指摘してもらえる機会は減っている。自分のことは、自分では気づけないものなので、もしも他者から直接フィ-ドバックがもらえたなら、ありがたいことだ。

でも、だとしても、、

やっぱり自分の至らなさを、人からバシッと指摘されるのは、なかなかしんどい。

刺激されるからこそ気づけることもあるが、傷つき過ぎると、新たな視点を持つこともできないと、つくづく身に染みた。人の言葉から必要なものだけを受け取って、柔軟に流せるよう意識しておこうと思う。

それに、相手を責めないでも、伝えたいことを伝える方法もあるはずだ。私はわたしで、もうちょっと考えてみることにする。


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さて、ここからは備忘録。
最近のニュースを見ていて、子どもの頃に母から言われたことを思い出したので、書き留めておきたい。

古い話だけど、あえて「今」思い出すようにタイマーがセットされていたような気もする。


あれは、私がまだ小学生だった頃のこと。
母は、私をわざわざ正座させると、しっかりと目線を合わせてから話しはじめた。

「言葉は、大切にしないといけないよ。
言ったことは、ケシゴムで消せないからね。」

話が長くなりそうだと察した私は、いつものように「はいはい」と受け流して逃げようとしたが、すかさず腕をギュッと掴まれてしまった。

母の話は、こう続く。

「言葉は、使い方を誤れば人を傷つけることもあるし、時には命を失ってしまうことだってあるからね。そうなったら、もう取り返しがつかないんだよ。」

「たとえ自分の言葉が原因じゃなかったとしても、酷いことを言った後に相手が亡くなったら、一生悔やむことになる。だから言葉には責任を持って、大切に扱わないといけない。」

私の記憶では、ここで終わり。

子ども時代は、しょっちゅう小言を言われていたが、ほぼ忘れてしまった。でも、この時のことは、ギュッと握られた腕の感触まで覚えている。

母には申し訳ないが、とにかく逃げ足が速かった私に話をするのは、だいぶ骨が折れたと思う。あの時も「今日こそは、ちゃんと話さなければ!」と、母を駆り立てるようなことでも言って、逃げ回っていたのだろう…



時代が変わり、親から子へ話して聞かせてきたことも、古臭いと伝えられなくなってきた。でもどうだろう、母の話は、古臭いどころか、これから益々肝に銘じなければならない話のような気もする。

あの時からだいぶ経ったが、確かに母が言った通り、私の中に残った言葉は消えていない。

記憶を掘り起こしてみれば、あれは私の口が達者になりだした小学3、4年ぐらいのこと。もしも1981年のグレートコンジャンクションの頃だったとすると、なるほど腑に落ちることもある。もしかしたら、母は私の目を覗きこんで、未来の私に向けて語りかけていたのかもしれない。



言われたことは、ケシゴムで消せない
だから、有象無象の無責任な言葉に捉えらて身動き出来なくならないよう、スル-する力も鍛えておかないといけない。

発信したことは、消去しても消せない
だから言葉は、大切に扱わなければいけない。



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