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不便さが発見と気づきを与えてくれる

2023年度のお仕事をほとんど終え、予定していた奄美旅行へ出かけました。奄美へは2022年10月にはじめて行って以来、2023年3月、そして2024年3月と3回目になります。すっかり奄美の魅力に取り憑かれています。

奄美大島は九州と沖縄のちょうど中間にある島で、本土4島を除くと佐渡島に次いで、全国5位の面積です。空港もあり各地から直行便が出ています。わたしは毎回関西空港の第2ターミナルから発着するpeach便を利用しています。

なぜ奄美に行ったのかというと、コロナ禍の時、どこかに旅行したいとpeachのセールで航空券を検索していたところ、奄美へのチケットが安かったので購入。実際に旅行しました。それで気に入ってリピートしていると言うわけです。航空券は全て入れても12000円ほどです。

離島を旅行する場合、レンタカーは不可欠です。都会のように公共交通機関がほとんどないため、観光するにも宿泊施設に行くにも車がないと到達できません。

しかしながら、わたしは毎回レンタカーを借りずに「しまバス」と呼ばれるバスで移動しています。またツアーにも参加します。理由は2つあって、一人で運転した場合何かあったら怖いから。そして、一人でレンタカーを借りるのは割高だからです。

そうはいってもあまりにも不便なので、今回は誰かを誘ってレンタカーで旅行しようとおもいましたが、誰も誘いには乗ってくれず、泣く泣く一人で行くことになりました。もちろんレンタカーは借りません。

今回の旅は、3日間で旅程は以下の通り。

1日目:13時到着 バスで名瀬へ。昼ごはんを食べた後、ホテルにチェックイン。その後ナイトツアーへ。
2日目:朝はホテルでゆっくり過ごす。昼前の大和村行きのバスで大和村へ。国直集落から大和浜集落まで歩く。午後は民宿でまったり。
3日目:出発まで民宿でまったり。13時発の便で帰京。

暮れゆく森の恐ろしさと安心感

1日目に参加したナイトツアーは集合時間が19時30分でした。しかし、そこにたどり着くバスは17時23分着。何もないその場所で2時間待たなければなりません。しかも、その日は暴風が吹く荒天で3月の奄美にしては寒いという運の悪さ。

タクシーで行くことも考えました。宿の人のいうことによると、タクシーでは30分くらいで値段にして5000円くらい。「仕方がない。時間を買うか」と思いましたが、地元の人は「タクシーはやめたほうがいい」といいます。理由は高いからなのですが、そうはいっても背に腹は変えられない。ちなみに帰りはツアー会社が送迎してくれることになっていました。

悩んだ末に、ちょうどその10分後にバスの時間が迫っていたこともあり、バスで行くことにしました。

集合場所は「黒潮の駅マングローブパーク」という場所で、国内最大級のマングローブの群生地です。しかし中には入れずにひたすら建物の前のベンチで待ちます。本を読んだり、SNSを眺めたり、ここぞとばかりに親に電話したり。そうやって時計と睨めっこしながら暇を潰してはいました。

その一方で、空を見上げると「まだ6時でこんなに明るいんだ」とか「鳥の声ってこんなに大きいんだ」とか生き物の鳴き声がとても優しく安心感を覚えることに気がつきました。奄美には猪より大きい動物はいないので、北海道のように熊に襲われる危険性もありません。

反対に、ライトを照らして車が来ると「誰だ?」と一瞬身構えてしまいます。「お前こそ誰なんだ!」という声が相手から返ってきそうですが、人間にとっては人間がいちばん怖かった。夜にここに来る人は犬の散歩をしたり、自動販売機で飲み物を買ったりする人で多分島に暮らす温厚な人なのでしょうが、この時に感じたのは「人間がいちばん怖い」という感覚でした。

歩くことでしかわからない景色と歴史

次の日、島の西海岸にある大和村に行きました。あきらかに「大和」ではない奄美大島で「大和村」とはどういう謂れなのだろうと思っていました。

まず、バスで国直(くになお)集落に行きました。ここには国直海岸という本当に美しいビーチがあります。わたしも行きましたが、そこには人一人としておらず、そこにただ蒼い空と碧い海があるだけ。感動的でした。そしてその海岸に座って1時間ほどぼんやりしました。するとストレスや疲れといったものが目に見えるようにとれていき、沸々と体の中からパワーが生まれてくるのを感じました。自然の威力です。

その後、歩いて1時間くらいかかる大和浜(やまとはま)という集落にある宿に向かいました。なぜ歩くかというと、いい時間にバスもないし、タクシーもないからです。リアス式海岸に沿った曲くねった道を歩きました。そこから見る海岸もまた陽の光を浴びてキラキラと輝いていました。奄美に行くといつも思うことですが、わたしが都会であくせく働いている間も、海も森もただここにあって、ひたすらに時を刻んでいる。そういう存在が自分の心にあるということは生きるための一つの理由になっているとおもうのでした。

そして、このあたりは源平の合戦で敗れた平氏が落ち延びてきたらしいです。そこらじゅうにそういう伝説の書いてあるところどころペンキの剥げた看板がありました。こんなところを歩くのはわたしくらいで、誰が読むのだろうかと不思議におもいますが、書いておくと誰かが読むものだとおもいます。

またこのあたりはおいしい蛸がたくさん取れるようで、蛸に関する伝説もありました。妖怪のような大蛸がいて、その怪物を倒したら、そこでは食べられる蛸がたくさん取れるようになったとか。そういうちょっとした物語を知ることができたのは歩けたからにほかなりません。

不便なことは裏を返せば豊かさにつながっている。だから不便さも快く受け入れたらいいとおもいます。少ない交通機関、民宿くらいしかない集落。観光客がこぞって訪れる場所ではありません。しかし、便利になってホテルが立ち並ぶようになったらわたしはこの島には来ないでしょう。でも、それは島の人たちにとってはどうなんだろうと考えることもあります。たくさん観光客が来てビジネスできたほうがいいのだろうか。勝手な観光客のわたしは今のままのバランスの奄美大島であってほしいとおもうのでした。





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