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日本には区別はあるけど差別はないと言い切る人達

私は、差別には国境が無く、世界中に差別はあると思っている。何故なら、差別的な心を持っていない人なんて居ないと思っているから。ということは、人間が住んでいるところには差別がある。

差別的な心を持っているというと少し違うかもしれない。では、「偏見的な心」だったらどうだろう。

偏見とは:偏見(へんけん、英語: prejudice、bias )とは、客観的な根拠なしに共通の特徴をもつモノに対する画一的な見方をすること、特定の集団や属するモノに対して画一的な感情を抱くことをいう[1][2]先入観、(アンコンシャス)バイアスステレオタイプともいい[3][4]差別と密接な関係を持つ。一般的に悪い意味として使われる。全ての人が持つとされ、「偏見がない」と主張する人は無自覚な偏見英語版)を持つ者として批判される。Wikipediaより

そしてこの偏見を口に出したり、行動に出したりすると「差別」になる。

差別をするしないの違いは、心に生まれた偏見を「自分の心にしまっておけるか」「思いのままに口にしたり、行動にしたりする」かの違いだと思っている。だから差別の種は皆持っている。

さて、「日本には区別はあっても差別はない」と言い切る人たちは、何を差別と捉えているのだろう。果して「差別」の意味を知っているのだろかと疑問だ。

本当に日本は差別が無いのだろうか。私は日本ほど差別が道に転がってる国は無いと思っているのだけど。これは、島国という性質上、そこに住む人の殆どがマジョリティで差別に鈍感で…それゆえに差別とはという教育が行われて来なかったが故の無知もあると思う。

日本にも昔から差別はある。
その一つが「部落差別」

部落差別…部落問題(ぶらくもんだい)は、明治より前の主として江戸時代における厳しい身分制度の下で一般の士農工商といった身分階級のさらに下に置かれ差別された身分の人々、さらには、それらの人々が身分制社会の下ではしばしば一定地域に居住することが義務付けられていた為そういった地域の出身者に対する差別あるいはそれを基に発生する諸問題である。Wikipediaより

もう終わった問題だという人もいる。いやいや、まだまだ続いている。被差別部落出身と知れると就職が出来なくなったり、結婚が破談になったりしている。その対策として自分の出自を伏せたり、嘘をついたりしている。
同様にアイヌ民族や在日の問題もある。

他にも身分に関する差別、階級と職業に関する差別、人種・民族・宗教・文化に関する差別、言語・地域に関する差別、性に関する差別、能力に関する差別、病人に関する差別

あげだしたら切りがない。
これを「日本は差別はない。これは区別だ」と言えるのかと疑問だ。

区別とは「物事の客観的な違いを認識することである。」
差別とは「その違いに合理性のない価値観を持ち込み、一方を不当に扱うこと。」

今まで色々な差別に関しての発信を見てきた。
で、気づいたのは、SNS等だと何故か加害側(差別をした人)を擁護するコメントが多いと感じる。
*そこまでしなきゃ(言わなきゃ)ならない理由があったのだろう。
*相手にも問題があるのだろう。
*そんなつもりじゃなかったと言っているから差別じゃないだろう。等等

何故被害者は捨て置かれるのだろう。何故日本には差別が無いと頑なに言い続けるのだろう。

はたして皆さんは日本に差別はないと思いますか?


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