見出し画像

「選択肢からつくる」がすき。

私が言ったのでも、ひらやまさんが言ったのでもない。でもお茶をして、ぼわんと浮かんできたものが「選択肢からつくる」という言葉。

人との接し方、ものの選び方、働き方、遊び方。

世の中にはたくさんの「〇〇かた」という言葉がある。

常日頃、「自分はどんな生き方をしたいだろう」と考えている。だから人の生き方にも興味があるし、「それを聞いて自分がどう感じるか」を観察することもしょっちゅうある。

そこにちょっと光が差したというか、風が吹いた話をしたい。

はじめましてのひらやまさん

noteでいつもその世界を覗かせてもらっているひらやまさんが目の前(横)にいる。
なんか不思議な感じだ。

ふわふわ……いや、もくもくというか、ちょっと微妙に弾力のあるものをもっている。手の中に、たぶん何かあると思う。

言葉を探しながら、ひらやまさんの手が1つの生き物みたいに動いているのを見るのが面白い。
…お話はちゃんと聞いています。

「べきねば」じゃなくて

私の仕事の話に始まり、書くということや書ける書けないというとらえ方について、家族関係や友人・恋愛関係についてなど。

話題はちょこちょこスライドしたのだけれど、印象的なのはひらやまさんの「どうしたらできるか、を考えるのが面白い」という言葉。

面白い…じゃなかったかもしれない。楽しい…だったかも。あるいは「考えたい」だったかも。一字一句を覚えられてないのだけれど、シュワっと心に残った。でもシュワって消えちゃいそうだな…。

たとえば仕事選びについて。「成果を出すまでは辞めずに続けるべきだVS辞めたいと思うなら転職を考えるべきだ」という2つの声の間で、悩む人がいると思う。私はそうだった。

仕事以外にも言えるんだけど、私はこの「どっちの“べき”を選ぶ?」という思考のなかにいたのだと思う。
自分の正解はどっちかにあり、ぴったりくる選択肢、“〇〇かた”はどっちかだという思考。

でも仮にどちらかを選んでも、日々迷うし悔やんだりする。かといって迷いっぱなしでもなく、こうしてよかったと思ったり、人から憧れられたりもする。

そんな自分を眺めて「何を選ぶ“べき”か」という思考のなか、ゆらゆら揺れるのが私だった。

でも、ちょっと違う見方がある。

あの表現はあおやぎさんにだから響いたのかもしれないですね。
あれ以外にも、人に伝わりやすい表現はあるだろうと思っていて。

以前読んだひらやまさんのnoteについて話している時、「“こうしなくては”って思うことはありますか?」とお聞きしてみた。
そこにふわりと返ってきた言葉。

「“すべき”とかではないけれど、こうできるようにするにはどうしたらいいんだろうって考えるのは好きですね」

またちょっと断っておくと、ここも一字一句覚えてないです。
でもニュアンスは合ってると思う。

ああー、なんかコロンときた。という気がした。すとんではなくて、コロン。さいころの違う目が出たかんじ。

ひらやまさんは、試すこと、やってみることが好きなのかな。

たとえば私が身を置いていた場所が「Which“べき”suits me better?」(なんで英語なんだろう)だとしたら、ひらやまさんは「こういう可能性はないのかな?あるとしたらどのように?」(こっちは日本語)という場所で思考しているのかな、と思う。

それは軽やかで、でも手触りのある、生きていくうえでの方向性のようなものに思えた。

「〇〇かた」ではなくて、方向性。方向性だから、こっちかあっちかという単発の選択肢ではない。こっちを選んだら絶対それに決めなくちゃいけないわけじゃなくて、「ほほう。ああいう道もあるのだな」と見つけておくかんじ。

AとBという方向性は、最初は大きく方向性が違うように見えても、道の先で合流地点もあるかもしれない。それでまた分岐したり。

なんとなく、リュックを背負って腰に剣を刺したひらやまさんが森の中や川のそばを歩いているイメージ。
剣より望遠鏡のほうが出番が多そう。

かなり勝手な想像をしているのだけど、そんな気がした。

だから読みたくなるのか

よくよく考えたら、私は「答えのない問い」が好きな気がする。人と人との関係性について、仕事観について、生き方についてなど。

「はい、これです」と答えが明確な問いにはあまり関心をひかれない(それってそもそも“問い”なのか?)。色々な場面においてなにかしらの答えを出す必要があるのはわかっているので、そういうものから逃げはしないのだけれど、自分から進んで考えるのは「答えのない問い」だと思う。

だから、ひらやまさんのnoteを読んでいたのかもしれない。理由なく文章が好きということもあるのだけれど、きっと眺めている景色が気になるのだと思う。

選択肢からつくる

とはいえ、答えが何でもいいわけじゃない。

少しずつより良く。時にはぐんと良くなりたい時もある。ここは少し行きつ戻りつしながら、という時も。納得のいくほうへ。嘘のないほうへ。

ここまで書いていて思ったけれど、この道のりって「選択肢から自分でつくる」ってことなんだなと感じる。

「どっちの“べき”を選ぶか」は、与えられた選択肢からの選択。

「こういう可能性はないのかな?あるとしたらどのように?」は、そもそもの選択肢マップに余白を見つけているかんじ。「このへんに、もうちょっとこういう選択肢を生めるんじゃない?」みたいな。
今度は大きな地図を広げたひらやまさん。

自分がとらわれていた思考場所から、軽やかでわくわくする場所がすこし見えたような気がする。

ふわっとした時間のなかで

話すことは、おもしろい。

聴くことも、おもしろい。

言語のやりとりじゃなくて、見える景色のやりとりができる時、おもしろいと感じるのかも。

そんなことを思ったお茶でした。

カフェラテの写真を撮り忘れたことはわりと悔やんでます。




#ひらやまカフェnote





読んでくださってありがとうございます!