意見を持てない+伝えられない私の数コマ/2019.03.03

私は人に意見を伝えるのが苦手だ。友達と映画に行ったのだが、ちょっとしたことを口に出すのをためらう。「今、おなかすいてる?私はごはんを食べたいんだけど、あなたはどう?」という一言でさえ、「おなかすいてなかったらどうしよう。気を使わせて、無理にごはんを食べに行く流れになると申し訳ないな。会う前に食べてきなさいよって思われたりしないかな。」と考えてしまう。すり合わせていけばいいのに。頭では分かっているけど、言えないのだ。「どうやって帰る?バス?歩く?」、「どのカフェに行く?」とか。そんなちょっとしたことでも。

そうすると、だれにも会いたくなくなってくる。仕事としての接客はそうしなければならない、という制約がある分気持ちは楽だが、やっぱりしんどい。

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職場の飲み会

職場の月末飲みで上司に言われた。
「(朝礼時の新聞スピーチの件だけど)事実を読み上げるだけじゃなくて、自分の意見を付け加えることができるといいよね。それが正解でも不正解でも、意見を持つことで見える世界は広がるよ。それに、意見を言うことで周囲の受け止め方も変わってくるはずだからね。」

意見を持てないことがバレていたんだな、と思った。
そして私が、統計に興味を持ったり、確実な事実にこだわって推論しようとするのは自分の意見が持てないからだと気づくことになった。

さらに、こうも言われた。
「それを行うかどうかは、あなたに任せるよ。結局、僕らが言っても、あなたが本当にやりたいと思うかどうかが大事なんだから。」

となると、私はNoを言いたくなる。答えがない問題に対して意見を持つことができないし、それを他人に伝えるのはさらに難しいことだと思っている。

それは、私が自分に自信を持てない上に、完璧主義者であるからだ。
意見を持つための小さなピースを拾い集めることはできる。しかしせっかく拾っても、「きっともっと正しいピースがあるんじゃないか」と考え、捨ててしまう。正しいピースなんて、簡単に見つけられるはずがないとあきらめる。いや、そんなの存在しないはずなのに、求めてしまう。そうすると、いつまでたってもパズルは完成しない。そんないびつなパズルを他人に見せるなんて以ての外だ、という具合だ。

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メリー・ポピンズ・リターンズを見て

先刻の映画の話だ。メリー・ポピンズ・リターンズを見た。泣くところは決まって”親の愛情”を感じる場面だ。元々その傾向はあったが、就職活動あたりから、たとえ30秒の短いCMであろうと、親の愛情を感じるシーンがあると涙してしまうようになった。

さて、映画の話に戻ろう。1年前に母を亡くした子どもたちは、父に迷惑をかけないように家事や買い物を手伝ったり、風船を買うのを我慢したりと、とてもしっかりしている。それはまるで大人のようだ。しかし、メリーポピンズに出会い、徐々に日々を楽しむ気持ちや想像力を取り戻していく。自分の気持ちを我慢することなく、自分の頭で考えて行動できるようになる。

私に足りなくなってしまったのはこの気持ちではないかと思った。そして思い出したのだ、アダルトチルドレンとインナーチャイルドについて。

しかし、この話はまたいつか、

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