ランニングフォームを見てブツブツ言っていた陸上部の同期

高校時代の陸上部の同期で、印象に残っている友達がいる。

走高跳選手だった彼は、徐々に僕も主戦場にする400mにも出場するようになった。最初こそスタミナ不足が目立った彼だが、日を追うごとに自己ベストを更新しまくっていた。

陸上強豪校だった僕らは、同じようにハードな400mの練習を日々こなしていた。同じように追い込んで同じようにゲロゲロし、同じように毎朝朝練をしていた。メニュー自体に大差はないはずだが、僕に比べて彼の成長速度は圧倒的だった。

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彼は大会や練習のたびに自分の走りをビデオカメラで撮影してもらい、授業の合間、何なら授業中にそのビデオを繰り返し見ていた。ウンウン唸って、あーでもないこーでもないとブツブツ言いながら、何度も何度も繰り返し自分のランニングフォームを見ていた。

頭で思った通りに身体を動かすのは、実はものすごく難しい。

当時は気づけなかったのだが、彼は頭で描いていたフォームと現実の自分とのギャップに向き合っていたんだろう。ギャップがあるたびにウンウン唸り、細かな感覚とのズレをつきとめようと繰り返しビデオを見ていた。

同じシーンをとにかく何度も見ていた印象が強い。次の練習ではギャップを埋めるための修正を行い、その姿を撮影してまたギャップを確かめていたのだろう。

全く同じ練習をしていても、その質は全く違うものになっていた。僕は与えられたメニューに向き合い、彼は自分自身に向き合っていた

僕も彼も同じように400mに夢中になっていて速いタイムを出したいと貪欲だったが、片や気合と根性でパワーアップをしようとしていた僕、理想と現実のギャップを見極めひたすら改善を繰り返していた彼。

目標達成のためには彼のアプローチが理想であって、僕のは明らかに手段の目的化だ。高校生の当時はあまり気がつけていなかった。視野が狭いとも言えるし、真面目でピュアだったんだろう。(もしかしたら今も気づけていないことが多いのかもしれない)

スポーツをただ楽しむのであれば、苦しい練習を乗り越えるだけでも良いと思う。苦行を乗り越える精神性と、高負荷を乗り越える身体的快楽も、「する」スポーツの楽しみだ。

ただ、当人の達成感にも大きな違いがあったんだろうなぁとも思う。

僕も彼も自己ベストを出す喜びは共通していたが、僕は苦しい練習を乗り越え成長することに楽しみを覚えていたし、彼は思った通りに身体が動かせることに楽しみを覚えていたのかもしれない。過程の喜びは全く違っていた。

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彼のように、高校時代の部活で「自分の頭で考え試行錯誤する経験」をもっと積んでおけば仕事に活きただろうなぁと思う。

でも苦行を乗り越える楽しさの先に無の境地みたいなものを何度も体感したのは間違いなく今の自分をつくってくれているなぁ、とも思う。

日々自分を取り戻そうと内省していると、ふと高校時代の彼のことが思い浮かびます。

ありがとうございます。本を読むのに使わせていただきます。