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プロサッカー選手と対話して感じたこと

先日、縁あってプロサッカー選手の増田繁人選手(@magroooooon)に、1時間ほど対話(セッション)をしていただいた。

アスリートが持つ内省の力を活かした、コーチングに近いセッション。端的に言えば、増田選手に僕の悩みを聞いてもらったのだ。

僕の悩みをここで詳しくは書かないが、端折りに端折って言えば「なんか上手く行っている実感がない」といったものだ。己を磨き続けているアスリートからそのヒントを得ようと、機会をいただいた。

アスリートのメンタルに触れたかった。

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プロという厳しい競争社会で戦い続けているアスリートは内省力と言語化力が高い。1時間にも満たないセッションだったが、その言葉の節々から、自分と対話して壁を乗り越えてきた競技人生が垣間見えた。

自分が楽しむために始めたスポーツが、プロになるとファンを楽しませるためのスポーツになる。ただ自分のために頑張ればよかったものが、明確に自分以外の他者のために「頑張らなければならない」仕事に変わる。

この「スポーツと私」の関係性の変化への適応が、プロの世界で戦うアスリートがぶつかる壁のひとつなのだろう。

増田選手も自分とサッカーとの距離感がわからなくなり悩んだ時期があり、何度も自分と向き合い「サッカーをする楽しさ」を言語化して乗り越えていったという旨の話をしてくれた。

「どんな時に楽しいと思えたか」をひたすら紙に書き連ねたこともあるという。華やかに見えるアスリートも、同じ人間で、地道な作業を繰り返している。

10年以上もプロサッカー選手を続ける中で、自分に向き合い自分に勝ち続ける、そんな作業を気が遠くなるほど何度も何度も繰り返してきたんだなと感じた。

他の誰でもない自分自身に負けないこと。それがアスリートメンタルの一要素。

こうして書くと教科書的でごくごく普通のことを言っているように見えるが、実体験として積み重ねているアスリートとの対話で伝えられると、温度感が全く違う「生きた言葉」となって染み込んできた。

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このセッションを通じてわかったことは、「なんか上手く行っている実感がない」の要因の一つして、僕には「負け癖思考」が染み付いているのではないかということ。

鍛錬して結果を出したいというアスリートのスタンスは持っているが、それに向き合うアスリートメンタルを十分に持ち合わせていないのだ。

社会人になってからアスリートメンタルを失ってしまったものだと思っていたけど、過去のnoteを見ると実は部活生(≒アスリート)当時から育みきれなかったのかもしれない。

そんな部活命な僕の「最後の夏」は、あっけないものだった。本命の800mで臨む県大会決勝。実力的に十分突破できるはずだったが「あと一人」が抜けず敗退した。ラストスパートに自信があったはずなのに、なぜか「抜けない」と諦めて力を抜いてしまったのだ。

アスリートメンタルを育んでいくことが新たな自分のテーマとなった。

そんな発見があった、セッションでした。


※増田選手は学生&若手アスリートを対象にセッション(相談会)をされているので興味がある方は以下から。



ありがとうございます。本を読むのに使わせていただきます。