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五能線の追憶(その1)

 JR五能線は、青森県の川部駅と秋田県の東能代駅を結ぶ非電化の単線で、ほとんどが日本海側沿いを走る。海沿い、というより、画像のようにこりゃほとんど波打ち際じゃないかというところも少なくない。非電化単線ゆえ、線路脇に架線の電柱も立ってはいないのである。
 奥羽本線の海側の支線みたいな格好になっているが、1994年に自転車で並走した区間は青森県の鯵ヶ沢から秋田県の能代のあたりまで、2008年に乗った区間は東能代から深浦までと、千畳敷から五所川原までである。深浦から千畳敷のあいだは自転車で走った。
 つまり、1994年に最初に訪れたときは自転車で五能線伝いに南下し、2008年に雑誌の仕事で再訪したときには列車と自転車で北上したということだ。

 その間、約14年の歳月が流れたわけで、この国全体の経済状況からみれば無理からぬことでもあるのだが、それは地方ではさらに理不尽なことであって、以前よりも五能線沿いの町は寂れた感が濃厚だった。同じ日本海側でも、なぜかより北にある十三湖あたりから小泊にかけては、往時と変わらない風であったのに、深浦やその北側の町々では、1994年9月の夕暮れにけっこうひと気のあった界隈がほとんど沈黙していた。
 その頃は、深浦にも泊まった旅館はもちろん、喫茶店もあって、夜は珈琲を飲みに旅館から少し歩いた。深浦港の沖には遠くだが強い光を放つ漁火があって、なるほどあれが話に聞いたイカ釣り船なのかと思ったものだ。日本海で操業するイカ釣り船の集魚灯は、衛星画像にも写るほどのものであるらしい。
 2008年に再訪して深浦の駅で降りたときには、ホームの北寄り、山側に転車台の跡らしきものを確認できた。五能線全体の中ほどにあり、沿線でいちばん町らしきものの体をなしている深浦には往時の繁栄の痕跡も残っていたというわけなのだろう。

 1994年9月にもっとも印象に残った五能線の駅は二つあり、ひとつは、深浦より北側にある「驫木」(とどろき)という駅で、ここは鉄道ファンにもよく知られている。
 駅前どころか、民家ひとつない海岸端にいきなり駅がある。なぜ記憶しているかというと、ここを通りかかったのはもうぼちぼち夕方も近付いてきた頃で、目星をつけていた深浦の宿に電話しようとこの駅の傍らにあった公衆電話からかけたが、どういうわけか話し中でいっこうにつながらない。
 この駅だったか、次の公衆電話だったか今では記憶も定かでないが、何回かかけ直すうちに、そうだ、市外局番が不要なんじゃないかとはたと気がつき、当時はひと桁だったはずの局番からかけたらつながって、宿はとれ、ほっとした記憶がある。
 その深浦の旅館も、2008年来訪時には見当たらなかったから、廃業してしまったのかもしれない。1994年に泊まったときは、さすが漁港の宿で、魚介類盛りだくさんの夕食に感動したものである。
 下の画像は2008年再訪時の驫木駅。駅舎のところの自転車は、われわれが乗ってきたものである。本来私はミニベロ(車輪の小さい自転車)の類はあまり好まないのであるが、このときはミニベロ(小径車)特集のムックに関わる取材であったために、折り畳み小径車を使用したのであった。
 確かにここからかけた記憶のある公衆電話はもはや見当たらなかった。

 印象に残ったもうひとつの駅は、深浦から南側にある。1994年に深浦に泊まった翌日、南下しながら立ち寄った駅になかなか風情があるものがあって、しかしそのときは写真に撮らなかったものだから、帰ってからは駅名もわからず、いったいあの駅は何駅だったのだろうと気になっていた。
 当該の駅名もわからないまま、その駅の辺りを舞台にして「ウェザー」という短編を書き、『丘の上の小さな街で──白鳥和也自転車小説集』に収めたのだが、この小説集が製本されている頃に、同じ出版社の仕事で青森取材に出かけることとなり、上野から乗ってきた寝台特急「あけぼの」から東能代で乗り換えた五能線各駅停車で、それらしき駅を通過するときに目を皿のようにして見ていたら、どうやら陸奥岩崎駅だったらしいことがわかり、ほっとしたような気分になった。

 奇妙なもので、駅を見て回るには、鉄道に乗るよりも自転車の旅のほうが良かったりする。だいたい、道路側から見た、つまり、街の側から眺めたほうが駅というものはそれらしく見えるのであり、鉄道に乗った状態だと、見えるのは駅というよりもホームやヤードなのである。
 しかしまあ、2008年に五能線に初めて乗ったときは、念願のキハ40系にも乗ることができて、ローカル線ファンとしてはかなり満たされたのであった。非電化の単線というものは、車窓からの風景に本当に邪魔なものが少なく、風景を存分に楽しむことができる。たとえそれが茫漠とした日本海とその海岸線、そこに沿ううら寂しげな集落であったとしても、鉄道が通うことによってそこはひとつの劇場になり得る。
 私の住んでいるところだって、都会から来た人にはやはり寂しいところに見えるに決まっているから言うのだが、人は別に、他人の旅の書割の役を果たすために生活しているわけではない。それでも、そこには、他意のない、あるいは意図のない、自然発生的な感興が存在しているのであって、そこに気がつくのが旅と言うものでもあろう。

「その2」につづく>

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