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前橋から銚子への遠回り(その2/栃木県に入る)

 このときの旅の主眼は、だだっ広い関東平野の辺縁を時計周りで辿ってみたいということであった。茅ヶ崎から前橋までは、鉄道の各駅停車でそれをやり、前橋からは自転車の旅でランドナーに跨って進む、ということであったのだ。
 記憶もあやふやになりかけているこの旅の記録は、ネガカラーで撮った写真以外には、まだ記憶が鮮明なうちに十万分の一のロードマップにマーカー線で記しておいた走行線ぐらいしかない。さきほど、それを探し出して手元に持ってきた。
 するとやはり、前橋での投宿先は、前橋駅の北西方向だったらしく、そのあたりからマーカーの蛍光色の線は始まっている。前橋を知る人ならすぐに想像がつくだろうが、わがランドナーで旅装を整えて走り出し、最初に立ち寄ったのは上毛電鉄の中央前橋駅であった。国鉄やJRの車両は他県でもよくおんなじようなのが走っていることが多いけれど、私鉄はもう全然違うのがむしろふつうだ。車両はもちろんのこと、駅本屋などの付帯構造や設備も鉄道会社ごとに雰囲気が違ったりするから、なかなかに興奮するのである。駅やホームだって、たいがいの地鉄(地方鉄道)は数両程度の車両編成用にコンパクトにできていることが多いから、鉄道模型的で可愛いのである。
 肝心の中央前橋駅については記憶はろくすっぽないのだけれど、街のまん中に忽然とある、というような感じだったように思う。いかにも駅前という感じで開けた区画のなかにあるのではなく、さもないところに、あ、ここに終着駅があったのね、という印象だった。
 上毛電鉄は、JRの両毛線よりも北側、赤木山の麓付近を東西に走っており、これに平行して県道クラスのわかりやすい道があったので、そこを東進することにする。そのときにそこまで考えていたわけではないが、鉄道に沿って走ると、鉄橋とかトンネルとかがあるところは別にして、たいがいは勾配も緩いことが多いから、悪い選択ではないのだ。完全な田舎道よりは周囲の交通量も増えるだろうけれど、行き先表示なども充実していることが多いから、まあ車に気をつけていれば、気楽に走れる面もある。適当に雰囲気の良さそうな駅に立ち寄るのも愉しいしね。
 そんな感じで上毛鉄道線に沿って走っているうちに、渡良瀬川を渡った。名前だけは知っている川なので、ちょっと感動である。このあたりは地方鉄道線もちょっと錯綜していて、通り過ぎる旅ではなかなか見きれない。鉄道路線がごっちゃになっているために、どこを走っているのかわからなくなって、一度道を戻ったような記憶がある。
 その後すぐに桐生市内に入り、ここで上毛鉄道線の東の終着駅である西桐生駅の前に出る。この稿の「その1」に使った画像は西桐生駅で撮影したものだ。静岡辺りの地鉄とかなり雰囲気が違うので、もうたまらんね、という感じである。
 そう言えば、今思い出したが、後年になって、かような駅が出てくる夢を見た。細かいところは思い出せないが、やはり関東の地鉄にだいぶ刺激されたのであろう。夢というのはたいがいそういうものでもあるが、特に鉄道が出てくるものは不思議なニュアンスを持っていることが多い。なにかしら、どこか本質的なものに繋がっているからかもしれない。

 桐生市外から先は、JR両毛線に沿って走ることになる。足利駅に立ち寄った時刻は写っている時計で正午少し前だと知れるが、はて、そのあと、どこでどんな昼飯をかきこんだのか、さっぱり記憶がない。食い物に執着がある自分にしては珍しいことだと思うが、よほど旨いか不味いかだったら覚えているはずなので、まあ通り一遍のものを食したのであろう。
 両毛線に沿って次に現れる街は佐野である。ここも当時の地図は東武佐野線という地鉄が妙な具合で両毛線と交差しているが、そこを細かく確かめるようなことはしなかったと思う。しばらく両毛線の南側を進行し、またしても現れる私鉄線、東武日光線にぶつかる手前で北上に転ずる。
 しかし栃木市街に入るのは避けたいので、新大平(おおひら)下駅の南側で東武日光線を横断してその東側に出る。どうやら日立製作所の工場がある街らしく、これまでの両毛線沿いの街の風景とニュアンスが異なる。
 この大平町のあたりから記憶が鮮明になり始めるのは、幹線から外れて市道クラスの道にも入ったからだ。田植え前の地味な田んぼの傍らも通ったりした。
 県道クラスの幹線では記憶が曖昧で、市道っぽい道のほうが記憶が鮮やかだというのはなんだか奇妙な気もする。おそらく、幹線道というのは建物や商業看板が並んでいることが多く、どの街もそう大きく変わることがないからでもあるし、そういうところでは交通量もそこそこあるから、風景をゆっくり見ているわけにもいかないからかもしれない。市道のほうが必然的に速度は落ちるし、道を間違えないようにあたりによく注意を払わざるを得ないということも影響しているのだろう。
 その意味では、自転車旅らしい旅が始まったのは、当時の大平町のあたりということになる。そうして枯野とさして変わらないような、開けたベージュ色の田園風景を横切っていって、これはいいね、という小さな駅に行き当たったのだった。駅名からしてそそられるものがあるので、新大平下駅付近で再び東に舵を切ったときからその駅を目指したのだと思う。

「その3」につづく)

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