見出し画像

地球儀がまわる

祖父が死んで、神奈川の家まで、蔵の掃除に行くことになった。蒐集の癖がある祖父は生前に、価値のありそうなものから全く価値の見込めないものまで、色々なものを蒐集しては蔵に放っていたらしい。
実家からは二時間くらいの距離があったが、学生の自分よりも暇そうなひとがいなくて、ひとり暮らしになって心細くしている祖母の様子見がてら行ってこい、と父からは言われた。
アルバイトもせずに大学の長期休暇を謳歌している後ろめたさがあったので、ふたつ返事で了承した。それに、祖父が生きている間は決して入ることが許されなかった蔵に興味があった。

ひとりになってどう生きていったらいいのか、と祖母は言いながらも、葬式で会った時よりも、だいぶ元気になっていた。
遠くから来てくれたからと、大量のちらし寿司を作って待っていてくれた。子どもの頃は好物だったが、年齢を重ねて酢の味がだんだんと苦手になっていた。
それでも、そのことを祖母に伝えるのは残酷な気がして、テーブルにある手作りのおはぎや、新鮮な野菜よりも、一生懸命にちらし寿司を食べた。それを見て、昔からちらし寿司が好きね、と目を細めて嬉しそうにしている。
祖母が笑った顔は、父親の面影と重なって、全然似ていないように見えても親子なのだと思った。

黴の臭いがする蔵は、意外と涼しかった。コンクリートの床に踏み入れると、教会に来たような重々しさが感じられた。
骨董品の品々をハタキで軽く叩くと、埃が宙に舞って、くしゃみが止まらなくなった。日本の骨董品だけではなく、祖父は西洋のものも集めていたようだ。北欧らしいデザインの陶器や家具などもある。
一階の掃除を簡単に終えて二階に上がると、一階とは違って細々したものが散乱してあった。種類も雑多で、趣向の読めないものも多かった。万年筆や古い本、名前の知らない楽器、用途不明の木箱のようなもの、外国のおもちゃ、錆び付いた知恵の輪など。
整理しようにも、どう整理したらいいのか想像できなかった。とりあえず、床を掃いて壁側にものを集めると、すこしは手を加えたような雰囲気になった。

掃除をしているうちにうっすらと汗をかいたので、掃除をやめて、目についた地球儀に手を触れた。
英語とも違った知らない外国語で、土地名が書かれている。アメリカ大陸の中央辺りを押さえて、なんとなしに地球儀を回してみると、地面が恐ろしく揺れた。蔵にある陶器が一斉に音を立てている。しばらく続いた揺れが収まって、まずは祖母のことが心配になった。年寄りは軽い転倒も命取りになると聞いたことがあった。
地球儀から手を離して戻ろうと思ったときに、地球儀のなかで小人が目を回しているのがうっすらと目にはいった。地球儀の上には目をよく凝らさなければ見えないほどの小人がたくさんいて、それぞれが目を回して、次第に揺れから立ち直っていく。
アフリカ大陸には褐色肌の小人が多くいて、アジア大陸にはモンゴロイドの小人がいる。アメリカにはいちばん多様な人種がいた。ためしに地球儀を再び回転させてみると、再び地面は揺れた。ゆっくりと回転させると軽く揺れて、速く回すと揺れは大きくなった。
小人は何度も目を回していて、なんだか可哀想になってきた。本当に悪気はなかったのだが、頭を下げて謝っておいた。地球儀の日本には、僕とそっくりな小人がいて、僕のことを指さしている。表情はよく分からないが、怒っているわけではなさそうだった。
他の国々でも、地震が止んで、穏やかな日常が戻ってきている。とりあえず安心してもよさそうだった。

ダンボール箱にしまった地球儀は、慎重に蔵の奥のほうに保管して、開封厳禁と書いた赤いシールを張った。地球儀の意義は分からないけれど、もう誰も興味本位に回したりするべきではないし、そうであってほしいなと思った。
暗くなった蔵で横になってみると、床のひやりとした冷たい感触を背中に感じる。蝉の鳴き声が遠くに聞こえていた。
そういえば、外国をよく回っていた祖父は、外国という言葉が嫌いで、家族の誰かがふと外国という言葉を使ってしまうと決まって怒りだした。日本に住んでいれば日本人、アメリカに住んでいればアメリカ人、外や内なんてどこにもない、と言っていた。
頑固な祖父のことを畏怖していたし、子どものときは、その言葉を理解できなかったが、いまならすこし理解できる気がする。人種なんて便宜的な言葉に、いつも世界は振り回されている。
火葬場で見た祖父の骨は、かたくて太い印象だった。あとで祖母に遺骨がまだ残っているか訊いてみようと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?