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なぜ人は『ナチスは「良いことも」した』と考えたくなってしまうのか

最近目を通した本では、やはり『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』が考えさせされる一冊だった。広く知られている通り、ドナルド・トランプの支持者から日本の保守カルト勢力まで、「ナチスは意外と良いこと「も」していた」という言説は人気がある。しかし(というか当然)それらはことごとく嘘やでっちあげであり、特に当時ナチスがプロパガンダでそう述べていたものを真に受けてしまっているものが多いことが(特に近年の研究では)明らかになっている。

この本を読むと、いかにナチスがいわゆる「アレオレ詐欺」を繰り返してプロパガンダをしていたかがよく分かる。前政権の路線を踏襲したのをさも自分たちの革命的な改革だと主張したり、他国の流行りものを丸パクリしてドヤ顔したり……といった具合で、「やっている感」の演出が「目的」になっていたために基本的にどの「改革」も失敗していたというのが、今日の研究のコンセンサスだということをこの本は丁寧に解説している。アウトバーン建設、失業対策、環境保護運動、全部そうだ。

さて、個人的にこの本を通読して考えてしまったのはむしろなぜ人はこんな嘘を「信じたく」なってしまうのかということだ。

厄介なのはこの種の「嘘」や陰謀論が好きだったり、リベラルの匂いがするものはとにかく嫌い……といったたぐいの人はもちろん、単に「歴史の意外な真実が明らかになる」とか、「視点を変えれば世界観が変わる」といった価値転倒の快楽が好きな人が、その快楽の強さ故に論理的な思考を放棄して受け入れてしまうことだ。

この問題は実はかなり根が深いと僕は思う。この本が教えてくれるのは、要するにナチスは「ドヤ顔できれば何でも良かった」ということだ。それが敵対する社会民主党の政策の延長でも、アピールに使えると思ったら丸パクリする(しかし究極の着地点が戦争によるヨーロッパ征服なので、絶対に「良かった」結果はもたらさないし、それ以前に宣伝が優先されるためにほぼすべて失敗する)。つまり運動とそれを支える共同体の継続が目的で、政策やその背後にあるイデオロギーは結構なんでもよく、ナチスの中核にあるものを侵さない限り部分的にはかなり柔軟に取り入れ、変化していったということ、そしてその柔軟な変化故にナチスという運動は戦争の敗北まで持続していったということなのだ。

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