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「ずれる」ことと「あそぶ」こと | 2022年 新年のごあいさつ

あけまして、おめでとうございます。2022年も、よろしくお願いします。

昨2021年は、僕にとっては手応えはあったけれど、少しばたばたしすぎた一年でした。一昨年からはじめた「遅いインターネット」計画をもう少し前に進めようと考えて「紙」の雑誌を再起動しようとしたのが、ちょうど去年の今頃でした。もともと僕たちPLANETSは紙の雑誌づくりが原点の一つです。ずっとやってきたことなので、いつも通りやればいいと思ってはじめたのですけれど、これが想像以上に大変でした。やっぱり、ゼロから雑誌を新創刊するというのはものすごくエネルギーと想像力のいることで、自分ではじめたことなのだけど何度もへこたれそうになりました。でもその分、手応えのある仕事になったことも間違いがありません。

僕はここ数年、特にこの一年は「世間(ほんとうに僕の嫌いな言葉です)」で話題にされていることにほとんど興味がもてなくなっています。もちろん、東京オリンピック/パラリンピックにもコロナ禍にも、僕の考える有効なかたちでのコミットを模索してきました。僕は2020年(に開催されるはずだった)東京オリンピックに対しては、開催決定の段階から「自分たちならこうする」という「対案」を示すことで(建設的な)批判を加えてきました。また、僕がMCを務めるテレビ番組「フェイクバスターズ」(NHK総合)では、ワクチンについて飛び交う(今も飛び交っている)デマについて取り上げました。

正確に言えば、僕が関心が持つことができないのは、これらの問題の「世間(繰り返しますが、本当に嫌な言葉です)」における「語り口」です。たとえば、東京オリンピック/パラリンピックの強行開催に対しては多くの批判が集まりました。もちろん、僕も開催するべきではないと(疫病の有無にかかわらず、7年前から)考えていました。ただ、この問題はそういった本質的なことからはなれたところで、何か別のゲームの道具になってしまったように感じていました。「そこ」では21世紀の今日において、オリンピック/パラリンピックがどうあるべきか、必要なものなのか、といった本質的なことはまず語られませんでした。語られていたのはせいぜい、この強行開催について高まる批判を効率的な政権批判に活用したいとか、新型コロナウイルスはただの風邪に過ぎないといったドナルド・トランプじみた陰謀論を補強したい(よってオリンピックは開催するべきだ)とか、そういったことです。それは、今の「速すぎる」インターネット上で繰り広げられる相互評価のゲームをどう効率よくプレイするかという問題でしかなく、僕はこちらの問題にはほとんど関心を抱くことができませんでした。

しかし、世の中の大半の人はそうではないようで、たとえば秋の衆議院総選挙では、ある人から今のインターネットの、あるタイプの客層にもっと「受ける」ものを作るべきだと諭されたりもしました。言葉は濁していましたが、要は他のプレイヤーがそうしているように、今は、弱い側、負けた側に後出しジャンケンでダメ出しして、自分たちを賢く見せると効率よくコンプレックス層を動員できるので、自分たちと一緒にそれ(具体的には一部の野党をターゲットにしたもの)をしようということでした。もちろん、僕は断りました。別に僕はそれらの政党の支持者でもなんでもないのだけれど、その後出しジャンケン的な、冷笑的な、スネ夫的な、弱い側を、負けた側を叩くことで自分たちの価値を上げる言論ビジネスに手を染めたら、もう後には戻れなくなるなと思ったからです。

これは要するに、僕のようなやり方が時代から決定的にズレはじめている、いや、既にズレていることを証明しているのだと思います。しかし、僕はそれでいい、いや、そうあるべきだと思っています。

どうぞ、あなた方はそうやって、問題そのものにはかすりもしない事実上無内容な相互評価のゲームを永遠に続けていればいい。僕は僕で、やるべきこととやりたいことを実現していきます。閉じたネットワーク上の相互評価のゲームから離れたところにしか、思考の可能性はない。僕は僕と同じように感じている人たちに呼びかけて、淡々とやっていく。すっと前からそう宣言していたのだけれど、時代は(この2年間で特に)逆方向へ強く流れていったと思います。そして「だからこそ」僕たちのこのやり方には価値があるのだと考えています。

さて、せっかくなので今年の予定というか、チャレンジしてみたいことについて少し書いておきたいと思います。まず昨年立ち上げた新しい「紙の」雑誌「モノノメ」の第2号が2月末ごろに出る予定です。そう、この正月休みも編集作業のちょっとしたピークで、少なくとも編集長の僕は溜まった原稿のチェックに追われています。特集のテーマは「身体」です。創刊号の「都市」特集がそうであったように、他の媒体ではまずあり得ない切り口から「身体」を考える特集になると思います。話題になったものを追いかければいい、という知的生活に物足りなくなった人に届けばいいなと思っています。

「モノノメ」もそうですが、僕はこの数年間は「遅いインターネット」計画を進行するために、どちらかと言えばメディアを、場を作る仕事に注力してきました。しかし、その一方で批評家としてこれまでに書いたことのなかったようなものを書いてみたいという気持ちを僕はずっと抱いていて、実はいくつか密かに準備していた本があります。うち、2冊くらいはたぶん、2022年間に出版できるのではと思っています。

一冊は、2020年に出した「遅いインターネット」の続編&アップデート版のような本です。情報論であり、身体論であり、民主主義論でもあるような……自分で言うのもなんですが、ちょっと、いや、かなり変わった本になる予定です。これはたぶん、僕の代表作の一つになると思います。

もう一冊は『水曜日は働かない』というちょっとふざけたタイトルのエッセイ集です。これは、ホーム社のウェブマガジンの同名の連載をまとめた本になるのだけれど、僕は本当に水曜日は働かないべきなのではないか、そう考えています。なぜ、水曜日なのかというと、毎週水曜日が休日になると1年365日すべての日が休日に隣接するからです。そして、こんなふうに日常が少し変化して、内側から楽しくなることがいまの社会には大事なのではないか、そんなことを真剣に考えていたりもします。真剣に考えているからこそ、ちょっと別の語り口で楽しく描き出してみたい。そんなふうに思っています。他にも、今まで書いてこなかったタイプの文章を書く予定がいくつあるのだけれど、それはまたその都度に紹介します。

そして2022年はもう少し団体の主催者とか、メディアの編集長としてではなく、一人の物書きとしての自分を大切にしたいと考えています。僕を個人的に知っている人には把握されてしまっていることだと思うのだけれど、僕はたぶん大抵の人よりいい加減で、だらしなく、ミーハーなところのある人間で、それがどうも、こうやって自主発信を大切にして、現代のメディア状況に一石を投じるのだと宣言してやっていくようになってから、頭ではよくないと分かっていながら眉間に皺を寄せて「正しい」ことを言う場面が増えていってしまったような気がしています。もちろん、それは必要だったと思うのだけれど、このあたりでもう少し、肩の力を抜いて、好きなことをしてもいいんじゃないかと考えています。なので、2022年は僕に付き合って、少し一緒に「遊んで」もらえると嬉しいです。それは誰かの足を引っ張って、自分を賢く、正しく見せる相互評価のゲームより、最終的にはずっと面白いはずです。だから、僕と「遊んで」ください。

それでは改めて、今年もよろしくお願いします。

2022.1.1 宇野常寛

僕と僕のメディア「PLANETS」は読者のみなさんの直接的なサポートで支えられています。このノートもそのうちの一つです。面白かったなと思ってくれた分だけサポートしてもらえるとより長く、続けられるしそれ以上にちゃんと読者に届いているんだなと思えて、なんというかやる気がでます。