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爆心地のイエローサブマリン(そして、「忘却する力」をめぐって)

原子爆弾の落ちたその場所で

講演の仕事で、久しぶりに広島に行ってきた。講演会場と宿がともに原爆ドームのある平和記念公園の近くだったので、空いた時間に足を運び、散歩をした。早い時間の新幹線しか取れなかったので、それでもまだ少し時間が、しかしカフェに入って書き物をするには短い微妙な時間が空いていた。そこで、僕は考えた。この時間を有効に使う方法を。そしてある結論に達して、僕はGoogle Mapを起動して、そして検索窓にこの単語を入れた「模型店」と。

広島の原子爆弾の炸裂した爆心地は市の中心部にある。原爆ドームは爆心地近くでほとんど唯一原型をとどめた建造物として被爆地の象徴的な存在になったのだけれど、正確な爆心地はそこから道路を1本挟んだ路地にある。原爆ドームから南西に広がるある川べりのエリアに平和記念公園が設けられているのだけれど、逆に東側の紙屋町は小売店や飲食店の並ぶ繁華街だ。爆心地はその中でも目立たない路地に建つ、小さな病院のある地点だ。

原爆ドームとラッピング・バス

20年以上前にはじめてこの爆心地を訪れたとき、僕はそのあっけなさに少し驚いた記憶がある。そして、ここからが重要なのだが広島市のオタクなお店ーーアニメイトとか、イエローサブマリンとか、各種ゲーム系のトレーディングカードショップとか、鉄道模型専門店とかーーはこのエリアに集中しているのだ。原爆ドームから歩いて数分、爆心地のほぼ真下にこれらの店は存在する。そこでは、ここが人類史上初めて核兵器が使用された、歴史的な大量虐殺の現場であることを忘れて(僕のような)オタクたちがその欲望を追求しているのだ。そして、この日も僕は空いた時間でこれらの店を物色しようと思ったのだ。

数年前に平和運動についてのシンポジウムに登壇者として招かれたとき、僕はこの爆心地近くのアニメイトで『この世界の片隅に』の広島限定販売グッズを買った。ヒロインの北條すずのイラストがあしらわれたラッピングバスのNゲージサイズ(1/150)の模型を、保存用とお土産用と合わせて3パック購入した。そのとき僕は、こんなことを考えた。

▲そのとき買ったラッピング・バスの模型

『この世界の片隅に』と忘却の問題

『この世界の片隅に』は呉に暮らすある主婦(ヒロインのすず)の第二次世界大戦下の日常を描いた作品だ。作中ですずは、夢見がちな少女性を引きずった人物として描かれる。そのため戦争が長期化し、兄が戦死してもその危機を実感することができない。しかし、その実感「できない」ことが彼女の人生にとって、そして作品にとって救いになる。過酷な現実に直面しても、日常のちょっとした出来事の生む(まるで、新聞掲載の4コマ漫画のような)クスクスとした小さな他愛もない笑いがエピソードの末尾に配置され、ずずとその家族の、そして僕たち読者(観客)の気持ちを救済する。日々の暮らしに「かまける」ことで、戦争のような巨大な現実を直視「しない」ことではじめて、人間は過酷な現実をやり過ごし、生きていくことができるのだ。

このどのような過酷な状況に陥り、深刻な出来事が起こったとしても最後は新聞の4コマ漫画のような他愛もない笑いが配置され、日常性が回復することで救われるというドラマツルギーは、原作者のこうの史代がその初期のキャリアでーー『長い道』や『こっこさん』などでーー培ってきたものだ。そして広島の原子爆弾と、戦後の被爆者差別を扱った『夕凪の街 桜の国』とこの『この世界の片隅に』は、こうのが培ってきたドラマツルギーのもつ日常を回復する力が、戦争という非日常に人間を吸引する力と対決したものだと思えばいいだろう。

人間という弱い存在が生き延びる手段としての「忘却」

『この世界の片隅に』では物語の後半でずずは一度、戦争に敗北する。空襲でかわいがっていた姪を失い、自身も右手を失う。それまでずずは「絵を描くこと」を通して現実との直面を回避してきた。どれほど過酷な状況が訪れたとしても、すずの描く絵物語を通してそれは他愛もない笑いやほのぼのとした小話に消化され、そのなんでもなさが彼女たちを日々の暮らしに回帰させていった。そうすることで、彼女たちは戦争という時代をやり過ごし、生き延びてきたのだ。しかし、このとき彼女は右手=絵を描くことを失い、姪を失い、戦争という現実に直面する。その後、原子爆弾で広島の実家の家族をも失う。そして敗戦を知らせる玉音放送を聞いてはじめて、この戦争は何だったのかと激昂し「政治的な」ことを口にする。ここで一回、すずの培ってきた現実を直視「しない」こと、虚構(絵を描くこと、マンガを描くこと、アニメを作ること)を通じて歪めて現実を受け止めることでそれをやり過ごし、日常に回帰する力を得るという回路は破綻する。

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