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うれしかったこと

 訪問入浴で湯船に浸かっていた。
浴槽の左側にはスタッフのAさんがいて、左の上半身を洗い終わり、浸かりきらない肩や胸にシャワーをかけてくれていた。
 同じく左側の足もとにはスタッフのBさんがいて、彼は男性なので下半身を丁寧に洗ってくれていた。
 同じく右側のCさんは右側の上半身がキレイになって、まっさらな笑顔になった。

 Cさんはぼくと目が合うと、なにかに気づいたようだった。
「すいません。ちょっとシャワーを貸してもらえませんか?」
静かな声だった。
Aさんからシャワーを受け取り、ぼくの首筋へあててくれた。
シャワーと首筋の間にはCさんの手があって、指を通ったお湯がひろがっていく。
 気持ちよかった。
「ありがとう」と「ええ気持ちやわ」をアイコンタクトすると、笑顔でうなづいてくれた。

 いつも書いているように、いまは入浴中の会話がしづらい。
携わってもらっている入浴業者のスタッフさんたちは、人なつっこさや気遣いや丁寧さといった一人ひとりの違いを、チームワークへと変換している。
 だから、アイコンタクトもいろんな人とできるようになった。

 お風呂から上がって、Cさんに洋服を着せてもらっていた。
トレーナーも着終わったから、マスクをつけられる。
「あの首筋へのシャワーはホンマにええなぁ」
「わたし、お風呂に入るとき、いつもするんです。あったまるんですよね」
すごくうれしそうな顔だった。
 「体操のワザで『シライ』とか『トカチェフ』とかあるやん。首筋シャワーも『Cちゃん』って呼ぶことにするわ」
さらに、Cさんの表情がくずれた。

 また業者さんの話に戻ると、マニュアルとしてしっかり全体化しているところと、個人のフリーハンドなところをうまくシャッフルさせている点がぼくは好きだ。
 たまに、お風呂の小道具を忘れて照れ笑いするDさんは、着替えのワザをいくつも持っていて、スイスイとラクチンにと袖を通したりズボンの上げ下ろしできる。
 男同士でぼくとアイコンタクトができる誠実さがモットーのEくんは、指先まで丁寧に洗ってくれるし、周囲のスタッフへの声かけも適格だ。
 どんなトリオが現れるのか、いつも楽しみになる。
「こんにちは」のあとは、いつも笑顔になってしまう。


 先日、友人のお通夜があって、久しぶりに四時間近く車いすへ乗ることになった。
 お天気と体調と車いすに座るポジションの三つのポイントがかみ合っても、三時間を超えると腰痛とかばおうとする硬直で、右から左へ激痛が走る
 つき添いのサポーター(ヘルパー)は息子のようなNくんで、会場の往復はうちの作業所のSくんの運転だった。
 帰り道は、限界を超える果てしない一時間足らずになるはずだった。
ガタガタ道で上体が揺れるたびに、硬直で両腕が引きつけられて前のめりになるたびに、体だけではない本物の悲鳴を上げてしまった。
「アイタタタッ!」
車の中だし、気心知れたふたりといっしょだから、遠慮なく苦しむことができた。
 Nくんに助けられた。
事業所で取り組む古武術介護を活かしてコリをほぐしながら、大笑いを連発させた。
「苦しんでるやっさんには悪いんですけど、硬直してのけぞってる格好が『あしたのジョーの力石』みたいで、ホントにおかしいんです」
最初はバックミラーを気にしながら心配していたSくんも、「あしたのジョーの力石」には吹きだした。
 こんなに笑いを提供できると、ぼくの硬直まで緩んでしまった。
 三人には共通の知り合いであり、お世話になった友人のお通夜のあとだったので、故人のいろいろな思い出と「あしたのジョーの力石」の笑いを織りまぜながら、自宅へ到着することができた。

 自宅の前には、泊まりのSくんが待っていた。
スロープで玄関を入って、腕と足のベルトを外して、車いすとベッドの往復のための移動用リフトに乗って、ベッドへたどり着くまでにはまだ先が長い。
 Nくんが残ってくれた。
ふたりがかりでベッドに落ちつくまで、「すばらしいチームワークでサポートしてくれた」と書きたいところだけど、現実は気の利いた小説みたいだった。
 最後の集中力で電動車いすを操作して部屋へ入り、ぼくはベッドに縦列駐車した。
 Nくんは痛みにあえぐぼくの姿がおかしいらしく、「やっさん、笑ってごめんなさい」をくり返しながら、段取りが進んでいかないようす。
もうひとりのSくんは、普段のペースで上着を脱いだり、持ってきた夕食を冷蔵庫へ入れたりしていた。
ぼくが「早く手伝いに来てくれへんかぁ」と叫ぶと、これもいつもの落ち着き払った口調で「急ぐとよけいにはかどりませんので」と返ってきた。
 ぼくは、吹きださずにはいられなかった。
 ふたりともサポートがベテランだから、そのあとは順序よくコトは運んだ。
 ベッドを目の前にして焦る気持ちと体と痛みを感じとった上で、完璧にマニュアルじゃない規格外のふたりの対応が、ぼくはほんとうにうれしかった。

 書きはじめるまでは、いっぱい理屈をこねてやろうと準備していた。
でも、湿っぽいことが苦手だった故人がふと浮かんで、よけいなことは言いたくなくなった。

 一人ひとりの暮らしは、マニュアルなんかじゃおさまらない。

「そうやんなぁ…」

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