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落下の解剖学を観ました

原題は「Anatomie d'une chute」

フランスの山岳部、雪景色の中に佇む山小屋にて女性がインタビューを受けている。テーマは小説と実体験について。インタビュアーは学生か。女性は質問をはぐらかす。やがて山小屋に響く大音量の音楽。「旦那が作業を始めると音楽をかけるの」しかし大音量に阻まれてインタビューの意思疎通ができない。「場所を変えましょうか」女性の提案によりその日はお開きとなる。
その大音量のなか、インタビューに並行してダニエルは犬をお風呂に入れさせて散歩の準備をしていた。彼は弱視だ。犬にサポートされながらひとつひとつ階段を降っていく。外にまで響いていた大音量、ベランダを見上げると先ほどまでインタビューを受けていた女性、サンドラがダニエルに微笑みかけていた。
散歩を終えて帰ってきたダニエルと犬。なにか様子がおかしい。吠えて山小屋へと駆け出す犬。作業をしていたはずの父がサンドラの旦那がサミュエルが落下死していた。
すぐさま救急に連絡をするサンドラ。ひとしきりの検証を終えてから弁護士にも連絡をする。
弁護士ヴィンセントとサンドラは合流し打ち合わせをする。警察への供述をした時に1回目と2回目で言ったことが変わったのは確かに印象が悪い。とはいえ状況的にサンドラが突き落としたと判断されるのは薄いだろう。が、しかし検察はサンドラを殺人の容疑で逮捕起訴するのであった。前日にサミュエルがサンドラと口論したデータを警察が見つけていたのだった。
裁判をするために繰り返される検証。そのつもりはないはずなのに「思い違いだった。勘違いだった」「その時は疑われたくなかった」と証言を二転三転させてしまう当事者たち。動機を探るためにサンドラとサミュエルの夫婦の問題までに踏み込み、サンドラの過去も調べ上げて犯行の根拠だと並べる検察。サミュエルの死は事件だったのか事故だったのかはたまた自殺だったのか…

こんなかんじのあらすじ


感想としては、まずヨーロッパ人も色々大変なんだなって。二人の口論の内容が明らかになったときに、「ドイツ人とフランス人がロンドンで暮らしていて子供が事故に会い旦那の強い希望でフランスへと移る。家庭内では英語で話すが子供はフランス語で教育を受けている。」この部分だけでと家族3人のそれぞれが出身地(出生地)母国語という点でのそれぞれのアイデンティティを持ち合わせて、かつ、譲歩しながら暮らしてるのがわかるかと思います。確かにサンドラがベストセラー作家で一家の経済の大半を握っているかもしれないが、彼女が家族に対して支配的だったかというと…アイデンティティの観点からすると彼女は大幅に譲歩しているのではないかと思います。(結局サミュエルは思い詰めて口論を起こしてしまったわけですが…)島国でかつ単一言語に近い状態でくらしてる身からすると大変なんだなって…

次にダニエルの心情にも触れたいです。結局、サミュエルとサンドラの二人は、ダニエルの前ではお互い良い大人でありかつ良い夫婦であり続けてはいたのだと思います。だからこそダニエルは裁判によって明らかにされる夫婦の不仲やより個人のプライベートな部分まで目の当たりにしてほ傷つき、乗り越え、決断できたのではないのかと思います。

最後にメタな部分なのですが、映画を見るにあたって登場人物とその役者さん全員に「嫌な人」がいないなと思いました。
ここでいう「嫌な人」っていうのは脚本とか演技的な違和感みたいなのが発生してる人の事で、脚本的なご都合によってキャラが動いて無いし演技にも無理してないような気がして非常に見やすい映画でした。

いや日常生活おくってて動機ない行動なんて多々やるし時系列ごっちゃに記憶することもあるから突然証言しろと言われても矛盾しちゃいますよ。
83点。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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