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「不安ちゃん」とうまく付き合う事

放射線治療を終えて副作用の味覚障害、術後の不調が重なるなか
noteもすっかりご無沙汰してしまった。自分よりもっと大変な人もいるし、自分だけが大変では無いにではわかっている。わかっていてもなぜ自分がこんな目にあうんかという苦悩で行ったり来たりしております。

無いものばかりに目がいってしまいます。あったからといってそれを大事にすることを知らなかったくせに。
無くして取返しのつかないことを後悔し続けることは、
自ら未来への門を閉ざしていいることに気づかないといけないと
頭ではわかっているんだけど、なかなかこれが難しい。
病気でたくさんの事を失って、ひとりポツンと取り残された感が押し寄せて時々不安になる。

ありがたいことに、不安になるのは時々であって、いつもではない。
この気づき、これは大事だなと思う。
自分は「いつも不安な人間」じゃないんだということの証だから。

病気前の私と言えば、一度不安に感じると、
しばらくの時間不安に支配されて、
それは「時々」より「いつも」に近い感覚だった。
だから不安を出てこないよう、仮想の扉に何重にも鍵をかけて
出てくるのを抑えようとしていた。いつもドアの向こうからガタガタ音をたてて出ようとする不安に四苦八苦していたんですよね。
不安が出てこないよう抑え込むんじゃなくて、
どうせ出てくる不安なら歓迎して仲良く付き合おうという考え。
良くないですか?これ。
「不安ちゃん、今日も来たんか?最近よく来るけど暇なん?ま、いいけど適当に遊んで帰り~」
と、話しかけるなど・・・。時々やって来る「不安ちゃん」と仲良く付き合う練習、まだ始まったばかり。
まだ慣れないけど割とすぐ帰ってくれるようになったんじゃないかな、と思っております。

この教えは韓国の心理相談家パク・サンミ教授の講座から学んだことなんですけどね。
今日もパクサンミ教授の講義から心に残ったことを書きます。


「行き詰らない人生がいい人生」ではなく、
行き詰ってなお立ち上がることに人生の意味がある。
「行き詰らない人生など無いのだ」とはじめに理解しないといけない。
誰でも人生に生き詰まるもので、行き詰ったその後如何に
すくっと立ち上がり未来に向けて歩き始めるのか。

「私を殺すことのできないことが私を強くする。」

苦痛が私に見せる意味を発見して自分自身を応援して明日を生きよう。
過去の苦痛は私に未来を生きる力と知恵を与えてくれる。
苦痛多き過去には必ず意味がある、自分がこの先生きていく未来に意味を与える。後悔は自分を責めて貶めるだけ。
なぜ、あの時あんな事をしたり言ったりしたのだろう?
どうして、あそこに行ってしまったのだろう?
そうやって「過去の自分」を責め続ければ「今日の自分」をも殺し、
「明日の自分」も殺すことになる。過去の苦痛を学びや気づきに変えられる人は、過去から多くを学び、サッと未来へのドアを開けることができる。
未来を生きていける、自分を信じて生きていける。

避けられない苦痛があったとしてもその苦痛には必ず意味がある、
どんなつらいことにも意味が今ある、未来の扉を開ける力になる。


50数年生きたけど未だ人生の意味が分からない私。苦痛に意味を見つけることができる程の中年には成長していないようです。
強いていえば不安ちゃんとの付き合いについて知ったことはここ最近の
ヒットではあると思います。
このままなんだかわからないまま人生終えるかもしれないけど、
とりあえず探し続けていこうとは思う。
「私の人生の目的、意味は〇〇〇です!ドヤァ!」
とは発表しないだろうし、これから先誰からも聞かれないだろうけど。






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