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創造的な人々は、例外的と言えるほどの支援を受けた子ども時代か、貧しく、厳しい子ども

社会は細かく分断されつつある。貧民街の住人は自分の街からほとんど外へ出ない(中略)いっぽう中流・上流階級はまったく逆である。彼らは世界中どこでも旅するが、ただし貧民街は別だ。貧民街だけは慎重に避けて通る。この距離を維持するのはいともたやすいことだ。自家用車で移動し、郊外に住み、高級レストランで食事するだけでいい(中略)この社会に介在する唯一の接点はメディアである。だが、国民を結束させるようふるまうべきメディアは、逆に私たちを引き離す役にしか立っていない(中略)確実に破滅への道をたどっている。足を踏み入れてしまったこの陰鬱で恐ろしい場所から、わが家に帰る道をどうしても見つけなければならない。

多くの創造的な人々は、非常に貧しい家庭か、専門職あるいは上流階級の家庭の出身であり。人々の大多数を占める中流階級の出身者はほとんどいなかった(中略)実際、創造的な人々は、例外的と言えるほどの支援を受けた子ども時代か、貧しく、厳しい子ども時代の、いずれかを過ごしていたように思える。

軸索が使われるほど、この鞘(※ミエリン)は層を増やして発達し、絶縁効果が高まって、情報を伝える速さも増す(中略)さらに言えば、学習に参加する細胞はニューロンだけではない。学習が進むと、周囲にあって栄養を供給し傷を治すグリア細胞や、さらには酸素、養分を供給する血管のネットワークに至る、環境全体も変化する(中略)最近のデータからすると、プルキンエ細胞という小脳にある特殊な型のニューロンが時間間隔を記憶できるらしく、またこの学習過程ではシナプスの出番はないらしい。※引用者加筆.

神経可塑性は、経験から生じる脳の変化を表す万能の用語だ(中略)本を読みながら内容を理解する能力は、ワーキングメモリー(作業記憶)にかかっている(中略)脳が縮むこともある。四〇歳を過ぎると一〇年ごとにおよそ五パーセント縮み、灰白質も白質も影響を受ける(中略)ようするに、年を取ると日々の厄介事が増える(中略)認知症も加齢による脳の変化(中略)スポーツは脳に影響を及ぼす。大人になってから新たな身体活動を始めても、脳の灰白質の量が増して、認知スキルが向上する。ニューロンの絶縁体であるミエリンが増えて、ニューロン間の伝達速度が速くなり、新たなスキルを学びやすくなる。運動によって身体的システムは強化される(中略)重要なのは、大多数の人は十分な練習時間を費やせば、プロのレベルに到達できると気づくことだ(中略)アスリートの脳は話し言葉の音の信号を大きくするのではなく、ノイズを小さくしていた(中略)脳の中のノイズは、脳の外の騒音によって生じることもある(中略)周囲の騒音レベルが一〇〇デシベルならば、安全な暴露量はたった一五分間だ(中略)耳の有毛細胞が、騒音レベルが高い音に暴露されて損傷を受けることは十分に立証されている。

教育におけるノイズを減らしたいなら、かなりの支出を覚悟しなければならない(中略)ノイズを排除するには、たしかにコストがかかる。だがコストをかけるだけの価値はある↓
神経可塑性は雪の斜面のようなものだ。ソリで丘を滑り降りるときには応用がきく。やわらかい雪の上を、どのルートを使って降りてもいい。しかし、二度、三度と同じ場所ばかり選んでいるうちに、跡がしっかりついてしまって、そこしか通れなくなる。神経回路も、いったん確立してしまうと、自動継続していくようになる↓
疲弊すると、ワーキングメモリはいちじるしく衰弱する(中略)まったく新しい運動の技術を習得しようとしているときに、疲労しているのはいいことだ(中略)新たなテクニックを身につけたいときにも、疲労は役に立つ↓
最高のパフォーマンスを見せられるかどうかは、ワーキングメモリのスイッチをいれたり切ったりできるかどうかにかかっている。ときには、これが生死を左右することさえある↓

音楽は、生活が向上し、記憶力が良くなり、全体的な幸福感が増す(中略)音楽は富裕層と貧困層との学業成績の格差を埋めるのに役立つ(中略)音楽がもたらす良い影響は、たとえ音楽を続けていなくても残っている(中略)実験では、何十年も前に楽器を三年間習っただけの高齢者が、「若い」脳のしるしを示した(中略)音楽の経験がある高齢者は経験のない人よりも、記憶と認知スキルを維持している(中略)音楽をすると、倍音や時間の重要な手がかりに対する脳の反応が強くなるために、貧困のしるしがある程度相殺される。ただし、一貫性は強化されない。貧困による神経のしるしを相殺する方法は他にもあり、バイリンガルだと一貫性やピッチへの反応が強化されるし、スポーツをすると脳のノイズを下げることができる(中略)貧困は人々を多くの健康被害のリスクにさらす(中略)バイリンガルの人は、注意や抑制機能などの認知スキルが要求される課題において、モノリンガルの人よりもたいてい優っていて、この優位性は高齢になっても保たれている(中略)つまり、二カ国後を話すことの幅広くときとして重大な利点は、不利な点を補って余りある(中略)(※公立学校の)バイリンガルの生徒のほうが、貧困であることの特徴的なしるしは顕著ではなかった。モノリンガルの場合は、社会経済的地位が高い家庭の子は低所得の家庭の子よりも、音に対する神経の反応が一貫していた。ところが、その差はバイリンガルではほとんど見られなかった。それどころか、低所得のバイリンガルの子は、高所得のモノリンガルの子に負けないほどの一貫性を示した(中略)低所得のバイリンガルの人は認知(注意と抑制機能)テストにおいても、他のテストと同様に、高所得のモノリンガルを上回った。つまり、別の言語を話すことによって、貧困であることの神経の認知のしるしを相殺できるのだ(中略)言語学習は音パターンに気づくことにかかっている(中略)高齢者が今日から音楽を始めたとしても、神経処理と実生活の聞く能力において恩恵を受けられる(中略)音楽は特効薬ではない。脳を変えるには時間と粘り強さが必要だ(中略)訓練と、繰り返しと、練習があってこそ、脳が音を処理する存在に永続的な変化が起こるのだ(中略)練習時間が長いほど、音楽を始めた年齢が低いほど、騒音下で聞く能力は高くなる。つまり、経験によって恩恵は蓄積し続けるのだ(中略)良い影響は、たとえ音楽を続けていなくても、少なくともある程度は続く。音楽をするのは、青年期や、数十年後においてさえ報われる投資だ。※引用者加筆.

大切なのは、4歳くらいから、原子力村と金融村の意向に沿った教員や指導者の大ウソによって社会が形作られていることに気づくことだ。そのことに気づけば、私たちは考え続け、実験し続ける哲学的思考を続けることができるだろう。実際、ズルする大人とその子供(行儀の悪い親子)、それと対峙する側の子供(どん尻)も、子供の頃から哲学的思考で考え、実験してきたと思う。自分には関係ないと思っていた子供たちは、普通(中間層)といわれる9割のカオスの人たちである↓

【トップ5%とビリ5%に、凄いやつがいる。】世の中に出たら、どこの世界でも、面白いやつは、トップの5%と、どん尻の5%です↓


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