子どものための教育
「重松鷹泰が面白そう」と耳にしてから、結局この人の本を手に取るまで半年くらい経った気がする。それも特に選び抜いた一冊な訳でもなく、偶然目に止まった一冊を読んだ。
「子どものための教育」という題名そのままに、学校という場において子どもを大切にするというのはどういうことなのかについて、ずーっと考え続けていく本だ。
こんな文章から始まる。重松は子どもはいのちだという。
今の学校はどうだろうか。
こうした思いが入る余地は残っているんだろうか。学校は、子どもが子どものままでいるのではなく、子どもをそのうち使える大人にする場になっていないだろうか。
学校は将来の社会を担う人材を育成する場所でいいんだろうか。そもそもそこで定義される社会ってなんなんだろう。「そんなんじゃ将来役に立たないよ」って、子どもたちの将来を心配することと、大人が子どものために道を引いて連れていくことは同じなんだろうか。
どの部分を読んでいても、子どもたちにできることってどんなことなのだろうか。自分が目指そうとしている教育の方向性って本当に子どものためになっているんだろうか、と問い直し続けさせられた。
いつもどこかで「でも、そんなこと言っても子どもの気持ちだけを大事にしていたら、進むものも進まなくなるんじゃない」って悪魔が耳元で囁いてくる。もしそれでうまくいかないのだとしたら、そのうまくいかない場やカリキュラムの方にきっと責任があるだろうにね。
日本中の子どもたちを救うことなんて、きっと誰にもできやしないから、今日もせめて自分の手の届くところ、自分が出会う子どもたちのためだけに、できることを少しずつ積み重ねていきたい。
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