3年ぶりのオーストラリアは、あの日常の続きだった
あれは本当に3年も前のことなのだっけ。
見慣れた景色、だけどちょっとずつ記憶と違う景色の中を歩きながら、ずっとそんなことを思っていた。
2019年にオーストラリアに上陸したとき、私はかなり沈んでいた。久しぶりに海外に住むというのにポジティブな気持ちになれなくて、陰のオーラをまとってとぼとぼと歩いていた。だけどなんとか暮らすうちに景色が彩りを帯びてきて、帰る頃にはすっかり大好きな国のひとつになった。
2020年の特殊な社会情勢下だったこともあり流れる時間はスローペースで、たった1年半なのに何年も住んだかのような愛着がある。価値観との相性もよかったようで、今でも私の20%くらいはオーストラリアのエッセンスで成り立っている気がする。次に行くのはいつになるかな、と遠い目で眺めていたら、ちょうど帰国から3年が経つ2023年の夏に、意外と早い再訪の機会に恵まれた。
この3年間で自分にいろんな変化があったような気がするけれど、いざ訪れてみると、あの日常の「続き」がただそこにあるだけだった。もっと懐かしい気持ちになるのかと思っていたから、あまりに普通な毎日で拍子抜けしてしまった。すっとなじめたのは嬉しかったけれど。
結果として、このタイミングで行けたことはすごくよかった。私のオーストラリア生活は、今回の再訪をもってようやく完結したというか、過去の思い出から完全に自分のものにできたような感覚がある。
余韻に浸る暇もなく移動したり風邪を引いたりしていたら、あっというまに2ヶ月が経ってしまったのだけど、これはちょっと書き残しておきたい。2023年9月のオーストラリア滞在の記録です。
ただ暮らした国オーストラリア
オーストラリアと日本を行き来していたのは、2019~20年の期間。
当時の私はいろいろあって未来が白紙になったので、「海外にでも住むか」と思い、たまたま縁があり選びやすかったオーストラリアに引っ越した。最初はメルボルンに住んだのだけど「なんか違う」とシドニーへ移動。大都会シドニーの暮らしは「東京みたいだな」と思ってしまい、さらに北上しゴールドコーストへ。そこで家と仕事を見つけて暮らしをスタートさせかけたけど、それもひっくり返ってしまい八方塞がり状態に。もう遠くに行く気力が残っておらず、最後の希望をたずさえてバスで移動していったのが「バイロンベイ」という街だった。
バイロンベイは、音楽とアートが街中にあふれ、オーガニックやスピリチュアルへの関心が高く、サーフィンやヨガをライフスタイルの一部として楽しむ文化がある小さなビーチタウン。美しいビーチがあちこちにあり、人々はお気楽でオープンマインド。ぎゅっと凝縮した小さな街ながら観光地でもあり、世界中からパワフルなエネルギーが集まるところだった。
しかし数ヶ月も住むとコロナで状況は一転し、中心街から少し離れた静かなエリアで、自宅とその周辺からほとんど出ずに過ごすことを強いられた。オーストラリア人と3人でシェアする家でおうち時間を充実させつつ、自然をたっぷりと感じながら、伸び伸びとリモートワークで生活する日々。
それはそれでピースフルで幸せすぎる暮らしだったのだけど、堅実に考えた結果「今は日本にいよう」と2020年に帰国。すごく端折ると、そんな感じの流れだった。留学?ワーホリ?仕事で?と聞かれるけれど、そのどれも少しずつ正解ではない。ただ暮らしていた、それが答え。
オーストラリアなんて全然近いし、行こうと思えばいつでも行けると思っていたら、いつの間にかなり遠く感じる国になってしまった。さすがにブランクが長くて緊張したけれど、タイミングとは急にくるもので。波に乗るようにスムーズな運びで流れ着くことができた。
東海岸の玄関口、ゴールドコーストへ
オーストラリアへは、おなじみのジェットスター深夜便で。当時も日本と頻繁に行き来していて、もはや夜行バス感覚で乗れてしまう。こんなに世界を小さくしてくれた航空会社、ありがとう。と感謝に浸って熟睡しているうちに、到着。
見慣れた空港なのに出たのは見覚えのないところだった。SIMカウンターが消滅している。待ち合わせをしているのに空港Wi-Fiが繋がらない。若干焦っていたらキオスクが開いて、無事にSIMカードを買うことができた。今回は自分と同じくらいオーストラリア経験のある旅メイトが一緒だから心強い。早朝の空港でピックアップしてもらい、いざ街へ。
滞在はたったの一週間で、最初の2日間はゴールドコーストの中心街「サーファーズ・パラダイス」のコンドミニアムに泊まった。まさかこんなど真ん中に泊まる日が来ようとは。私の知っているサーファーズ・パラダイスは、ちょっと時代に取り残されて胡散臭さの抜けない、バブルの名残のようなリゾート観光地、という感じ。その雰囲気は健在といえば健在だったのだけど、さすがに活気が戻ったようで、街全体が当時よりいきいきとして見えた。
ゴールドコーストも合計2ヶ月くらいは滞在していた街なので、それなりに思い入れはある。車であちこち行ってみたり、トラムに乗って一人旅をしてみたり。新しい発見もあったし、かつての足跡をたどる時間もあった。
よく過ごしたサウスポートという街へ、ちょっと感傷に浸りに行ってみた。ところがびっくり、あまりにも懐かしい気持ちが生まれてこない。というか、まるで昨日ぶりに来たような、そのまま地続きの感覚。冷凍保存されていた記憶をたったいま急速解凍したみたいに、あのときのままの景色に包まれる。
ほう……こんな感じね……。と戸惑いつつも、図書館のほうまで歩いてみる。実は2019年の夏頃、ここの図書館でひたすら仕事をしていた時期がある。海外に単身引っ越して莫大な家賃と交通費を払いながらフリーランス復帰して生活を立て直す、という激しめのゲームに挑戦していたので、一風変わった仕事も請けていた。知らないカフェに入ってWi-Fiが微妙だと即ゲームオーバーというお仕事内容だったので、作業場はもっぱら安定の図書館。ここはさすがに懐かしい。
ゴールドコーストという街は私にとってなんともいえない寂しい思い出も多く、いつも複雑な気持ちになってしまう。だけど今回、あのときから多少は成長した自分で来て、少しだけこの街と仲良くなれたような感じがした。
ナイトアウトも楽しんでみたり。そういえば当時は生きるのに必死で、ほとんど飲み歩いたりはしていなかったな。同じ世界の、別の側面。よく知る街の知らない姿に出会えるのも、再訪の醍醐味なのかもしれない。
車で1時間、バイロンベイに移動
かつて一番長く住んでいた街バイロンベイに移動した。道中立ち寄ったエコビレッジがかわいくて、そうそうこれこれ、と何かを取り戻したような感覚になる。
バイロンベイに着くと、中心街よりも先に私が住んでいたほうのエリアを通る。お洒落なサーフショップや雑貨屋さん、カフェなどがたくさんあって、自転車でぐるっと回れるくらいの範囲にいい感じのお店がまとまっている。2019年当時、着いた初日に土地勘もなく家を即決したけれど、運良くいいところに住めていたんだな。
住んでいたとき、家から自転車で10分ほどのところに間借りしているオフィスがあった。「もうなくなってるかな」と思いながら通りかかると、建物はそのままにアパレルショップに変身しているではないですか。
ここでよく働いた。ロックダウンの期間中、あまり外出は認められていなかったけれど、このオフィスは家の延長だと思って毎日来ていた。スペースの借り主であるスタートアップの人たちはまったく来なくなってしまって、ほぼ私の専用オフィスとなり、掃除など管理を引き受けるかわりに安く使わせてもらえたのだ。
当時と同じような行動パターンで、夕方にはサンセットを見にメインビーチへ。ここはいつも賑やかで、誰かが音楽を奏でていて、みんなが思い思いにチルなひとときを過ごしている天国みたいな場所。フリーBBQと温かいチャイが振る舞われていたので、芝生にラグを広げて食べながら空の色が変わっていくのを眺めた。
訪れた9月初旬、オーストラリアは冬から春に向かうところで、夜になるとまあまあ冷え込む。凍えながら海沿いをまた歩いて、よく行ったBARで音楽に身を委ねてビールを飲んで、泊まらせてもらうお家に帰宅。Airbnbで予約した家だけど、ホームステイのようにもてなしてくれて温かかった。
マーケットめぐり、かつて住んだ街の観光
オーストラリアはマーケットが楽しい。今日はあの街でフードマーケット、明日はこっちの街でクラフトマーケット、週末は月に一度の大規模マーケット、といった情報は、おそらく初めて来る観光客はまったくゲットできないと思う。住んでいたからすべてわかるし、調べ方を知っている。「かつて暮らした街を観光する」というのは初めてだったけれど、こういう楽しみ方もあるのか、と面白くなってきた。
Byron Bayを拠点に、ただの観光客と化してあちこちの街を欲張って回った。このエリアのお店はかわいすぎて、置いてあるものが全部欲しくなってしまうし、それを通り越して何も欲しくなくなってしまったりもして忙しい。かつての帰国直前にも同じ感覚になったのを思い出した。かわいすぎて悲しくなってきて、「もうここにあってくれ」という諦めの気持ちが湧く。日本では出会えない素敵さがあるんだよね。
お気に入りの“だれもいない”ビーチへ
かわいさが許容度を超えてきたところで、家から一番近くてよくお散歩していたBelongil Beachに行ってみた。
特になにもない天然の海岸なのだけど、世界中で一番好きなビーチかもしれない。少し奥まったところにあり、観光客はほとんど来ない。波が少なくサーファーもいないのは、今住んでいる葉山にも少し似ている。犬の散歩をしたり、瞑想しにきたり、ヨガやエクササイズをしたりするローカルの日常だけがここにある。
Belongil Beachの空は心なしか他のビーチより広く見え、淡いピンクや紫になってゆくコットンキャンディースカイにも出会いやすい。なにもないのだけど、それがいい。こんなところも、初めての旅行だったらどうやっても見つからないんだろうな。
サーファーが集まるThe PassやWategosにも行く時間があった。私は語れるほどサーフィンはしないのだけど、Byron Bayがサーフィンの聖地といわれる理由のひとつは、珍しい地形により波が長~いことだと思っている。
だいぶ沖から斜めにくるから、1分以上ひたすら乗れる。私はサーフィンデビューをここでしてしまったので、湘南の近くに住んでいる今あまりやる気になれないという、贅沢な悩みを抱えている。Byron Bayには、面倒なローカルルールにも縛られず、良い波をみんなで分け合う豊かな精神が根付いている気がする。
新たな出会い、自然のパワー、突き抜けるセンス
今回の旅のハイライトは、Newrybarというエリア(といっても1本の道の左右に何軒かお店があるだけ)との偶然の出会いかもしれない。ローカルたちに口々に「滝を見に行け」と勧められるので向かってみたところ、途中の道が工事で迂回路ができている。案内通りに回ってみると、なんだか楽しい予感しかしないおしゃれショップ街がそこにあった。
アボリジナルの人たちが自給自足しながら暮らしている、歴史あるコミュニティなんだとか。いる人々がみんなフレンドリーで優しい。日本製の雑貨や陶器を仕入れて扱っているお店もあって、店員さんは冬は日本に滑りに行く予定と言っていた。こんな異国の山奥にまで日本の魅力がしっかり届いているなんて、思ってもみなかった。世界は案外、感度が高い。
そして滞在も終盤に。バイロンベイでは毎月第一日曜日に、大規模なマーケットが開催される。住んでいた頃は、ほぼ毎月行っていたかな。お買い物目的じゃなくても、ここに行けばいろんな人に会える、というのも行く理由のひとつだった。
生活に根付いているマーケットは、コミュニティと切っても切れない大事な機能。3年ぶりに行ってみたら、出展ブースエリアが移動してるわ、規模は大拡大しているわ、当時なかったブランドが増えてるわで、センスの突き抜けがすごかった。私の知ってるバイロンマーケットじゃないんですけど。
そうそうこの日に、バイロンベイといえば!の定番カフェにも行ってみた。アサイーボウルがどうしても食べたくて頼んだけど、冷たくて凍える。だって今は冬なのだから。なのにオージーたちはキャミソールどころか、水着のような格好でいきいきとコーヒータイムしているから強すぎる。
最後の夜は、この3年のうちに新しくできた商業施設のアジアンダイニングでディナー。ダスティーピンクの最強センスすぎる店内。しかし出てくるのはカウンターでビールと揚げもの、炒めもの。最新トレンドはいつも斜め上からやってくるから、「そう来るか」となんでも受け入れる柔軟さを忘れずにいないとね。
バイロンベイはこの数年で家賃も物価も高騰し、開発もかなり強引に進められていてローカルが住めなくなり出て行っている、なんて聞いていたけど、それでもそれなりに守るところは守りつつ、壊れすぎないようにほどよく維持しているのかな、と私の目には映った。
泊めてくれた家の家主と、この3年間にあったこと、地域がどう変わったか、政府や医療がどうひどかったか、未知のウイルスはまたくるのか、この地域はどんな未来へ向かうのか、といった話をした。家主の息子が着ているパーカーがどこからどう見てもバイロンで、やはりこのコミュニティは死なない、と思ったのだった(伝わる人にしか伝わらない話)。
好きな土地には、行けるうちに
なかなかの長編になってしまったけれど、そんな感じで今回の旅は終わった。
特に明確な目的もなく行くことに決めたのは、ちょっと引きずっている過去があるから。20歳そこらでカナダのトロントに1年ほど住んだ経験があるのだけど、トロントにはあれから一度も帰れていない。あまりにも最高だった日々の続きには、日本での学生生活や就職、新社会人の奮闘などが次々に押し寄せて、気づけば3年が経ち、5年が過ぎて、いつの間にか10年前の出来事になっていた。
時が経つと記憶は美化されてしまうもので、今となっては再訪するのがちょっと怖い。あの土地で過ごした日々は「非日常」で、過去に置いてきた素晴らしき思い出になってしまった。10年も経てば自分の価値観や考え方も変わったし、きっと街並みも変わっている。今訪れたところで、あれ?こんな感じだったっけ?と幻滅して、きれいな思い出は形を歪めてしまうのかもしれない。怖いというほど大袈裟なものではないのだけど、なんだか再び訪れるには相応の理由を求めるようになってしまった。
だからオーストラリアは今の自分と切り離されてしまわないうちに、行っておきたかった。遠くに置いてきた「あの頃」を思い出しながら生きていくのはもう繰り返したくない。内側に思い出を抱くのではなく、外側に纏って今の循環をつくりたい。そうすることで、自分の一部にしてしまいたくて。
ビーチでのチルタイム、家で過ごす時間、スーパーでの買い物、山道のドライブ。賑やかなマーケットも、聞き慣れたオージー英語も。そのほとんどに「懐かしい」という感情を抱かないのは意外だった。あえて言語化するなら「これこれ」という感覚。当時とは少しずつ受け取るものの形は違うけれど、私はこの世界をよく知っている。3年という月日は、まだそういう感覚を抱けるくらいの長さだった。
今回の旅をもって2019-20の滞在が完結したというか、過去と現在と未来を全部巻き込んで、ひとつの世界に共存させられるようになった気がした。これからどう関わっていけるのかはわからないけど、スペシャルな地であることは間違いないので、繋がりを保ち続けられたらいいなと思う。
20代の若い頃に、地元を離れて海外などで生活してみたことがある人は私の周りに多そうだけれど、かつて暮らした大好きな土地は早めに再訪したほうがいい。そこでやっと完結するから。行って帰ってくるだけでは物語は未完だったなんて、昔の自分は気づくことができなかった。
実は、ゴールドコースト直行便はこの10月を持って運休になり、かわりにブリスベン便が就航している。私の好きな土地は、少し遠くなってしまったということになる。行けるうちに。飛行機があるうちに。「当たり前」が一瞬にして失われることなんて、全然あるんだから。
このタイミングで行けてよかった。そしてこうして振り返れてよかった。迷ったらときどきこの記事を読み返して、まだしばらくは日本でやってみよう、そして時間をつくって旅をしよう、と思っている。
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