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来た道を戻らない、同じ道を通らない

昔からずっと無意識にやっている習慣というか、マイルールがひとつあることに気づいた。

それは、「何がなんでも来た道を戻らない、同じ道も通らない」ということ。物理的な意味で、本当の「道」の話。


知らない街をぶらぶらと歩いているとき。

そろそろ駅や宿泊先に戻ろう、と思ったとき、クルッと振り返ってそのままの道を戻っていく人は多いと思う。そのほうが確実だし、何も考えなくても安全に帰れる。きっとそれが、一番賢い最短ルート。

ところが私は、どんなに遠回りになろうとも、来た道以外がぜんぶへんてこな道だとしても、よほどのことがない限りは来た道を戻らない。疲れていても足が勝手に知らないほうへしか進んでくれない。変な坂を勝手に登りだすこともある。「やっぱり遠かった、、」と、ときどき後悔するけれど。

これも旅先なんかでは、わりと普通のことかもしれない。「今度はこっちの道を歩いてみよう」という程度の好奇心は、なにも自分だけがもっているものではないはずだ(そうであってほしい)。


しかし、私はこれを日常生活でもやっている。

たとえば、自宅から駅までの道。

これまでに住んだ家はどこも、駅まで向かうルートが何パターンかあった。といっても、クネクネした住宅街を真っ直ぐ行ってから曲がるか、曲がってから真っ直ぐ行くか、それくらいの違いなのだけど。

それでも毎日違う道を行く。曲がって進んで曲がって進むか、曲がって進んで進み続けて曲がるか。坂の急なほうを選ぶか、公園の横を通るほうを選ぶか。別にたいして風景は変わらないのだけど、行きと帰りで同じ道を通ることはほとんどない。

オフィスへの道だったり、なじみの取引先への道だったりもそう。定期的に向かう場所までに複数のルートがあり、かつ同行者がいなければ、ほとんどの場合は毎回違う道を通っていく。

地下鉄から地上に出るときも、時間に余裕さえあれば遠い出口からわざわざ出てしまうくらいだ。たぶんトータルすると相当な時間を無駄にしている気がする笑


この習慣は、生き方にもそのまま当てはまるかもなぁと思った。

たぶん私は、「来た道を戻りたくないし、同じ道を通りたくない」んだと思う。

人生は何パターンだってある。たとえば同じような仕事に就いたとしても、人との出会いや思わぬハプニングによって、きっと違う人生になるはずだ。自分自身も変化しているだろうし、前と同じようになることはたぶんない。

それはわかっているのに、過去にしてきた選択たちを無意識に排除してしまう。やったことのあることをもう一度やる退屈に耐えられない。


「ちょっとでも新しい世界があるなら、そっちの道を進んでみたい」

この感情が、あまりにも無意識ないつもの習慣とつながっていたことにびっくりして、もうこういう生き方しかできない宿命なんだとちょっと諦めた。

そんなことを考える小樽の夜でした。


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