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人生楽しいポジティブ腐女子がパワハラで適応障害になった話

(話の中で出てくる「エーステ」や「刀ミュ」は私が好きな2.5次元舞台の略称です。深く考えずにお読みください)

こんにちは、もしくはこんばんは。タイトル通り、人生エンジョイ中の腐女子です。昨今、某ウイルスのせいで2.5次元舞台や同人誌即売会に行けずフラストレーションは溜まりまくっていますが、何とか楽しみを見つけて人生をエンジョイしています。

今回なぜこんな自分語りみたいな記事を書こうと思ったかといいますと、大きな理由として「職場や学校で悩みを抱えているけれど、どうすればいいか分からない」と思っている方が意外と多いということを聞きまして、私の話が少しでも参考になったらいいなと思ったからです。実際、私もパワハラで苦しんでいるとき身近に参考例がなく、どうすればいいか分からない状態が続いてしんどかった記憶があります。ネットで調べてもふわふわとした参考例があるだけ。これじゃ分かりづらいよなあと思いました。

といっても、私はカウンセリングなどの専門家ではありませんし、適応障害の治療のことなどについて詳しく話せることはありません。ただ「適応障害と思われる症状はこんな感じ」や「どの程度のレベルで病院に相談したか」など、モデルケースとして記しておけば誰かのお役に立てるかなと。個人差があることですので一概には言えませんが、何か悩みがある方には心の隅っこの方にでもとどめていただけると幸いです。


少し前置きさせていただきますが、タイトル通り私は前向きポジティブなのが取柄で、悩むことはあっても「そんなことより寿司食いてえ」とスシ○ーに一人で赴くような人間です。今まで人間関係などでハゲるほど悩んだことももちろんありますが、周りから見ても自分自身でも、明るくて楽観的なタイプだと思っています。だからこそ自分が「適応障害」なんて精神的な病に悩まされることになるとは、1ミリも思っていませんでした。

パワハラの詳細については、書く私も読む方も気分の悪くなる話ばかりなのでほとんど割愛させていただきますが、要は世間一般の人間が思い浮かべるような典型的なパワハラをイメージしていただければと思います。身バレが怖いので職種等は明かせませんが、私は職場の人間すべてからパワハラを受けたわけではなく、とある中年女性からターゲットにされて集中攻撃を浴びました。私を庇ってくださる方もいましたが、中年女性の上司があまりにも日和見主義で、かつその女性の言いなりになっていたため事態が悪くなる一方といった感じでした。挨拶しても無視や舌打ちをされる、やり方を教わっていない・担当したこともない仕事を押し付けられてできていないと叱責される、休憩時間の過ごし方で怒鳴られる・・・などなど。正直受けたパワハラを書いていては本題に進めないくらいの数なのですが、分かりやすいものを挙げるとこんな感じです。今でも書いているだけで思い出して吐き気がしますね。よくこれで生き伸びれたなあ。私は職場に入って一年目、そして新卒でした。社会人一年目でこんなモンスターに遭遇してしまった自分の運の無さを呪うばかりです。



さて本題です。パワハラが始まったのは6月ごろ。少しだけ職場に慣れてきたころでした。最初は「当たりの強いおばさんがいるんだな」くらいの認識でした。仕事を覚えるのが遅いので、毎日「あ~今日も仕事か~がんばれるかな~・・・」なんて不安にはなっていたし憂鬱でもありましたが、慣れるまでの辛抱だよなと思い直しては仕事に向かっていました。そしてオタクなので「来週には刀ミュの円盤くるな~」とか「エーステのチケット当たる気がしねえ・・・」とか「今度のアニカフェ何着ていこうかな~」なんて考えていれば、仕事の不安も薄らぎました。基本的に寝たら悩みを忘れる人間なので、仕事のことで悩んで帰ってもベッドでpixivやTwitterを徘徊していれば入眠できていました。腐女子って幸せ。腐女子最高。

ところが、そんな前向き人生エンジョイ腐女子の私の体に、徐々に異変が起こり始めました。今思えば、頭で自覚するよりも先に体の方がストレスでSOSを叫んだのだと思います。

まずは下痢。

汚い話ですみません。便秘や下痢で悩んだことなかったくらいお通じに関してはパーフェクトマンだったんですが、6月ぐらいから毎日下痢をするようになりました。職場で。家だと平気なのに、職場に行くとすぐトイレ。めっちゃお通じ良くない?老廃物めちゃ出てんじゃん~とか思ってた私はバカでした。

そして蕁麻疹。

パワハラババア(中年女性のことです)と話して終わると、数分後に腕や太ももなど皮膚の柔らかいところが真っ赤に腫れあがるようになりました。そしてもう痒い痒い。推しCPの甘酸っぱい恋模様を見て「こそばゆいよ~!」なんていう痒みならいくらでも耐えられますが、この蕁麻疹の痒みは本当に耐えられませんでした。先輩に「それ大丈夫?怪我?」と心配されるほどの腫れ上がりよう。痒いと人間は何をするか。掻くんですよね。そしたら、自分の爪で皮膚をひっかくことになって、血が出るようになる。今でも少し痕が残っているんですが、太ももの方は一時かさぶただらけでした。私グロネタは地雷なんですけど、まさか自分の腕や足がグロネタになるとは思ってませんでしたよね。

この段階で内科と皮膚科行けよって話なんですが、

私はそれに思い至らなかった。ほっといたら治るでしょ~と楽観視してました。というか、下痢も蕁麻疹がストレスによるものだと思っていなかったんですね。ストレスでそんな症状が出るなんて知らなかったんです。人生初体験だったので。



そして8月ごろ。パワハラババアの本領が発揮され始めたころです。

私は謎に寝汗をかくようになりました。

起きたらTシャツの胸元までびっしょり。夏だから暑かったんじゃないの?と思われた方、いますよね。私もそう思ってました。私は汗っかきで普段から秋ごろまで汗をかいている人間だったのでさほど気にも留めていなかったのですが、お医者さんに言うと「ストレスによる場合もあるよ」と教えていただきました。ストレスによって自律神経が乱れて云々・・・だそうです。(気になる方は調べてください)

この寝汗は12月ごろまで続きました。12月は、私が休職した月です。休職して一週間もしないうちに、寝汗はぴたりと収まりました。その時「え、ストレスって寝るときまで影響するの・・・?」とやっと気づきました。おバカ。今思えばこの寝汗と共に、頻繁に夢を見るようになりました。職場の夢です。夢の中には、パワハラババアがいました。そして私を叱責したり、鼻で笑ったり。今思い出してもむかつきます。他人を鼻で笑うとかどんな教育受けてんだ鼻フックしてやろうか。

それまでは推しや推しCPが出てくる夢とかチケットが5枚当たる夢とか、推しが初めて2.5次元化する夢とか・・・幸せな夢ばかり覚えているような人間だったんですが、毎日のように悪夢が続きました。


振り返ってみると、このあたりから私は徐々におかしくなっていきました。

私はいわゆる二次創作というものが好きで、ちょこちょこ小説を書いたりしてます。が、このあたりからまっっっっったく書けない日々が続きます。ネタが降りてこないんです。そして休みの日になってもパソコンに向かえない。数か月に1回か2回はpixivに作品をアップしてたんですが、7月から12月の間休職するまでは1回もちゃんとした作品が完成しませんでした。これも危なかった兆候です。頭がストレスに支配されて、うまく回らずに公私が切り替えられなかったんだと思います。

そしてここから一番危険な域までいきます。

夏ごろから、私は通勤中に「ここで事故に遭えば仕事に行かなくていいな~」と思うようになりました。

私は車で通勤しており、片道40分ほどかかっていました。その40分間、私はずっと「今赤信号でつっこめば事故ったから休むって言えるよな」とか「さっきの右折車、こっちに突っ込んできてくれたらよかったのに」とか。そんなことばかり考えていました。そして「死ぬのは嫌だけど、事故で入院出来たら職場に行かなくて済むのにな~」なんて。まるで夕飯のことを考えるようなライトさで、事故に遭いたいと思っていたのです。今思えばめちゃくちゃ怖いし、何もなくてよかったの一言なんですが、当時は本気でした。本気で、事故に遭って骨折でもして職場に行けなくなりたいと思っていました。もっと言うと、職場に行くのは良かったのです。ただただパワハラババアに会いたくない一心でした。

余談なんですが、そんな私をギリギリ引き留めてくれていたのは、推しでした。めちゃくちゃ滑稽なんですが、当時の私は「今右折したら事故れるな」と思った時にふと「あ、でも来週エーステか。松葉杖じゃいけないじゃん。終わってからにしよ」と思い直し、アクセルを踏まなかったのです。その他にも「今日フォロワーさんとスカイプするから、事故ると迷惑かけるよな」とか「明日友達とご飯いくからやめとこ」とか「月末に刀ミュで宮城いくし、さすがに怪我してたら飛行機乗れないよなあ」とか。推しを舞台で演じてくださっている俳優さんの笑顔が頭に浮かんで急遽事故に遭うのを取り止める、なんてこともありました。めちゃくちゃおかしい話ですが、推しを見てから怪我しようなんて計画を立てながら仕事に行ってたんです。今だから言えますが、本当にありがとう推し。命を物理的に救ってくれたよ推しが。推しててよかった。マジで。

しかし逆に言えば、推しがいなければ私は今頃死んでいたかもしれません。交通事故に遭って骨折だけで済むなんて、そんな都合のいい話があるはずがないからです。私は交通事故で父を失っています。事故の恐ろしさは、自分が一番知っていたはずなのに。そんなことにも思い至らないほど、私は追い詰められていました。あとから母や友人たちにこの話をすると、揃って「あんたがオタクでよかった・・・!」と涙ながらに言われました。自分でもそう思います。交通事故に遭いたいなんて恐ろしい、こんな簡単なことがなぜ分からなかったのだろう、と。


そして、こんな簡単なことが分からなくなっていた11月中旬の話です。

パワハラの頻度が増し、職場に行こうとすると涙が止まらない事態が多々発生。

しかし何とか車の中で涙を引っ込めて、ほとんど意地で何でもない顔をして働いていたのですが、ついにその抑えも効かなくなっていました。ある日パワハラババアから激しい叱責を受けた私は、翌日出勤してから上司と先輩の前で初めて大泣きしてしまったんです。そんな私の様子を見た上司と先輩はその日から以前にも増して私を庇ってくれるようになったのですが、パワハラババアは一歩先ゆく卑怯さをもっていました。なるべく二人きりにならないようにしていたのに、わざわざ休憩室の中に入ってきて休憩中の私にグチグチと文句を言ったり、先輩が帰ってからパワハラしたり。狡猾に私を追い詰めてきました。その脳みそ他のことに使えよ、と今なら言えるのですが当時は恐ろしくてただ震えるばかりでした。

しかしここまで追い詰められていながら、私は病院へ行くという選択肢を見失っていました。頭に浮かびもしませんでした。それくらい、当たり前のことが当たり前に考えられなくなっていたのです。



私が心療内科を受診したのは、12月頭のこと。

見るに見かねた母親にほとんど無理やり予約を取らされ、病院に行きました。「退職するのが悩ましいなら、まずは休職してからゆっくり考えろ」と。休職には理由が必要だから診断書をもらってこいということで、受付の人にその旨を申告。そして初診者が受けるカウンセリング的なものを受けてものの5分後、診断書が出ました。私は頭の上に「???」が浮かびました。もっとこう、なんというか、本格的な聞き取りとか、そういうのがないと診断書って出ないもんだと思ってたんです。最悪、お医者さんから「これくらいで診断書は出せないよ」と言われる覚悟もしていました。ですが、結果は5分。今思えば、もう明らかに異常というかすぐに診断出さないとやべーやつだったってことですよね。


診断された病名は「適応障害」でした。

一回くらいは聞いたことあるけど、自分には無縁だと思っていた病気の名前でした。前述していますが私は前向きが取柄なので、こういったものには一切かかわりがない人生だと思っていたんですね。診断名がついたことで、私はなんというか、気が抜けました。あー病気だったんだ私。そりゃ蕁麻疹も出るし下痢も止まらんし寝ても疲れ取れないし、事故りたいって思うよなあ。すとん、と納得できた感じでした。

カウンセリングの内容は、ごくごく簡単なものでした。(お医者さんにもよると思いますが)今日はどういったご相談でしょうか?と聞かれるとこから始まり、症状が身体的に出ているか・どんな時に出るか・きちんと睡眠はとれているかなどを聞かれました。そして「仕事に行く前どんなことを考えますか?」と聞かれて「事故に遭って仕事に行けなくなればいいのに、なんて考えちゃいますね」と答えると、話を聞いてくださったお医者さんも隣で話を書き取りしていた看護師さんも、顔色を変えました。なんか妙に覚えているんですが、看護師さんに泣きそうな顔をされたんですね。そこで初めて、私は「こう考えるのって変なのかな」って思いました。いや遅すぎますけども。

5分で出た診断書には、次の日から休職させるようにという記載がありました。「あの、明日出勤予定なんですけど・・・」と言うと「出勤?何言ってんの、休みなさい」と一言で斬られて終わり。何で出勤しようとしてたんですかね、私。あんなに休みたかったのに。とにもかくにも、診断書を即座に出してくれたお医者さんには感謝でいっぱいです。ありがとう。そしてその診断書を手に持ちながら、上司と人事課に電話。お医者さんはああ言ったけどいつから休めるかな、引継ぎしなきゃいけないからなあ・・・なんて考えていたのですが、診断書に書いてある病名と休職開始の日付を伝えると問答無用で次の日から休みになりました。(後で聞いたのですが、どうやらパワハラババアのことを先輩たちに相談していたのが効いたらしく、そんな状態で仕事なんて来させなくていいと先輩たちが上司と人事課に進言してくれたようです。)

ちなみに、これは病院によって色々だとは思いますが私の場合は診断書出してもらうのに5000円ほどかかりました。解せぬ。パワハラババアに払ってもらわねば気が済まん。なんで私が5000円も自腹切らなきゃなんねえんだよ。てめーのせいだろ。とは思いましたが、とりあえずお支払いはしました。このあと半年ほど通院していますが、通院費も自腹です。解せぬ。


話を戻して。「どのタイミングで病院へ行ったかという指標になればいいと思って書いている」といいましたが、ぶっちゃけ私のタイミングでは遅すぎだったんですね。ギリギリだったね、とお医者さんに言われました。年を越してたら本当に事故に遭っていたかもしれない、もっと酷い症状(鬱病など)になっていたかもしれない、とのことでした。なので経験談としてお伝えしますが

「(死ぬのは嫌だけど)事故に遭ったり病気になったりして、仕事に行けなくなるようになりたい」と思うことは黄信号通り越して赤信号だと考えてください。

そしてそれを当たり前のように、今日のご飯何食べようかな~みたいなノリで考えているなら、マジでヤバいです。要は「死にたい」と明確に思って自殺する人よりも、私のように「あそこに行きたくない、あの人に会いたくない」という理由で事故を起こしたり線路に飛び込んだりして、結果的に死んじゃう人の方が圧倒的に多いということなのです。私は身をもって理解しました。


そしてこれは気になる人がいると思うんですが、適応障害の治療って何するんだ?ということです。

私の場合は、特別なことは何もしていません。2週間に一回カウンセリングを受けているのみです。睡眠導入剤などを処方してもらえる場合もあるそうですが、お医者さんは一言「貴方は仕事から離れたら治りますよ」と。つまり、ストレスの原因から離れたら自然と心身が休まって快癒するということ。適応障害ってぶっちゃけそういう場合が多いみたいです。その対象から離れられないから苦労するんですけどね・・・。

結論から言うと、そのストレス要因から離れない限り根本的な解決にはならない、ということです。


逃げるようで癪かもしれませんが、逃げないと死ぬなら逃げるが勝ちです。そしてその逃げるタイミングですが、個人的には蕁麻疹のあたりから逃げる準備をしとくべきだったなと思いました。つまり、最初の方です。蕁麻疹が出てる時点で、たぶん異常だったのです。けれど私は、逃げることが頭に思い浮かばなかった。代わりに毎日考えていたのは、こんなことです。

「これくらい乗り越えられなきゃ社会でやっていけないんじゃないか」

「新卒で苦労しといた方があとから楽なんじゃないか」

「他にもしんどそうな人いっぱいいるし、私だけじゃないだろう」

「これくらいで仕事辞めたら後が大変かもしれない」

誰に言われたわけでもありません。でも私は、そんな風に思ってました。友人曰く「そんな風に考える人が鬱になるんだよ!」とのことでしたが、まさにそういうタイプだったんだなあと後から理解しました。お医者さんも仰ってたんですが、こういう考え方する人は誰に言われずとも追い詰められやすいそうなので、特に注意してください。経験者が言うので嘘ではないです、マジで。特に「他にも自分以上に辛い思いをしている人はいっぱいいる、これくらいで辞めるのは甘えだ」みたいな考え方に陥ると取り返しがつかないことになります。よく考えたら分かることなんですが、人間のキャパってそれぞれ違っていて、周りの人がしんどくなくても自分がしんどければそれが答えなんですよね。マラソン選手はフルマラソン走れるけど、私は50メートル走だってきつい。そういうことだと思います。


私はまだ前向きで楽観的な方なので、休めば心身ともにだいぶ回復しました。退職もできたし、就活も徐々にですが始めました。けれど普段から真面目にきちんと物事に取り組んでいる人は、休んでも休んでも回復しきれない域にまで達してしまうかもしれません。そうなる前に逃げるのが大事なんだと思います。

文章めちゃくちゃで何言いたいのかよく分かんないですが、

とりあえず一つ言えるのは、診断書は最強でしたってことですね。

なので何かから逃げたいと思っている方は、お医者さんにレッツゴーするのも一つの手だと思います。ていうか行った方がいいです。そこから逃げる手段を探していくのもありかと。逃げないという選択は、たぶん最後にした方がいいと思います。自分の人生を守れるのは、結局自分しかいません。


それでは、このあたりで終えたいと思います。こんな長ったらしい文章を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。私のこの話が、何かのお役に立てましたら幸いです。

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