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己との戦いに挑む

【エッセイ】人間誰もが持つ罪悪感。
罪悪感の正体を暴くため、野良猫侍が
立ち向かう。


拙者をお忘れか?

拙者、野良と申す。

おぬしの味方じゃ。

今宵、おぬしの宿敵
「罪悪感ブラザーズ」を成敗いたす。

罪悪感。
こやつは全人類のなかに潜み、人間に
ネガティブな現象をもたらしている。

説明しよう。
罪悪感には2種類ある。
①理由なき罪悪感
よくよく考えてみたらなんでそれが「悪」なのか意味不明のもの

②理由のある罪悪感
「やっちゃったな…」
「悪いことしちゃったな…」
自分の行いを改めるべきもの

拙者広辞苑より🐾


今宵、罪悪感②を成敗いたす。

おぬしは案ずる。
「やっちゃったな」
「悪いことしちゃったな」

何故おぬしはそれを相手に
言ったのか、やったのか?

それは

おぬしの心が
「傷付いたから」でござる。

相手が「悪い」のではなくて
おぬしの罪悪感 (劣等感) が反応した

反応と同時に自己防衛という名の
攻撃 (相手を責める) に出たのである。

説明しよう。
罪悪感と劣等感はセットである。
「私が○○だから ←(○○が劣等感)
ダメ、いけない、悪いのだ←(罪悪感)」

拙者広辞苑より🐾


おぬし的には
相手が悪いから、間違ってる
(と思ってる)から
相手にそれを言った、やった。
(又は心の中でそう思い相手を責めてる)

己が
「どのように傷付いたか?」ではなく

相手が
「いかに悪いか間違ってるか」
を説き伏せる

相手の罪悪感を攻撃する
という必殺技でござる。

この技は
己の罪悪感 (劣等感) を
感じないように済む技であり

おぬし的には己の劣等感から
己を守る術なのだが

相手からすれば
攻撃に映るのである。

しかも

おぬし的には防御のつもりでも
己の心を守れていない。

守ろうとすればするほど
実際には傷付いていることが殆どである

   (ФωФ)/   \(ФωФ)オリャー

刀で戦の図🐾


では、何故
おぬしは相手を攻撃したのか?

それは
おぬしの心が傷付いたから
(悔しかった・悲しかった・怖かった)

そして
己の劣等感を
見たくないからでござる。

己の劣等感を見て
自己嫌悪に陥りたくない

外からくる痛みよりも
内からくる痛みのほうが
至極強烈なのである。

(それ故、相手や出来事のせいにする)

案ずるでない。

この、相手の罪悪感を攻撃する
という必殺技は子供から大人まで

人間誰もが無意識に使っている技であり
罪悪感 (劣等感) を持たない人間など
この世にいないからである。

だがしかし

この必殺技を繰り返している限り
おぬしの罪悪感 (劣等感) は消えにゃい

何故なら
「罪悪感 (劣等感)」=「心の傷」であり

心の傷は相手の罪悪感を攻撃しても
(誰かや何かのせいにしても)
癒されないからである。


ここは拙者にお任せあれ🐾

「おてまえ頂戴いたします」

おぬしは茶室に招かれ
至福の一杯を堪能して癒された。

癒しが起こり、おぬしは緩む。

緩んだおぬしは
相手の罪悪感を攻撃するコマンドを
削除した。

ちなみに

自分が悪かったと認めることと
自分を責めることは全くの別物じゃ。

そこは素直に「ごめんなさい」
でよいのである。

罪悪感ブラザーズ、観念せい🐾

罪悪感①と罪悪感②で
戦い方 (解消の仕方) が違うのである。

それは本当に自分が悪をもって
成そうとしたことなのか
自問するとよかろう

罪悪感①の場合、それは
罪でも悪でもないことが殆どである。

②のほうが手強いかもしれにゃい

己の劣等感を直視して
相手や出来事のせいにせず
己のすべてを認め受け入れ
赦すのだから。

だが、おぬしと罪悪感ブラザーズの
チカラの差は歴然。

おぬしが本気を出せば
容易く戦に勝利するであろう。

なにせ、おぬしはこの戦の
総大将であるのだから。

己の傷を見ない限り
己を超えることはできないのである。

共に戦いましょうぞ(ФωФ)/


是にて御免🐾

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