【読んでみました中国本】「対岸の火事」と思う人こそ読むべきお話:温又柔「真ん中の子どもたち」

今年の芥川賞候補作となった作品ですね。以前も書いた通り、わたしはおとなになってから小説をほとんど読まなくなってしまったので、この本の存在に気づくのも遅かった。気づいたのは、何を隠そう、芥川賞が決定して日頃中国に関わる知り合いたちがフェイスブック上で残念がっていた時だった。

…遅すぎやろ。はい。

でも、その時初めて「温又柔」という作者の名前を見て、「ペンネーム? にしてはこれまた…」と印象に残った。名前が見事に「『温かく』又『柔らかい』」という中国語になっている。中国国内では確かに、「展・望」さんだとか「考・試」(「試験」という意味)だとか、「え?」と思う名前を見たことがあるが、そんな一見お手軽な名前は台湾や香港、あるいは東南アジア系の華人では見たことがない。

調べてみると、温又柔というのはご本名らしい。そうなると、娘にこんな名前をつけて、さらに日本に連れてきたご両親はどんな人たちなんだろうと気になった。他の著作で描かれているのかもしれないが、この「真ん中の子どもたち」の主人公、琴子のように、著者のご両親の少なくともどちらかは文化系の学者ではないのだろうか。

わたしは、特に「温」という姓には親近感がある。もともと「よしこ」は高校で漢詩を教えていた祖父がつけてくれたもので、本名では「温子」と書く。香港で暮らすようになってから電話でレストランを予約したりする時に「貴姓?」(お名前は?)と尋ねられ、他の日本人のように「ふるまい」と言うと必ず「ハァ?」と不審げに返されるのが嫌で、いつからか「我姓“温”」(温です)と名乗るようになった。(電話の相手からすると、それまで広東語で予約してた人間が突然、中国人にない姓で答えたのだから、「へ?」となるのも分かるけど、あの香港人独特の「ハァ?」は尻上がりのトーンで、相手はあんまり気持ちのいいものじゃない。)

それ以来の中華圏の友人たちにはみな、「温子」と呼んでもらっている。おかげで日本の知り合いと中華圏の知り合いの間でわたしのことが話題に上がると話が通じなくなることもあるけれど、こっちのほうが断然覚えがいい。最初の本を出したときには、故邱永漢氏に「中華圏のこと書いているのにひらがなのペンネームはダメだ。中国人がわからない。漢字にしなさい」と言われ、ほんの短い間「ふるまい温子」にしてみたが、バランスが悪いのでその後はずっと「ふるまいよしこ」で通している。

それ以来、「お名前は?」「温です」と答えるのがわたしにとっての日常になり、そのやりとりがスムーズにいくと、自分が日本人であることを忘れることができる。時には「温家宝の温」と言ってみたりもする。そう、わたしは温一族の人間なのだ。王や陳ほど多くないが、中国人なら必ず知っている姓。

だから、「温さん」は知らない人でもわたしにとって大変親近感が湧く一族となる。

●「純粋な日本人」vs「偽の日本人」

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