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いじめっ子の定義

なぜ世の中には「弱いものいじめ」なるものが起こるのか?
…ということを先日、岩盤浴をしながら考えていた。まあ、岩盤浴というシチュエーションに特に意味は無いのだが、汗をかくうちに悪いモノが頭からも流れたと言うことだろうか。

さて、自分が他者に傷つけられた記憶、そして自分が他者を傷つけた記憶を色々振り返っていくうちに、個人的に思う「いじめっ子の定義」までたどり着くことができたので、ここに記したいと思う。

「いじめっ子とは、心技体のうち技と体に優れているが、それをコントロールできる心を有さない(足りない)者である」

…そこまで的外れではないと自負している。例えば、自分が観察するスポーツ界隈においても、選手やコーチが「弱いものいじめ」を起こすケースが後を絶たない。プレーヤー/コーチとしての「技」と「体」はあれど、人としての「心」が欠けていたのでは? と。

そうなると、よし! 心を鍛えて成長させよう! という流れになる。が、ここに落とし穴がある。心は技や体と異なり、数字での評価が極めて難しい。明確な評価基準が無いのだ。そもそも、人の内面を一方的かつ主観的に評価することは「いじめ」に繋がるのでは? とも思ってしまう。

結局、岩盤浴中はここで煮詰まってしまい、良き結論が出ないまま終わってしまった。「良い心の測り方」をどうするか? ひとまずこのことを、これからもぼちぼち考えていこうと思う

どうもです。このサポートの力を僕の馬券術でウン倍にしてやるぜ(してやるとは言っていない)