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緊急避難先としての本、そして本屋

真夏の空に、城のようにそびえる入道雲を見るたび、私は一人の老人のことを思う。
その人は、たったひとりで大海原へ出てゆき、カジキマグロと戦った。
彼の名はサンチャゴ。
『老人と海』(ヘミングウェイ)の主人公だ。

私にとって、彼は「生きること」を教えてくれた人生の師である。
こういう風に生きたい。
そう思った初めての人でもある。

本の中には、魅力的な人物がわんさかいる。
学生時代は、太宰の描くダメ男が心中したいくらい好きだった。
社会人になってからは、開高健のウィット溢れるエッセイに痺れた。
最近は『白鯨』のエイハブ船長の狂気が気に入っている。

彼らは、何度も私に読まれることで、すっかり私の一部になってしまった。
いや、逆に私の方が憑依されているのかもしれない。
別の人生の記憶がある、というのだろうか。
唐突に、蘇るのだ。読むことで体験した日々が。
私は確かにカジキと格闘したし、ダメ男だったし、ベトナム戦争に行ったし、捕鯨船に乗ったのだ。
私の魂は、彼らと融合してしまっている。

本は、ソウルメイトなのかもしれない。
大好きな本とは、それくらい深いつながりを感じる。
初めて読んだその瞬間から、本という媒体が消え失せ、ことばだけが、いや正確にいうならそこに描かれた情熱だけが、私の中に入ってくるような。
そんな、不思議な感覚になる本があるのだ。

これは、実際に読んでみなければわからない。
いくら友人に「いい本だったよ!」と勧められても、自分にマッチするとは限らない。
あてがわれた本では、やっぱり納得できない。
ソウルメイトな本は、どうしても自分の足で、手で、目で、心で、探し当てたい。

それなのに、このごろの本屋さんには同じような本しか置かれていない。
とってもとっても個人的で、千差万別、十人十色のタマシイのツレを探す場所であってほしいのに、「多数派に受ける」奴しかそこに居ない。
バスった、泣ける、全米が○○、ベストセラー・・・。
そういう飾りのついた、キラキラで「間違いない」本で飽和状態の棚を見ると、マイノリティな私は疎外感で悲しくなる。
「これを良いと思うのがスタンダードです」
そんな文言が聞こえてきそうだから。

今も昔も、本を読んでいるのは少数派なのではないだろうか。
特に純文学なんて、読むのに技術がいるし、マイノリティが主人公であることがほとんどである。
私が本を読むのも、少数派だからだ。
自分と同じような考えを持つ人に、現実世界で会えないから、本を読む。
分かち合いたい気持ちがあるのに、分かち合える人が目の前にいないから、本の中に探しに行く。
多数派だったなら、たぶん、こんなに本を読んでいない。
読む必要がない。
だって、不安に思う事なんてないだろう。
「自分って、普通じゃないのかな? おかしいのかな?」なんて。

こどもの頃、近所にあった本屋さんによく通ったものだった。
スーパーの一隅にある、とても小さなその本屋さんには、ベストセラーがなかった。
そのかわり、店長が選んで、読んで、感動した本だけが置かれていた。
どの本にも、手書きのPOPが付いていた。

今から30年以上も前、それも田んぼしかないド田舎で、ベストセラーを置かない(置けない、だったのかもしれない)セレクト本屋さんがあったなんて、今考えるとなんて贅沢だったのだろう。

「本が大好きなんだ!!!」という熱意でむんむんな店内をウロウロして過ごす時間が、どれだけ私にとって楽しかったか、嬉しかったか、店長に伝えられたらよかったのに。
私が本を貪るように読むようになったのは、店長の薦める「マイナーな本」たちのおかげだってことを、伝えられたらいいのに。

資本主義からはずれたその本屋さんは、私が大人になるまえに閉店してしまった。

お小遣いじゃなくて、自分で稼いだお金を持って、あの本屋さんに行きたかったなあ、と思う。
お給料の三分の一くらいをつぎ込んでみたかった。
そうしたら、今もあの本屋さんは同じ場所で営業していたかもしれないのに。

本屋さんは、ソウルメイトとの出会いの場なのだ。
もしくは、自分以外の自分みたいな誰かを知るきっかけの場所。
多様性の叫ばれる今、人の心に一番近しい本こそ、いろんな種類があってしかるべきではないだろうか。
多種多様な本に、実際に触れることができる。
そういう場所が、もっとたくさんあるべきではないだろうか。

「あなたみたいな人はひとりじゃないよー! 同じ悩みを抱えてる人が、昔も今もたくさんいるよー! ほら、ここにある本を読んでごらん! 同じ人が同じこと考えているんだよー! 大丈夫だよー!」
マイナーな本を並べた本屋さんに入るとき、そんな声を聴く思いがする。
勝手な妄想だけど、そうやって選ばれた本が、私を迎え入れてくれるような気がしてしまう。
もっと勝手に「私のために選んでくれているのかしらん?」なんて、ときめいてしまったりもする。

辛いこと、悲しいこと、難しい人間関係、明日への不安・・・。
そういうもので打ちのめされそうなとき、迎えてくれる本がある。
そういう場所がある。
心の緊急避難先として、本があるよ。
本屋さんがあるよ。
若い私がそうだったように、今の悩める若者にも、同じ場所があってほしい。自分のソウルメイトを探す場所を、ちゃんと用意しておいてあげたい。

だから私は、ビンボーだけど、できるだけ本は買うようにしている。
この本を必要としている人は、未来にも絶対にいるはず。
そう思うから。
本を買うことは、未来へのバトンをつなぐこと。
だれかの心のよりどころを確保すること。
環境とは関係ないけど、これは私のSDGsなのだ。





最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。