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たぶん、誰もが楽園を探してる。

ゴーギャンの絵を初めて目にしたのは、たぶん、小学生の時。
美術の教科書で、だったと思う。
タイトルは忘れてしまったけれど、たしか女の子の絵だった。
物憂げな瞳で、こちらをぼんやり見つめている。
その彼女の顔の暗さと、全体の色彩の淀みが、私にはとても怖かった。
お化けとか、妖怪とか、そういった類の怖さであるとともに、見てはいけないもの、いかがわしいものが持つ禍々しさがあった。

まさかそれが、彼の女神で、彼の楽園を描いたものであったなんて、当時の私が知ったらどう思っただろう。

私の思い描く楽園は「明るい光に満ち、色彩は目が覚めるように鮮やか、人々の顔は晴れやかで、鳥が歌い、花は咲き乱れる」ような場所だ。
大人になってから、来日展でホンモノのゴーギャンを観たのだが、やっぱり
私はその絵の中に楽園を見出すことはできなかった。

けれど、今なら。
『楽園への道』(マリオ・バルガス=リョサ 著 田村さと子 訳 河出文庫)を読んだ今なら、私はゴーギャンの絵の世界に入っていける気がする。

『楽園への道』は、ゴーギャンと、その祖母フローラが、それぞれの理想を求めて戦った人生の記録である。
ゴーギャンは描くべきだと思える楽園を、フローラは女性と労働者の尊厳を求めて、戦いぬく。

ゴーギャンの求める理想郷は、文明化されていない世界だ。そこでは、人々は動物のように自由奔放に性を愉しんでいる。
彼の故郷であるフランスはもちろん、キリスト教圏では口にすることすら憚られるようなものだ。
もちろん、フランス領であるタヒチでも同じことで、それゆえゴーギャンは次第に孤立していくことになる。

フローラの生きた時代、結婚して子供を産み育てることが女にとって「唯一の」幸せであると信じられていた。
けれど、彼女にとって、それは地獄を意味していた。
男に頼らず、自分の力で家族を養う。
そう決意して働きに出るが、賃金の安さと労働環境の劣悪さに衝撃を受け、この現状を変えるため「女革命家」として活動を始める。たった一人で。

二人とも、当時の社会規範から逸脱した「異端者」だ。
味方はごくわずか。世界のほとんどが敵だ。
それでも、彼らはへこたれない。曲げない。
心身ともにボロボロになりながらも、自分の理想を貫き通す。

自分に正直に生きる。それが難しいのは、社会に押しつぶされそうになるからだ。周りの人すべてに否定されて、それでもすっくと前を向いて、笑っていられるほど強い人なんて、そうそういない。
だから、自分の心に嘘をついて、社会に合わせて生きている。
『嫌われる勇気』なんてベストセラーがあったけど、実践した人はどれくらいだろう?
「こんなふうに割り切れたら、人生楽だろうなぁ」
とは思うけど、やっぱり嫌われる勇気はない。

それを、ゴーギャンとフローラはやり切った。
最後の最期まで、決して諦めなかった。逃げなかった。

『楽園への道』には、作者だか、神だかの声がちょくちょく出てくる。
「これは良かったね、フローラ」とか、「あのときお前は、こう感じていたんだよね、コケ(ゴーギャンのこと)」とか。
それが、とても良い。
味方のいない世界を生きる二人へ、理解を示してくれる存在がある。
それだけで、読んでいるこちらも救われる気がするのだ。

もし、ぼっちだった学生時代に、この声のような存在が寄り添ってくれていたら、どんなに心強かっただろう。
人付き合いが苦手で、コミュ障だった私は、休み時間はいつも教室の隅っこで本を読んでいた。
時々、クラスメイトの何人かに意地悪をされることはあったけれど、一人でいることは苦ではなかった。むしろ、大好きな本に没頭することのできる孤独な時間は、楽しみでさえあった。

けれど、教師はそれを良しとしなかった。親も、漫画も、映画も、教科書の例文すらも、私の孤独を否定した。
「友だちのいない人生は、人生ではないよ」。
「人はひとりでは生きていけない。社会性を身に付けなさい」。

彼らの声を聞くたびに、私の中の宝物が粉々になっていく気がした。
「ああ、私って駄目な人間なんだな。社会不適合者なんだ」
焦りと恐怖から、なんとか人の輪に入ろうとしたけれど、人といるとき、私は苦しくて苦しくて、そんな自分が情けなくて、悲しかった。

もし、あの頃の自分に声を掛けられるのだとしたら。
『楽園への道』の、語り手の声のようでありたいと、強く思う。
価値観を押し付けるのではなく、なぜあなたは孤独でいるのか、その理由に寄り添ってあげたいと思う。
そして、こう言ってあげたい。
「あなたにはあなたの楽園があるんだよ。他の人と同じ楽園を目指さなくてもいいんだよ。あなたは、あなただよ」と。

世の中には、いろんな考えの人がいる。
いろんな価値観がある。自分には想像も出来ないような人生を生きている人がいる。
いろんな人が、それぞれの「楽園」を心に持って生きている。
その楽園が、自分とは相容れないものだからといって、恐れたり、否定したり、拒絶したりするのはつまらない。
せっかくたくさんの楽園があるのだったら、それぞれを披露して、自慢しあったほうがずっと楽しい。
訪れたことのある素敵な場所を教え合うみたいに、自分の信念という「楽園」を語り合えたなら。

いつか、そういう世界になれたらいい。
それが当たり前になればいい。
楽園で溢れかえった世界。
今はまだ、道なかば。
私も、『楽園への道』を歩いている。








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最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。