とろける、お名前。
毎年この季節になると、私には「推し」が出来る。
それは、ピエール・エルメであり、パトリック・ロジェであり、ピエール・マルコリーニであり、ジャック・ジュナンであり、サダハル・アオキであり、エルマン・ヴァンデンダ―である。
彼らは全員、チョコレートを愛し、チョコレートに愛されし者。
世界的に有名なショコラティエである。チョコレートの神さまである。
普段の生活の中で、同僚や友人がアイドルなり歌手なりの名前を口にしては、顔を赤らめているのをとても羨ましく思っていた。
その私にも、2月だけは同じ気持ちが味わえるのである。
ピエール・エルメやパトリック・ロジェと口にするたびに、チョコレートの甘美な香りと、滑らかな触感がよみがえって、キュンとする。
なのでやたらと声に出してしまう。
「今年はピエール・マルコリーニにしようかなぁ、いやあでも、ジャック・ジュナンもいいよね、うーん、サダハル・アオキも捨てがたい~」
全てがご褒美なのである。食べるのも、名前を叫ぶのも。
バレンタインデーにはチョコレートを贈ろう、と決めた昔の日本人。
私はその方に深く首を垂れてお礼を言いたい。
食い物にしか興味のない私に、推しの名前を連呼する機会を与えてくださってありがとう、と。
しかし、願わくば、もう少したくさん名前を叫ぶ機会が欲しいものである。
年に一回とは、つまらないではないか。
私はチョコレートが大好きだが、和菓子も大大大好きである。
和菓子だったら、国内だからすぐに会い(買い)に行けるし、季節ごとにお菓子が入れ替わるから、頻度も最高だ。
ようし、3月は和菓子職人の名前をシャウトするぜ!!!
と、決意したのだが。
有名な和菓子職人って、誰なんだろう。
それっぽい名前を思い浮かべてみる。
鶴屋吉信、両口屋是清、亀屋良長、源吉兆庵(あ、名前じゃない)・・・。
って、全部屋号ではないか!
そういえば江戸時代、商人は公に苗字を名乗ることができなかったはずだ。つまり、老舗の店名は屋号であるしかない。
ということは、名前を残したくても残せなかった、という可能性がある。
もしかしたら、自分の名前を店名にすることを悲願としていた和菓子職人さんがいたかもしれない。
今は、店名に自分の名前を使っちゃだめ、なんて法律はないだろう。たぶん。
サダハル・アオキがあるんだから、「青木貞治」みたいな和菓子屋さんがあってもいいはずである。
なんとしてでも和菓子界に「推し」を作りたい。
その一心で、全国の和菓子屋さんを検索してみたけれど、店名=店主の名前というものは見当たらなかった。
しかたがない。
私にも、名前がわかる和菓子職人さんが3人だけいる。
我が町の和菓子屋さんは3店舗あり、それぞれの店主の名前である。
スタンプカードがいっぱいになると、常連認定され、毎年年賀状をくれるのだが、そこに小さく店主の名前が書いてあるのだ。
このお三方を、私の和菓子界の「推し」にする。
とはいえ、近所のおじさんの名前であるので、連呼はしづらい。
非常にしづらい。
ピエール・マルコリーニやジャック・ジュナンみたいに、連呼は出来ない。
その名を声に出すことすら、憚られる。
「義男(仮名)のあんこは絶品なのよね。くちどけが最高なの。でも、最中は忠義(仮名)が一番ね、あの皮の香ばしさ、他では食べられないわ」
なんて、とてもじゃないけど口に出来ない。
誰かに聞かれたら、私の人間性を疑われそうである。
ショコラティエは、その国を飛び出して、世界中に名を轟かせている。
だったら和菓子職人だって、もっと有名になってしかるべきではないか?
和菓子の美しさは、世界中のどんな人にだって響くはず!
あんこだって、食べ比べてみれば、職人ごとに微妙に味が違って奥深いぞ!
奥ゆかしさが日本の美意識なのかもしれないが、和菓子職人は、もっと貪欲に、わがままに、自分を押し出してもいいんじゃないだろうか?
いつの日か、和菓子の祭典が開かれて、お客さんが口々に和菓子職人の名前を連呼する。ピエール・エルメやパトリック・ロジェと同じように、その写真パネルの前で記念撮影をする。
そういう日が、きっと来る。・・・どうか、来てください。
しからば私は、推しの名を叫びながら、日本全国津々浦々、駆けずり回る覚悟である。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。