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1-17 イスラエル王国

  • 前931年頃:ソロモン王が死去。息子レハブアムが後を継ぐも、北方に入植した10の諸部族とシケムで会談した際にさらなる重税をちらつかせたため、北方諸部族はヤロブアム1世をイスラエル王とし、ヘブライ人の統一王朝はイスラエル王国(ヤロブアム王朝)とユダ王国(ユダ族とベニヤミン族)とに分裂。ヤロブアムは首都をシケムとする。ユダ王レハブアムはイスラエルを攻撃しようとしたが、預言者シェマヤに阻止された(しかし、両者の戦争は絶えなかったとも)。やがて、東ヨルダンのアンモン、モアブ、エドムの諸国はイスラエルから離反・独立。また、ソロモンの時代から100年の間に、アラム人がイスラエル王国のサマリアを包囲したが、戦車と軍馬の音に驚き、ヘト(ヒッタイト)人の諸王やエジプトの諸王の力をイスラエルが借りたと思い撤退している

上図:シリア・パレスチナ要図

出典:『古代オリエント全史』

上図:イスラエル王国とユダ王国の版図

出典:Oldtidens_Israel_&_Judea.svg: FinnWikiNoderivative work: Richardprins, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, ウィキメディア・コモンズ経由で
  • 前927年頃:エジプト王シェションク1世がユダ王国及びイスラエル王国に遠征(ユダ王位を主張し、かつてエジプトに逃亡していたヤロブアム1世を支持しての遠征であったか)。パレスチナの南部沿岸地方、ネゲヴ地方を攻撃し、後にパレスチナ中部・北部地方を侵略した。メギドやトランスヨルダンのマハナイムなどを占領し、イェルサレムを攻撃したか(攻撃はしていないとする説もある。ユダ王レハブアムがエジプトに朝貢し、侵攻を思いとどまらせたとも)。結果、ユダ王国はエジプトへ財宝を差し出し、貢納の義務を負わされたと考えられている。イスラエル王国も侵攻の被害に遭い、ヤロブアム1世が一時期トランスヨルダンに避難したとする説もある(トランスヨルダンで首都ペヌエルを建設。後に首都をティルツァとする)

  • 前914年頃:ユダ王アビヤムが即位。国境地帯にて、イスラエル王ヤロブアム1世に勝利し、イスラエルの南方領土を併合したと伝わる

  • 前909年頃:イスラエル王ナダブがペリシテ人の町ギベトンを包囲。しかし、その最中にバシャ(軍人か)に殺害され、彼がイスラエル王に即位。バシャはヤロブアムの一族を皆殺しにした

  • 前900年頃:アラム人が新ヒッタイト人とイスラエル人の両方と同盟を結ぶ

  • 前888年頃:ダマスクス王ベン・ハダド1世が即位。彼はユダ王と同盟を結ぶ。この頃、イスラエル王バシャはユダ王国と交戦。エフライム丘陵地帯南部を奪回し、ユダ王国の領土であるラマの町を包囲。しかし、そのときにユダ王アサの支援要請を受けたベン・ハダド1世がイスラエル北部に侵攻したため、バシャはラマの包囲を解く。しかし、結果的にはベン・ハダドがイスラエルの北端のいくつかの町、キネレト及びナフタリの全土(ヨルダン渓谷の西側、ガリラヤ湖に到るまでの地域)を奪取。以後も、ユダとイスラエルの争いは絶えず

  • 前887年:ティルスの神官エトバアルがペレス王を殺害し、王位を簒奪(エトバアル1世)。この時期、ティルスの覇権がシドンにまで及び、両国は同君連合のような状態となる。結果、エトバアルは「ティルス人とシドン人の王」と呼ばれ、フェニキア王を自称

  • 前886年頃:イスラエル王バシャが死去。ベン・ハダド1世との戦いで戦死したとする説がある。ベン・ハダドは上ガリラヤを一時的に占領

  • 前885年頃:イスラエル王エラが兵車隊の長ジムリに殺害され、ジムリが即位

  • 前885年頃:ジムリ謀反の知らせを受けた、イスラエル軍がギベトン包囲を解き、司令官のオムリを王として(オムリ王朝の成立)、首都ティルツァに進軍。ジムリは宮殿に火を放ち自害。この後、イスラエルでは、オムリ派とギナトの子ティブニ将軍に従う派閥で内戦が勃発し、オムリが勝利した。オムリはカナーン人の宗教を採用し、首都をティルツァからサマリアとする。また、ハツォルやメギドなどの都市も要塞化した(次王アハブの功績とも)。外交面では、子のアハブの妻にティルス王テバアルの娘を迎え、フェニキアとは通商条約を締結。一方でアラム人のダマスクスとは対立し、その王ベン・ハダド1世とアフェック(エン・ゲブか)を巡って戦う。また、オムリはトランスヨルダンにも勢力を拡大し、モアブを長期間にわたって圧迫。モアブ人に貢納を課し、支配下とした

  • 前880年頃:アッシリア王アッシュル・ナツィルパル2世がシリア・フェニキアの諸都市より朝貢を受ける

  • 前878年頃:イスラエルがアラム人に侵攻され、トランスヨルダンと西パレスチナの一部を喪失。しかし、アッシリアの台頭により、ダマスクスとイスラエルは協力関係に

  • 前873年頃:イスラエル王アハブが即位。彼はサマリアの建設を完成させた。また、トランスヨルダンへの支配を強めている

  • 前872年頃:ダマスクス王ベン・ハダド2世が即位。アハブ王は彼と東ヨルダンの交易路をめぐり交戦。ベン・ハダドはサマリアを包囲するも、奇襲によって撃退された。その後、アフェックにて再戦し、アハブがベン・ハダドを破る。ベン・ハダドは捕らえられ、アハブはダマスクスがオムリから奪った町々の返還を約束させる

  • 前858年:アッシリア王シャルマネセル3世が即位。彼は前826年までに35回もの遠征を繰り返した。シリア・パレスチナに数次にわたって遠征し、地中海にまで達する。また、ティルスとシドンに対して遠征し、貢物を収めさせ、ダマスクスを従属させた

  • 前853年:アッシリア王シャルマネセル3世がシリアに遠征。アレッポとハマトを占領し、カルカルを掠奪するも、ダマスクス王ベン・ハダド2世を中心とする、イスラエル王アハブ(彼が同盟軍の内、最も多く戦車隊を派遣した)、ハマト王ウルヒリナ、エジプト王オソルコン2世、フェニキアのアラドス、アンモンなどの反アッシリア同盟(12の王国の連合)が、およそ10万のアッシリア軍とオロンテス川近郊で激突(カルカルの戦い)。結果、アッシリアの撃退に成功し、アッシリアの進出は一時停止。なお、この戦いで反アッシリア同盟軍はアラブ王の用意したラクダ部隊も用いていた。この戦いの後も、同盟軍はアッシリア軍と交戦しており、ダマスクスは5、6度もアッシリア軍と戦ったという

  • 前853年頃:ユダ王ヨシャファトの子ヨラムとイスラエル王アハブの娘アタリヤが結婚することで、南北両王国の同盟が強化される(イスラエルに服従したとも)

  • 前853年頃:アハブ王が、ヨルダン川東のラモト・ギレアドをアラム人の支配から奪還しようと出陣するも、ダマスクス王ベン・ハダド2世に敗死(ラモト・ギレアドの戦い。諸説あり)

  • 前850年頃:トランスヨルダンのモアブ王メシャがアタロトのイスラエル人を破り、占領。住人を全滅させる。イスラエル王ヨラムはユダ王ヨシャファトとともにメシャ討伐を敢行したが、敗北。モアブはイスラエルから独立を達成

  • 前848年頃:ユダ王ヨシャファトが死去。以後、ユダ王国は衰退。後継のユダ王ヨラムはペリシテ人とアラビア人の侵攻を受け、息子らを捕虜として連れ去られる。なお、ユダ王ヨラムはイスラエル王ヨラムと同一人物で、イスラエル王がユダ王国をも支配していたとする説がある

  • 前841年頃:イスラエル王ヨラムとユダ王国の王アハズヤがダマスクス王ベン・ハダド2世と激突。しかし、両王はラモト・ギレアドで敗北(ヨラムは負傷)。この後、イスラエル王国の預言者エリシャはダマスクスに赴き、軍司令官のハザエルにベン・ハダド2世を殺害させる。そして、ハザエルがダマスクス王として即位。この後もダマスクスはイスラエルやアッシリア、トランスヨルダンのアンモン人などと抗争を展開。結果、イスラエル王国の諸都市を攻略、ヨルダン川東の全域をイスラエル王国から奪取した

  • 前841年頃:預言者エリヤと預言者エリシャの後押しをうけて、イスラエル軍司令官イエフが王を名乗り(イエフ王朝)、イズレエルに進軍していたヨラムを殺害。ヨラムを訪問していたユダ王アハズヤの命も狙う

  • 前841年:アッシリア王シャルマネセル3世が4度目のシリア侵入を開始。ダマスクスに遠征し、包囲するも攻略できず。その途上にて、ティルスやシドンなどのフェニキア諸都市、イスラエル王イエフなど、5つの地域から朝貢を得る

上図:シャルマネセル3世にひれ伏すイエフの図(黒色オベリスク)

出典:GFDL, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, ウィキメディア・コモンズ経由で
  • 前840年頃:イエフがユダ王アハズヤを殺害。アハズヤは逃げる途中に矢で撃たれ、メギドで死亡したとも、サマリアに隠れていたところを見つかり、処刑されたとも伝わる。イスラエル、ユダの両王を殺害した結果、イエフは南北の両王国を支配。イエフのもとで、カナーン的祭儀は粛正された。ユダ王にはオムリの孫娘で、ヨラムの妃であったアタルヤが即位。彼女はヨラムの息子をすべて殺して、ユダ王家を滅ぼそうとするも、ヨアシュだけは取り逃した

  • 前838年:シャルマネセル3世が5度目のシリア遠征を実施。ダマスクスを包囲し、ティルス、シドン、ビブロスから朝貢を受ける。この時には、イエフがアハブの妻であったイゼベル(ティルス王女)を殺害し、イスラエルとシドンの同盟関係はすでに終了していたか(ティルスとの同盟も終了か)。この後、シャルマネセルはシリア・パレスチナを放棄して、南アナトリアへ向かったため、ダマスクスのハザエル王はイスラエルへの攻撃を開始。結果、イスラエル王国はトランスヨルダン北部を失い、ガトにまでハザエルは遠征

  • 前835年頃:ユダの女王アタルヤが近衛兵(イスラエルから送り込まれていた兵士であったとも)に殺害される。そして、アハジヤの子ヨアシュがユダ王に即位(ダビデ王朝の復活)。アタルヤが崇拝していたバアルの神殿は破壊される。彼の治世にはダマスクス王ハザエルが攻勢を強めており、ハザエルがイェルサレムにまで攻め上った際、ヨアシュは彼に貢ぎ物をして難を逃れている(ヨアシュ王はイスラエル諸都市やトランスヨルダンの地域を奪回したとも)

  • 前818年頃:エジプト第23王朝が成立。第23王朝はイェルサレムを掠奪している

  • 前813年頃:イスラエル王ヨアハズが即位。彼はダマスクス王ハザエルの侵略を受ける

  • 前805年:アッシリア王アダド・ニラリ3世がダマスクスを包囲。ダマスクス王ハザエルはアッシリアに朝貢した

  • 前805年頃:ダマスクス王ベン・ハダド3世が即位。彼はイスラエル王国を侵略し、領土を奪い取って属国とする。また、ユダ王国も屈服させた

  • 前800年:アッシリア王アダド・ニラリ3世がシリア及びフェニキア(シドン、ティルスなど)に進出し、これらの地を支配下として朝貢を受ける(ペリシテ人の諸都市もアッシリアの朝貢国となった)。また、ダマスクスの攻略にも成功。加えて、ユダ王国からも朝貢させた

  • 前797年頃:イスラエル王ヨアシュが即位。ダマスクスの弱体をみて、失地の大部分を奪回。一方で、シリア遠征を実施したアッシリア王アダド・ニラリ3世に対しては、ティルスやシドンと同様に貢納している

  • 前796年頃:ユダ王ヨアシュが家臣に殺害され(ダマスクスに貢ぎ物をしたことが原因か)、アマツヤがユダ王に即位。アマツヤは直ちにヨアシュ殺害犯らを殺害する。イスラエル王国と要衝ベト・シェメシュで激突するも、イスラエル王ヨアシュに敗れ捕らえられる(後に解放された)。ヨアシュはそのままイェルサレムに進軍し占領。城壁の一部を破壊して、財宝を掠奪した。また、この時までにイスラエル王国は勢力を回復させており、ダマスクスから、ヨアハズ王の治世に失った領土を回復している

  • 前782年頃:イエフ王朝のヤロブアム2世が即位。彼の治世がイスラエル王国の最盛期で、彼はシリアのハマトから死海までを領有

  • 前773年:アッシリア王シャルマネセル4世がダマスクスを攻撃するも戦死。結果、シリアの大半をアッシリアは喪失。以後、後継者争いも発生

  • 前760年頃:ヤロブアム2世がダマスクスを破り、占領に成功

  • 前747年頃:ヤロブアム2世が死去。王の晩年には、トランスヨルダン北部のロ・ダバルとカルナイムの征服にも成功したが、王の死後にイスラエル王国は衰退

  • 前747年頃:イスラエル王ゼカルヤがシャルムに殺害され、イエフ王朝が断絶。しかし、そのシャルムも1ヶ月後にメナヘムに殺害された(メナヘムはイスラエル王に即位)。シャルムとメナヘムはトランスヨルダン出身であり、トランスヨルダンの一団がイスラエルの政権を乗っ取ったとする説がある

  • 前743年頃:アッシリア王ティグラト・ピレセル3世がシリア北部に侵入。アッシリア帝国の勢力を回復させる

  • 前742年:アッシリア軍がハマトを占領。これに対し、イスラエル王国の王メナヘムはアッシリアに降伏し、貢納する

  • 前742年頃:イスラエル王ペカフヤが即位。アッシリアに隷属

  • 前740年頃:ダマスクス王レツィンが即位。彼は東ヨルダンのバシャン、ゴラン、北ギレアドを回復

  • 前740年頃:イスラエルのペカがアッシリアへの抵抗を名目としてクーデタを起こし、イスラエル王ペカフヤから王位を簒奪(父王メナヘムがアッシリアへの朝貢のために裕福な市民から銀を徴集したことなどが反感を買ったか)

  • 前739年頃:ユダ王ヨタムが即位。彼の治世にシリア・エフライム(ダマスクス・イスラエル)連合軍がユダを攻撃

  • 前738年:ティグラト・ピレセル3世がシリア・パレスチナに遠征し、シリア北部の連合軍を撃退。シリアとアナトリア東部に貢納を強制した。この年までに、クエ、タバル、トゥワナ、サムアル、メリド、クンムフ、グルグム、カルケミシュ、ハマト、ダマスクス、カシュカ、イスラエルなどのシリア・パレスチナの諸王がアッシリアに朝貢。ビブロスを除く北部フェニキアの沿岸都市はアッシリアの属州となった

  • 前735年頃:アッシリアがユダ王国と組んで、イスラエル王国を攻撃

  • 前734年:ユダ王アハズがアッシリアに朝貢

  • 前733年頃:アッシリアがガザを占領。これに対し、ダマスクス王レツィンとペカが他の諸国とともに反アッシリア同盟を結成。しかし、ユダ王国の王アハズはこの同盟に参加せずに親アッシリア政策をとった。そのため、同盟諸国はイェルサレムを包囲(シリア・エフライム戦争)。ティグラト・ピレセルはイェルサレム神殿の宝物と引き換えにアハズを救援。反アッシリア同盟軍を破り、イェルサレムを攻囲から解放した。その上、アッシリア軍はイスラエルを劫掠する。また、ティグラト・ピレセルはガリラヤ地方やトランスヨルダンの征服を進めた。以後、ユダ王国はアッシリアに臣従

  • 前732年:アッシリア王ティグラト・ピレセル3世がダマスクス王国を滅ぼす。ラヒアヌ王は殺害され、ガリラヤなどイスラエルの北部もアッシリアが制圧。イスラエルはサマリア周辺のみの領土となる。更にアッシリアはセム系諸民族も破り、全シリアを掌握することに成功した

  • 前732年頃:イスラエル王国の民衆がホシェアを立てて、ペカを殺害。ホシェアを王とする

  • 前731年:イスラエル王ホシェアがアッシリアに朝貢

  • 前727年:ティグラト・ピレセル3世が死去

  • 前727年頃:エジプトのサイスにてエジプト第24王朝を創始。これに対し、ヌビアの第25王朝のピイ王がエジプトに侵攻を開始し、メンフィスを攻略。結果、一時的にピイ王がエジプト統一に成功

  • 前724年頃:ホシェア王がエジプトと結び、アッシリアへの貢納を拒否。これに対し、アッシリア王シャルマネセル5世はホシェアを捕らえ、イスラエル王国の首都サマリアを包囲

  • 前722年頃シャルマネセル5世(次王のサルゴン2世とも)がサマリアを攻略し、イスラエル王国が滅亡(エフライムなどの10支族の滅亡)。多くの住民が強制移住させられた。また、ユダ王国と他の小国がアッシリアの属国に

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