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1-15 古代パレスチナ(前7600年頃~前1275年頃)

  • 前7600年頃イェリコにて、堅固な要塞をもつ最古級の都市が建設される。イェリコには城壁と周濠、見張り塔が築かれた

上図:イェリコ遺跡

出典:Wikipedia
  • 前6850年頃:イェリコの住居群が焼き払われる。掠奪戦争であったか。イェリコ人らはやがて強力な敵の襲撃を受け、アイン・ガザルに逃れて文化を移す

  • 前3100年頃:セム系のカナーン人がシリア・パレスチナに入植し、都市国家を建設。イェリコやメギド、ラキシュなど

上図:シリア・パレスチナ要図

出典:『古代オリエント全史』
  • 前3000年頃:上下エジプトが統一され、エジプト第1王朝が成立

  • 前2975年頃:エジプトのジェル王がセチェト(南パレスチナかシナイ半島に位置する)に交易もしくは軍事遠征を実施。ジェル王の2代後のデン王は南パレスチナに遠征。砂漠の遊牧民も打倒したという

  • 前2686年頃:エジプト古王国時代が始まる

  • 前2321年頃:エジプト王ペピ1世が即位。彼の時代には、寵臣ウェニが南パレスチナに数度遠征し、その地を平定。交易路の安全確保を図っている

  • 前2200年頃:アムル人がシリアに侵入(~前2000年頃)。アムル人はシリアのステップ地帯で牧畜を営んでいたか。この影響で、ダマスクス、ビブロス、ハツォール、イェルサレム、アシュケロンなどで王政の都市国家が誕生したか

  • 前2181年頃:エジプト古王国時代が終焉。エジプト第1中間期始まる。下エジプトでは無秩序状態が生まれ、国境が無防備となったために、アジアからは遊牧民が浸透・定着した

  • 前2122年頃:エジプト第10王朝が成立。この頃のデルタには西アジアから遊牧民が繰り返し侵入している

  • 前2100年頃:メソポタミア、エジプト、シリア、パレスチナ、アナトリア各地にハビルが出現。彼らはエジプトの権威に従わず、不当占拠や略奪などを行っていたと考えられ、伝統的社会制度に組み入れられない人々を指していたか

  • 前2035年頃:エジプト第11王朝がエジプトの再統一に成功し、エジプト中王国時代が始まる

  • 前1997年頃:エジプト王メンチュヘテプ3世が即位。彼は北東デルタを防御するために砦群を再建設している

  • 前1966年頃:エジプト王アメンエムハト1世が長男のセンウセレト1世を共同統治者とする。アメンエムハトはアジアからの遊牧民の侵入を防ぐために「支配者の壁」とよばれる要塞群をデルタ東部に再建。一方のセンウセレトはシナイを脅かす遊牧民への防衛的な小規模遠征などを行っている

  • 前1962年頃:センウセレト1世がガザのアジア系の「砂漠の住民」に対して遠征を敢行

  • 前1911年頃:エジプト王アメンエムハト2世が即位。彼はパレスチナの2つの都市を攻撃した

  • 前1900年頃:カナーン人がカナーン地方(シリア・パレスチナ)に都市国家を建設。ウガリットやシドン、ティルスやゲゼルなど

  • 前1900年頃:エジプトが『呪詛文書』を用いて、ダマスクス、ビブロス、ハツォール、イェルサレム、アシュケロンなど数十の都市を服属させようとする(前1800年頃にも)

  • 前1870年頃:エジプト王センウセレト3世が即位。彼は南パレスチナに小規模な親征を行い、シェケムまで進出。隊商のための交易路確保が目的であった

  • 前1800年頃:ユーフラテス川上流のハラン(トルコ南部、シリアとの国境付近)に遊牧民が出現。イスラエル人の祖先とも

  • 前1773年頃:おそらくセベクヘテプ1世がエジプト第13王朝を創始。第13王朝の王の中にはアジア系で傭兵隊長出身の者や官僚出身の者もいたと考えられており、セベクヘテプ1世がシリア・パレスチナのセム系民族であるヒクソス(フルリ人も基幹としていた)であったとする説もある

  • 前1730年頃:アジア系遊牧民がデルタ東部に定着したか。彼らはデルタ東部の「支配者の壁」が事実上解放されるなど、防衛が手薄となったところに侵入してきた民族で、彼らとともにヒクソスもエジプトに侵入したか。ヒクソスは第12王朝後期から傭兵としてエジプト人君主に仕えていたと考えられているが、彼らはカナーン諸都市からの移住者で、北方からの移住民(インド・ヨーロッパ語族、フルリ人)の到来と重なった人口増大がヒクソスをうんだとされる

  • 前1710年頃:エジプト第14王朝が成立。シリア・パレスチナ系の王朝であったと考えられており、西方セム語やアムル人、ヌビア人の名前を持つ王もいたという

  • 前1670年頃:アナトリアでヒッタイト帝国が成立。この頃の多様な民族の移動がシリア・パレスチナのセム系民族の移動を促した

  • 前1648年頃:エジプト中王国時代が終焉し、第2中間期が始まる

  • 前1648年頃:シリア・パレスチナのセム系の異民族ヒクソスが東デルタのアヴァリスを都としてエジプト第15王朝を創始。エジプト史上初の異民族出身者のみの王朝であった。初代王はシェシといい、クーデタで政権を掌握したか。王朝が直接支配した地域は、デルタ東部からシナイ半島北部、そしてパレスチナ南部であり、エジプト各地には宗主権を行使した

  • 前1550年頃:エジプト第18王朝が成立し、エジプト新王国時代が始まる

  • 前1550年頃:北メソポタミアとシリアのフルリ人の諸国がミタンニ王国(ミッタニ王国)に統一される

  • 前1541年頃:第18王朝が第15王朝を打倒し、エジプトの再統一に成功

  • 前1540年頃:エジプト王イアフメス1世がヒクソスの残存するパレスチナ遠征を敢行

  • 前1538年頃イアフメス1世がヒクソス最後の拠点シャルーヘンを占領し、ヒクソスを完全に滅ぼす

  • 前1525年頃:エジプト王アメンヘテプ1世が即位。イアフメス1世は治世末年に再度アジアに遠征し、フェニキアに海港を確保していた。アメンヘテプはヒクソス王アペピの娘を妃とし、ヒクソスのもっていたシリア・パレスチナの宗主権を継承したとして、アジア侵攻を正当化

  • 前1506年頃:アメンヘテプ1世がアジアに遠征し、領土を拡大

  • 前1502年頃:エジプト王トトメス1世が即位。アジア遠征を敢行し、海路でビブロスに到達した後に陸路で北進。ミタンニ軍を打ち破った結果、シリア・パレスチナ全域はエジプトの宗主権下に

  • 前1500年頃:セム語系のアラム人がカナーン地方に移動。彼らの原郷はシリア砂漠で、牧畜民であったか

  • 前1500年頃:遊牧民のヘブライ人(イスラエル人)がパレスチナに定住。一部はエジプトに移住した

  • 前1492年頃:エジプト王トトメス2世が即位。王の治世中にはパレスチナ南部への遠征が行われているが、遊牧民への示威行動であったか

  • 前1471年頃:エジプトのハトシェプスト女王が対外遠征を中止。女王の治世中はアジアへの対外遠征は行われず。一方、この隙にミタンニ王国はカデシュ侯を盟主とする対エジプト同盟を結成した

  • 前1458年頃:ハトシェプスト女王が死去ないしは退位によって政治の表舞台から姿を消し、トトメス3世が単独統治を開始。当時はシリア・パレスチナ北部がミタンニの勢力圏となっていた

  • 前1457年頃トトメス3世の第1回アジア遠征。アジアの植民地化を目指し、ガザを奪取。さらに、カデシュの王子の反乱によって奪取されたメギドを目指し、隘路から進軍。メギドに布陣していた対エジプト同盟軍(シリア・フェニキア・カナーンの330人の君侯の軍からなり、カデシュ侯が指揮)の裏をかき、未明に急襲して撃破。7ヶ月の包囲の末にメギドを降伏させ、カデシュ侯をはじめとする君侯ら全てに忠誠を誓わせる(メギドの戦い)。結果、王は3つの都市を手に入れ、パレスチナ全域をほぼ征服し、監督官を設置。以降、王は連年、アジアに遠征し、エブラなどの諸都市を征服

  • 前1455年頃:トトメス3世がアジアに遠征

  • 前1438年頃:トトメス3世の第17回アジア遠征。これが最後のアジア遠征で、王はカデシュを占領し、オロンテス川中流以南のエジプト支配を確立。「北の異国の監督官」という総督職がアジア植民地を統轄、シリア・パレスチナは北からアムル州、ウピ州、カナーン州に分けられた。シリアの都市国家同士の反目は放置され、紛争が大規模化しそうな場合には総督と守備隊が介入している。17回の遠征でトトメスは350を超える都市を征服したという。また、一連のシリア遠征では将軍ジェフティがヨッパ(現ヤッファ)を攻略したが、その際に兵士を潜ませた籠を相手方の王子の戦利品として町に忍ばせて、城門を開けさせたという

上図:トトメス3世時代のエジプト王国の版図

出典:Andrei Nacu, Jeff Dahl, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, ウィキメディア・コモンズ経由で
  • 前1425年頃:エジプト王アメンヘテプ2世が単独統治を開始。シリアの約30の都市国家が共謀して反乱。反乱軍の背後にはミタンニ王国が存在

  • 前1424年頃の4月:エジプト王アメンヘテプ2世が西アジアの反乱鎮圧に出陣。北パレスチナに進軍し、オロンテス川を渡河。都市ニイはトトメス3世時代の経験から、アメンヘテプに恭順

  • 前1419年頃:アメンヘテプ2世が西アジアに出征。この時にカナーン人が捕虜とされたという

  • 前1417年頃:アメンヘテプ2世が西アジアに再び出征。王はカデシュの南の戦いで反乱軍を破り、叛いた30の都市国家を服属させる

  • 前1397年頃:エジプト王トトメス4世が即位。ミタンニと同盟を結び、シリア北部はミタンニの、シリア南部とパレスチナはエジプトの支配下となった。しかし、アジア植民地では代替わりの反乱が起きたか。シリアを平定した王は「シリアの征服者」と讃えられているが、実際は牽制程度のものであったか

  • 前1351年頃:エジプト王アメンヘテプ4世が即位。王の治世中にはアジアへの親征は行われず、シリアの都市国家間の反目が激化。王の調停さえも行われず、アジア植民地の動揺が広がる。シリア・パレスチナの都市国家の支配者からはエジプト軍の派遣要請があったものの、王は軍を送らず。イェルサレム王アブドゥ・ヘバはハビルがパレスチナを荒らしていることを伝えるも、パレスチナには一人の総督もおらず(滅びたという)、やがてハビルが王の諸都市を制圧したと伝わる

  • 前1334年頃:アクエンアテン(アメンヘテプ4世)が死去。アクエンアテンの晩年、ウピ州では都市国家間の争いは激化。カナーン州ではハビルとよばれる遊牧民が浸透定着した。君侯はこれを利用して領域の拡大を試み、紛争が頻発

  • 前1333年頃:エジプト王ツタンカーテン(トゥトゥアンクアテン)が即位。将軍ホルエムヘブは王の即位後まもなく、アジアに進軍し、カナーン州及びウピ州の秩序を回復

  • 前1300年頃:ヨルダン川東岸にエドムやモアブなどの王国が成立

  • 前1295年頃:エジプト第19王朝が成立

  • 前1294年頃:エジプト王セティ1世が即位。彼は即位の同年に南パレスチナに遠征。遊牧民のシャスウを駆逐し、臣侯らの忠誠を確認した

  • 前1279年頃:エジプト王ラメセス2世が即位。彼はトランスヨルダンのモアブやエドムなどの諸王国と戦う

  • 前1276年頃:レヴァント地方で反乱が発生し、ラメセス2世がアジアに出兵

  • 前1275年頃の5月初頭:エジプト王ラメセス2世とヒッタイト王ムワタリ2世が激突(カデシュの戦い)

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