2018 March, Part 2_Pompei

翌日は朝一番の電車でナポリに向かいます。
日本の新幹線のような高速電車でナポリに向かうのですが、そのTreinItaliaのFrecciarossaですね。フェラーリがデザインに絡んだとかいう話を聞きましたが、その車両デザインと色、それに洗面所のプラスティックの壁仕上げの魅力とか、1990年代に初めてAlitaliaでミラノからボローニャに飛んだ時、その濃い緑の色の使い方に感動したことを思い出しました。

そのフライトでは機内食が出たらジョエ・コロンボがデザインしたプラスティックの食器だったら持って帰ろうと思っていたのですが、フライトの時間が短すぎてか、食事は出ませんでした。もっともコロンボが食器をデザインした時代は古過ぎてもう1990年代には使っていなかった可能性もありますね。
ボローニャに着陸した時にそんなにひどい着陸ではなかったにもかかわらず、オーバーヘッドコンソールの収納扉がショックで開いたのは、やっぱりイタリアだ、と感動しましたね。デザインとカラーリングの素晴らしさと機能性の低さに、です。そのころは実はランチアというイタリア製の車に乗っていて、今朝はちゃんとエンジンが掛かるかどうかという、不安に満ちた毎日でしたから。

Frecciarossaです。
駅に止まっているだけで、美しい。駅の日常的な風景が電車が入ってきた瞬間に変わります。

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で、初めての街、ナポリ駅に到着。

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駅に迎えにきていた車でポンペイに向かいます。
そして、2時間弱くらいでポンペイ到着。
いくつかランダムにポンペイの画像を載せます。

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建築に関わる者として、その都市のほとんど全体像が判別可能な状態で廃墟と化している姿はあまり、気持ちの良いものではありません。ローマのフォロ・ロマーノやドムス・アウレア、それにチボリのハドリアヌスのヴィッラなどは巨大な都市施設だったり、ドムス・アウレアでもネロの住宅ではありますが、まあ今の言葉で言うとオフィスビルと呼べるようなものですし、ルネッサンスでいうと都市内のパラッツォ、大きな仕事場併用住宅でしょう。ところがポンペイで残る住宅はもっとずっと小さな住宅で、その規模そのものは我々が知っている現在の住宅に近い小さなスケールの建築です。
だから、既に2000年近い過去の遺跡ではありますが、そのスケールが我々のものに近いだけ、リアリティを感じます。
そこに暮らしていた人たちの顔が見え、声が聞こえるような気分になります。
単体の建築もそうだし、海へと向かう街路の計画とそれに従う施設配置など、当時の人の考え方が伝わってきて、2000年前の都市の考え方が全く今日的に理解できてしまいます。
だからこそ、価値観が理解できた気がするだけに、ポンペイという都市の死滅が生々しく伝わってきます。ポンペイに居てどうにも気持ち良くないのは、そうした訳でした。

ポンペイで思い出したのは実はヴェネツィアのことです。1985年だったでしょうか、初めてヴェネツィアを訪ねました。ヴェネツィアは生産機能をこの都市の外部に追い出して保存されるための都市の道を選び、生々しい都市機能としては死滅しかけている都市であるように、当時の自分には見えました。観光を都市機能の1つとして認めるほど、その時の自分は大人じゃありませんでした。
サンマルコ広場に立った時、都市の死体の内部に自分は今居るんだという気分に突然襲われ、胃痛と吐き気ですぐにヴァポレットで駐車場の車に戻りました。そんな訳で最初のヴェネツィア訪問はたった3時間くらいで終わったのです。
ポンペイで思い出したのはその時のヴェネツィアでの気分、死にゆく都市や都市の遺体を我慢できない自分のことでした。
その後にヴェネツィアビエンナーレの準備でこの街を何度も訪れ、1週間以上も滞在することになるとは、その時は想像もつきませんでしたが。

1985年のヴェネツィア訪問には余談があります。
車でイタリアを旅していたその時、ヴェネツィアの高速出口の渋滞の中、自分の斜め前にどうにも上品なデザインの車がありました。我々が借りていたレンタカーはイタリアでもっとも安い車、フィアット・パンダでしたが、その斜め前の車は実はパンダと同じデザイナーの手になる車ではあります。帰国して1ヶ月後にはその車を注文して買ってしまうのですが、それが先ほどの車、ランチアでした。
でも手元にきた3日後に出掛けた中国山地の山奥で一度止めたエンジンが掛からなくなり、救助を頼むことになるとは夢にも思っていませんでしたが。
しかもそのランチアはそれまで中古車しか買わなかった私が初めて買った新車だったのに。
ボローニアの着陸のショックでコンソールの開いてしまったAlitaliaで思い出したのも、このトラブルだらけの、でも調子の良い時にはこんな良い車はないな、と思わせてくれたランチアです。

日帰りのポンペイ、ナポリまで来たのだからと、大雨の中教えてもらったピッツェリアでピザをいただき、その夜にはローマ、テルミニに戻ります。

つづく。

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