2018 March, Part 1_Rome-2

さて、改めて旅行記に戻ります。

30代で初めてイタリアを訪ねた時には遠く思えていたローマ、場所としてのローマではなくて古代ローマという意味ですが、これまではちゃんと訪ねなかったフォロ・ロマーノや前回のハドリアヌスのヴィッラにドムス・アウレアなど、これまではパンテオンだけを見ていた古代ローマにも徐々に目が向き始めます。そんな訳で今回の目玉はナポリの先、ポンペイに行こうと決めました。

まずは半年ぶりのローマ、今回はポンペイに向かうのでテルミニの近くに宿を取りました。まずはそんな、久しぶりのテルミニ近くの風景です。

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その朝、まずは近所の散歩に出かけます。

歩き始めて10分、テルミニの裏にどう見てもローマ時代の遺跡が残っており、そこに後世に取り付けられたと思しき扉が付いている。バシリカだと書いてあるので、そこは教会でした。しかし入ってみるとその内部空間の壮大さに仰天するとともに、そのデザインがルネッサンス以降のものであること、平面計画が巨大なドーム空間の連鎖になっており、空間の基本構造はローマのもので、そこが誰かの手で教会へとリノベーションされたものだ、と気付きました。その時はローマの遺跡をそんなふうに教会に改装してもいいのかな、でもあのパンテオンもそうだしな、などと考えていたのですが、そこがディオクレティアヌス帝の浴場跡をミケランジェロが1561年に教会に改装したもの、サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会だと知ります。

こんなところでミケランジェロに出会うとか、予想もしていなかったのですが、それをその場で知ることが出来たのはインターネットとスマホの力です。
しかし朝の散歩だと思って気軽に出掛けたのに、ミケランジェロが改装したローマ遺跡に出会うことになるとは、それはまさにここがローマだ、ということですね。

そのサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会。

入口。

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古代ローマの建築はそのドームという形状が示すように組積造なのですが、ミケランジェロはその空間に本来は構造として必要のない柱を持ち込みます。柱こそが建築を成立させるのだというミケランジェロのメッセージだと理解しました。ミケランジェロがブルネレスキと異なるのはブルネレスキの「サン・スピリト問題」、壁が厚さを持つために、出隅、入隅で起こる柱間の矛盾の解決の仕方をここで見ます。出隅、入隅の柱をダブル・コラムとして、それぞれの独立した壁面展開が隅で出会っているだけ、という解決です。言ってみれば、壁面の分節化のデザイン。これはここでのミケランジェロの仕事が内部空間だけですからサン・スピリトのように外部の壁面表現との矛盾を抱えなくていいのですが、ここでの隅のダブル・コラムはこの内部空間がそれぞれ建て起こされた壁面の集合体の出会いの表現となっています。さらに独立したそれぞれの壁面は重厚な表現となっているにもかかわらず、それらが出会う出隅、入隅を見るとむしろ貼り付けたかのような軽快とも言える表現となっており、結果として全体としての壁面は重そうなのに軽いとでも言えるような、矛盾を含んだ表現になっています。さらにドーム部からの溢れる光で浮遊させられた重量感のないドーム天井とそれを支える重いのか、軽いのか分からない壁面表現という二重の対位法の表現は、それを「ルネッサンス以降」的と言っていいのか、まさにポレミックな表現だと思いました。
そんなディテールです。

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フィリップ・ジョンソンがピラスター、「付け柱」はルネッサンスの偉大な発明だ、と言っていたと思うのですが、この空間でもその曖昧な空間表現を可能にしたのは、このピラスターですね。この教会の内部空間は大きさこそ随分違いますが、同じミケランジェロのメディチ家の新聖具室を思い出しました。ピラスターの力とそれがもたらす空間の曖昧性という魅力ですね。
ピラスター、付け柱。しかし建築とは結局はやはり「柱」の問題なのかとあらためて気付かされたのは、翌日訪れたポンペイだったのですが。

閑話休題。

そのミケランジェロの裏に停めてあったフィアット124。
昔、欲しかった車です、普通の車好きのようにフィアット500が欲しいと思わなかったところが、へそ曲がりの自分らしいところでしょうか。
そのフィアット124。

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つづく。

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