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いつの日か海の近くで暮らしたい、けれど。

立山連峰の写真を最近よく見る。自分から情報を得ようとした覚えはない。いつのまにかSNSの「おすすめ欄」を埋め尽くすようになっていた。タイムラインが美しい山々ばかりで気持ちがよい。

いつか、立山連峰をこの目で見てみたいな。富山県にはまだ行ったことがない。日本海側から撮影された写真では、海、街、その奥に立山連峰が立ち、合成かと思うほど唐突感がある。

こんな、街の向こうにおかしい縮尺で見えるでかい山に、すごくロマンを感じる。富士山のふもとに住んでいたからかもしれない。長野に住んでみたいと考えていたこともあったが、その時は浅間山が見える街に住むつもりだった。

下半分だけ見ればなんてことない路地なのに。

街の向こうにドカンと「居る」山が好きだ。物質的に有るのではなく、意思を持ってそこに居るような気がして、畏怖と親近感という、両立し得ないような感情が湧く。

でかい山の近くで暮らしていると、そこで世界が終わっているかのような閉塞感がある。山の向こうは何にもなくて、壁に囲まれた箱庭にいるような。

しかし、見上げると絶対に視界に入るものがあるというのは、安心もする。お天道様が見ている、という考え方に近いかもしれない。山が見守ってくれているような気がする。それに、人間の営みがどうなろうがそこに居続けるのだろうなという、無関係な感じが、時にありがたかったり。

鹿児島県の桜島も、合成写真のような存在感だった

いつか海の近くに住みたいという願望はあるが、実際には山が見えた方が落ち着くのだと思う。京都に圧倒的な存在感の山があるとは感じないが、大文字山をよく見上げている。

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