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「好きな建築」 1年・小林俊太

平素よりお世話になっております。
今回、部員ブログを担当する創造理工学部1年の小林俊太と申します。
私は、大学で建築を学んでいますので、好きな建築物について書きました。
迷ったのですが、サッカーについては触れませんでした。

拙い文章ですが、最後までお読みいただけたら幸いです。

【私の好きな建築】

私が好きな建築物は、東京タワーです。高校時代は毎日見ていたので思い出深い建築物です。
東京タワーと言うと、東京スカイツリーが出来てから少し印象が薄くなったように感じますが、東京スカイツリーに負けないぐらいの魅力があります。
その魅力を紹介出来たらと思います。

【耐震構造の父】

東京タワーを紹介する上で重要人物がいます。
その方の名前は、

内藤多仲(ないとう たちゅう)

です。
多仲と言う印象的な名前なので、1度は聞いたことのある方もいると思います。
建築構造の専門家で、東京タワーを設計した人です。また、早稲田の大隈講堂の設計に携わった方の1人でもあります。

最初に、内藤多仲の素晴らしさを紹介します。

彼の素晴らしさは、地震の多い日本に耐震構造をもたらし、現代の日本建築の基礎を作り上げたことです。

彼が生まれた1800年代後半から1900年代前半は、西洋の建築技術が日本に伝わった時代でした。その為、レンガや石を材料とした建築が増えました。しかし、この頃は大地震が続いた時代でもありました。残念ながら、西洋の建築技術は地震に対してとても弱かったのです。
この状況を打開したのが、内藤多仲でした。

彼は、旅行用のトランクケースに間仕切りがあることで、強い船の揺れなどによる外力からトランクケースが潰れるのを防いでいることに気がつきました。
そして、この間仕切りを建築に応用することで地震に強い建築物を造れるのではないかと考えました。

そして考えだされたのが、耐震壁です。
耐震壁とは、地震の揺れに抵抗するために、建築物の要所要所に入れる頑丈な壁のことを言います。

この考え方が出されるまで、耐震技術のしっかりとした理論は存在しませんでした。その為、当時はとてつもない発見だったわけです。
この理論は、現代の耐震技術の基礎となっています。
つまり、地震の多い日本で高層の建物を建てることは困難であると思われていましたが、今では高層の建物で埋め尽くされた街並みを実現することが出来たわけです。これも全て、内藤多仲のおかげと言えます。

【我らが東京タワー】

1950年代になるとテレビが普及し始め、内藤多仲は多くの電波塔を造るようになりました。その中の1つが東京タワーです。
また、彼が手がけた有名なタワー6つを合わせて「タワー6兄弟」と呼びます。

長男:名古屋テレビ塔
次男:通天閣
三男:別府テレビ塔
四男:さっぽろテレビ塔
五男:東京タワー
六男:博多ポートタワー

こうなります。

テレビが今後どんどん普及する中で、巨大電波塔の必要性を感じた前田久吉(まえだ ひさきち)が内藤多仲に東京タワーの設計を依頼しました。
前田久吉は、当時世界一高かったエッフェル塔(312m)を超えるタワーを考えていました。この依頼は地震の多い日本では困難と思われていました。しかし、内藤多仲はこれを承諾しました。

前田久吉による依頼では最初380mの高さでした。しかし、設計を進めていく中で、安全面を考慮して380mは難しいとなり現在の333mになりました。それに伴い、設計は最初からやり直しとなり、最終的に3ヶ月かかりました。その間に作成した設計図が1万枚だったそうです。私は、1万枚を3ヶ月で描いたことが本当に凄いと感じました。新幹線で大阪まで行く間に、設計図を1棟分描けると言っていたそうで、その早さであれば3ヶ月で1万枚を描くこともできるのだなと思いました。それにしても、設計に打ち込むパワーや姿勢は建築家を目指す私としては、本当に尊敬しますし、自分の目標にもなります。

東京タワーは1957年に着工し、わずか1年半で出来ました。約22万人の人が東京タワーに携わりました。現在のように、工事の安全性も低い状態にも関わらず、手作業で造られました。耐震構造として、三角形の構造を繰り返したトラス構造も東京タワーの特徴の1つです。鉄骨による三角形の繰り返しがシンプルなデザインではありますが、構造としても見栄えとしても素晴らしいものにしたと感じます。

東京タワーは、ただの電波塔であるだけでなく日本が誇るシンボルだったわけです。内藤多仲にとっても、国民にとっても未知への挑戦であり、それを乗り越えて完成した東京タワーは日本人の希望だったと思います。
1964年の東京オリンピックを前にした戦後の日本に、東京タワーは勇気を与えたと思います。

現在では、あって当たり前な東京タワーですが、歴史を知ったり構造を知ったりすることで、見え方が変わって来るはずです。
東京タワーが出来たばかりの東京の街並みは低い建物が多く、東京タワーが目立っていました。しかし、現在の東京ではビル群に囲まれかつてのように目立たなくなっています。こんな街並みがあるのも地震の多い日本に耐震技術をもたらした内藤多仲のおかげでありますし、その第一歩を踏み出したのも東京タワーだったわけです。

建築は、デザインに目が行きがちですが、そのデザインを可能にする構造や歴史的背景を知ることでより面白く感じると思います。

以上で終わります。

最後までお読みいただきありがとうございました。


小林 俊太(こばやし しゅんた)
学年:1年
学部:創造理工学部
経歴:東京五日市ジュニアユース(昭島市立多摩辺中学校)→東京工業大学付属科学技術高校

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