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【#Real Volce 2023】 「サッカーを辞める時」 4年・藤本隼斗

サッカーを辞めた自分に何が残るのか。

「引退」という言葉を聞いてからこんな事を考える。

人が好きなスポーツを辞める時。
1,2年で辞める人、10年以上続けてから辞める人、生涯スポーツを続ける人、など。
人が好きなスポーツを辞める理由。
勉強を優先したいから、スポーツが飽きたから、続けたいけど辞めないといけない理由があるから、など。

スポーツを続けたくても出来ない人はたくさん居て
スポーツを高いレベルでやりたくても出来ない人はたくさん居る。
実際に大学生まで体育会のレベルでスポーツができる人は全大学生の8%にも満たない。
そして、思い通りに試合に出場できる人は体育会学生の中でもわずか。

「16年間サッカーを続け、満足するまでサッカーをできたから辞める」

この言葉が言える幸せ者は少ないと思う。
私は長い年月をサッカーと過ごし、この思いを持ってサッカーを辞める。

小学1年生から始めたサッカーはいつからか生活の中心になり、自分の未来を決め続けてきた。
どんな時も頭のどこかにあったサッカーが、1ヶ月後には頭の中から無くなってしまう。
悲しい気持ちや嬉しい気持ち、不安な気持ちや楽しみな気持ち。
サッカーに対して多くの感情を本気で持てたことは貴重な財産であることを実感している。

サッカーを通して多くの感情を持つ経験ができたことは紛れもなく周りの人のおかげだ。
この場を借りて感謝をしたい。
ここまでサッカーを不自由なく続けさせてくれたお母さんお父さん。
高め合いながら楽しくサッカーをさせてくれたチームメイト。
自分がサッカーを続ける上で支えてくれた全ての人。
感謝します。ありがとう。

そして人生を振り返れば、とにかく運が良かった。
行きたい学校に行けて、試合に出られて、良い仲間にも出会えて、好きな人と一緒に居られて、ここまでサッカーを続けられて。

自分の思い通りに上手く行く数が圧倒的に多かった21年間であった。

だが、サッカー選手にはなれなかった。

いや、サッカー選手にはなりたくなかった。

中学1年生からこの考えを持ちながらサッカーをしてきた。
理由は単純。プロのレベルや周りのレベルが自分より圧倒的に高いことを知ったから。
言葉を変えれば、早い段階で自分の可能性を低く見積もってしまっていた。

自分の可能性を早い段階で低く見積もることで失敗した時の予防線を張ってしまっていたのかもしれない。

例えば、自分にとっては大学3年生からトップチームで試合に出られて上手くいったと思っていた。
これは、可能性を低く見積もっていたため、「自分は頑張った」と自己採点を甘くつけ現状に満足をしていた。
だが、他の人にとっては3年生からトップチームで試合に出られても1,2年生で試合に出られていないため失敗していると感じる人もいる。
この人は、「自分ならもっとできる」と自分の可能性を信じることができるからこそ、自己採点を厳しくつけ、次の行動に繋げる。

この物事の捉え方1つの差が、人の成長を大きく分ける。

自分の可能性を信じることでプロという夢を掴んだのが親友でありライバルだった森璃太(4年・森璃太 / アルビレックス新潟加入内定)だった。
私と彼は同じ一人っ子で身長も一緒、毎朝30分の散歩も一緒、そしてポジションも一緒であった。
ほとんど一緒の彼と、大きく違う点がこの考え方だった。
彼は常に上を目指し、妥協せずサッカーに向き合い続けていた。
自己中でわがままでありマイペースな分、自分に使う時間を大切にしていた。
そんな彼の姿勢が少なからず自分に影響を与え、行動のきっかけになったのは事実。
彼から多くの事を学ばせてもらったのは間違いない。
ありがとう。
褒めすぎると気持ちが悪いのでこの辺で。


サッカー人生を通して「自分の可能性を高く見積もる」素晴らしさを知り、1つの考え方を学んだ。

だだ、「自分の可能性を低く見積もってきた」自分の考え方に後悔がある訳ではない。
低く見積もることで、失敗した時のリスクヘッジのための行動に繋がる。
この考えにメリットがあるということを知ったのも、サッカー人生を通して学んだことの1つだ。

物事の考え方において、「正しい」「間違っている」は存在しないと思う。
ポジティブに捉えるから「正しい」訳でも無ければ、ネガティブに捉えるから「間違っている」訳でもない。
物事をネガティブに捉えることも「正しい」と思えるだけの多くの考え方を知っておくことが、自分らしく成長する上で必要なことのように感じる。

これは1つの考え方に過ぎないが、こんな考え方になったのも、16年間サッカーを続けることができ、色々な人の考え方に出会えたから。
サッカーを続けてきて、サッカーの実力や知識以上に物事の考え方についての学びが多かった。

サッカーを辞めた自分に何が残るのか

信頼できる親と仲間、そして16年間の経験と学び。

自分には十分過ぎるくらい残るものがある。

学生から社会人になるということは
与えられている側から与える側になるということ。

私が与えられてきた多くの恩や信頼を、与える存在になることを目指し
自分の可能性を信じて生きたい。

◇藤本隼斗(ふじもとはやと)◇
学年:4年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:柏レイソルU-18

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