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【#Real Voice 2023】 「武士道といふは死ぬ事と見つけたり」 2年・木庭正太郎

本日の部員ブログを担当します、2年 木庭正太郎です。
今までただぼーっと生きてきて、これじゃダメだと思い始めて早2年。私の残りの大学生活、残りのサッカー人生もあと2年になりました。
今考えていることを書き綴ってみます。


今日は図らずも私の20歳の誕生日。
ちょうど20年前に兵庫・西宮で生まれ、多くの人の支えで20年間生きてきた。
大きなケガ、病気もなく生きてこられたのは両親をはじめ、支えてくださった人たちのおかげです。本当にありがとうございます。

20歳という人生の節目を迎えた今、ふと考える。

今日は私の人生の何%の地点なのか。
私はあと何年生きるのか。
私はこれからどのように生きるのか。
そして、私はこれからどのような最期を迎えるのか。

私はなんだかんだ120歳くらいまで生きると勝手に思っているが、誰も将来のことはわからない。

私はそんな謎の自信があるのになぜか最近、「死」というものをよく考える。
人は死ぬ、当たり前。 
だが、どのように死ぬ?
死んだらどこに行く?
私は何も信仰してないし、努力もしてないが天国とやらに行けるのか?
考えても答えの出ない問いだが、考えずにはいられない。

私はおかげさまで至って健康だ。なのにそんなことばかり考える。
色々な節目節目に。

例えば、大学に入って初めて公式戦に出た、Iリーグ第1節産業能率大学戦後の夜。
例えば、父方の祖母が急に亡くなった日の夜。
例えば、第100代の副務、つまり再来年、第101代早稲田大学ア式蹴球部の主務になることが決まった日の夜。


4月29日、Iリーグ第1節産業能率大学戦(3-2⚪️)



「死」というものに深く直面した時も、ただの1つの節目に至った時も、私は生と死を強く考える。

理由はわからない。

生と死を強く考える時はこれらの節目。いつも考えるのは死ぬまでの人生の勘定だ。
ベッドに入って天井を見て「今日も疲れた」と考えると同時に「あと何日生きるんだろうか」と考える。

練習後に自主練をして濃い1日を過ごした時も。オフに遊びに行って、楽しい思い出を作り、良いリフレッシュができた日も。何もせずにぼーっと過ごした日も。オフの日に朝遅くまで寝ていて、やろうと思っていたことができずに1日を無駄にしてしまった時も。体調を崩して寝込んで、天井ばかり見ていた日も。試合に勝った日も、負けた日も。

1日生きることは死に1歩近づくことなんだ。そんなことばかり考えている。
理由、キッカケなどない。健康で、現在死に直面した生活を送っているわけでもないし、死にそうになったこともない。

なのに。そんなことを考えるなんて不思議だ。

私は早稲田大学ア式蹴球部になぜ入ったのか。
なぜ1度きりしかない4年間の大学生活の全てをこの部に捧げようと思ったのか。
サッカーは大学で最後にすると決めて、今までの15年間のサッカー人生を懸けて。

○1年目:逃げた。

ケガに逃げ、ピッチ外に逃げた。
系属校上がりの私は「ピッチ外でしか生き残れない」という気持ちで散々雑用をやり、ミーティングを主導し、みんなの話を聞き、自分の意見を言った。ピッチ外の信頼は得られたのかもしれない。「シゴデキ」「戦える」などという他人のよくわからない、なぜか上から目線の評価にただニコニコして。
ただ、ピッチ内は? 何もしてない。

それじゃ試合に出られるわけない。それが唯一の「公式戦に1分も出られなかった選手になった」という結果に繋がったのだと今になって思う。
決して無駄ではなかったが、1年間中身が薄いものになってしまった。

ただ過去は取り返せない、今年こそという思いで今シーズンは始めた。

○2年目:自分的にはもがいたつもり。

成績
Iリーグ、FC、新人戦で6勝 4敗 1分 勝率 54.5% 

試合に出られなかった去年からの伸びは確かにあるが、まだまだ満足できるものではない。
勝った試合でも多く失点し、負け試合を引き分けにすることもできず、クリーンシートは3試合だけ。勝つことが1番だし、失点をしても勝てればいい。だがやはり失点はしたくないし、たとえしょうがない失点でもGKは悪い意味で目立ってしまう。
課題は明確、シュートストップ。

早慶戦の決起集会でシュートを止められないことを4年生からイジられても、認めざるを得なかった。
今までは、「他に武器があるし」とか、「俺の時だけいいシュートくる」とか言って逃げていたけれど、それじゃ何も生まれない。実際使える武器など無かった。

練後にオザさん、頌英くん、聖瑠くんとシュート練習をし、豪くんと左足のキックの練習をして、去年よりは行動した、つもり。
ただそれが自己満ではなくチームのためだったのか、戦術、それまでのチームの課題に対して向き合えていたのか。
自分自身の結果がそこまで出なかった悔しさはもちろんあるし、チームにコミットできていたのか疑問も残り、継続することの難しさも感じた。

ただ、転機になった試合もあった。
8月11日、新人戦、ホーム東洋大学戦(3−0)
練習の成果が出た試合の1つ。急遽当日にスタメンになり、久しぶりに緊張した。結果的に味方に助けられながらクリーンシート。この試合から自信を持ってプレーできるようになった。

8月11日、新人戦東洋大学戦(3-0⚪️)後の集合写真


早稲田大学ア式蹴球部は来年100周年を迎える。

私たちが4年になる時、101周年だ。新しい1世紀が始まる。100年後の部員が誇りを持って活動できるように。
私たちが未来に残せるもの…強靭な財政力なのか、100年後まで語り継がれる名前なのか、結果なのか、何かを変えて新しい歴史を作ることなのか。

それらが残せなくてダメな代なのか?残せたら良い代なのか?
必ずしもそうではないが最後まで勝って終わるために、勝った者だけにしか見る資格が無い景色を見るために。
それが結果的に新しい100年に繋がれば良い。

日本一を取らなくてはいけない、サッカーが強い早稲田にならなければいけない。

支えてくださっているOB,OGの皆様、東伏見近隣の住民の皆様、早稲田に関わる全ての皆様がまず見るのはサッカーの試合結果だ。
早稲田の社会貢献活動やその他ピッチ外の活動もサッカーの結果あってこそだと私は思う。
私の1年次のようにピッチ内から逃げたり言い訳をしたりしていては、サッカーの結果など出るわけがない。そんなに甘くはない。勝負は相手がいることなのだから。相手も私たちと同じように一生懸命勝つために練習している。そんな彼らに勝つためには、たった1時間半しかない練習を彼ら以上に濃いものにするしかない。早稲田大学ア式蹴球部というサッカーで闘い、勝利を求められる集団だからそこにもっとフォーカスしなければいけない。

刻一刻と大学生活は終わりに近づく。人生とは違い、期限が決まっている。

1試合1試合、1日1日、返ってこない。
学年のこと、チームのこと、個人的なこと、ピッチ内のこと、ピッチ外のこと、チームを取り巻く環境のこと。今も様々な大きな課題やアクシデントはある。だが、それさえも楽しまなければ損だ。いちいち下を向いて「今日もダメだった」「俺には難しくてできない」…
いやいや、そんな暇ないだろ。この2年間一瞬だったんだから、最後の2年も一瞬だ。

応援してくれる人のために。
小中高支えてくれた方々、そして早稲田大学ア式蹴球部に関わる全ての方々がサッカーの結果で喜んでくれるように。
そして自分のために。
自分が上のステージでサッカーがしたい。ただそれだけではない。
人生の最期、どうやって死ぬかわからない。病院のベッドか、家の布団か、それとも道路か。
いずれの形で最期を迎えても「生きてこられてよかった」「サッカーをしてよかった」。
そう思いたい。

そのためにこの1秒を濃いものにする。

常に前向きに。止まることなく。
「早稲田」の力を証明し、みんなで日本一を取ろう。

江戸時代中期、佐賀鍋島藩で書かれた『葉隠』には『武士道といふは死ぬ事と見つけたり』という有名な言葉がある。この本は佐賀藩士としてあるべき心、姿を表した現代にも通じる武士道書、哲学書だ。

個人の都合の良い感情を消して常に客観的に正しい方へ、生ではなく死を考え、正気ではなく狂気、死ぬ気で物事に徹する。普段、立派なことを言っていて、いざというときに逃げたりするよりは、潔く敵に立ち向かい、場合によっては死んでいく。

ただ、生きることと同じように死ぬこともままならない。だから死ぬ気で徹しても、100%
死ぬとは限らない。むしろ死ぬ気でやったほうが、かえって生きる道が拓けることもある。我を捨て、恥を捨て、保身ではなく、腹をくくって。

強い覚悟を持った3年目の船出にしたい。

◇木庭正太郎(こばしょうたろう)◇
学年:2年
学部:商学部
前所属チーム:早稲田実業学校高等部


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