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「アスファルトに咲く花のように」 4年・小野寺拓海

みなさん、こんにちは! 4年の小野寺です。
おそらくア式で自分の気持ちを記す最後の機会になるので、意気込んでおります。本題に入る前に、自己紹介をさせてください。
自分は人から何度も言われることが3つほどあるので、それをもって自己紹介とさせていただきます。

まず「武士みたいな人だね。」とよく言われます。「武士に会ったことあるのか」とツッコミたくなりますが、監督の外池さんにも「元気侍」と呼ばれたりもしています。言われて嫌な気はしません。

そして「なんでそんなに頑張れるの?」と言ってもらえます。周りからは少なからず、頑張っている人間のように見えるようです。これも嬉しい限りです。

そして最後、「痩せた?」と久しぶりに会う人に何度も言われました。細身になったというよりも、以前に比べ「頬がこけた」ように見えるらしいです。実際には元気なのですが、ア式蹴球部という大好きな組織が4年間、自分の頭を悩ませ続けたがゆえに、体が嘘を付けなかったのかもしれません。そんな苦悩、葛藤は昨年、一昨年のブログに記してありますので、お時間のある方はそちらも併せてご覧ください。


さてここからが本題です。冒頭に意気込んでいると書きましたが、意気込みすぎて少々ボリュームのあるブログとなってしまいました。ご容赦ください。それでは!!



先日、同期の杉山と中山と共に、他愛もない話をしていたときのこと。杉山が「なぜサッカーしているのか」という問いを私と中山に立てた。私が考えるのも束の間、中山が「サッカーという競技が絶妙にオレを、、、」とかいうウサンくさい話をし始めたから、それを右から左へ受け流し、自分なりに考えてみた。

確かに14年間もサッカーをしている。理由があるはずだ。ひとつの理由に収斂できるはずもなく、何個もでてきそうな予感がするが、、、



私の「サッカー」は小さな公園から始まった。幼い頃は県営住宅に住んでいおり、その敷地内にある公園で自分よりも年上のお兄ちゃんたちとサッカーをしていた。そのときのサッカーは、鬼ごっこやカードゲーム、野球などと大して変わらない遊びの中のひとつの選択肢でしかなかった。

それから小学生になると、仲の良い年上の近所の子たちが少年団に入り本格的にサッカーを初めた。かっこいいウエアとサッカーシューズを身につけてプレーしている姿が眩しくて、私も母親にせがみ、彼らに遅れを取りながらも入団した。小学2年の11月のことである。それがどれほど嬉しい出来事だったかは計り知れない。紺色の、3ストライプ、背中におっきなアディダスのロゴが入ったジャージ、同じくアディダスの黒のリュックサック、プーマの黒のスパイクを買ってもらい、ご満悦のオノデラ少年は人生で最も活気に満ちていた。気分はすっかり、サッカー選手だった。ナイスガイ。自分が一番イケてると思い込んでいた。勘違いも甚だしい。

それから自分のサッカーは「競争」とともにあった。文字通り「競い争う」ことである。

今でこそ、シャツイン、鈍足、球際、スライディングなどの特徴が私のプレーに煌びやかな彩りを与えてくれているが、当時は足が速い、ドリブルも得意、体も強い、そんな選手だった。
そして自分にはライバルだと思っている友達が何人かいて、彼らと競い争っていた。

彼らが活躍すると全然嬉しくなかったし、悔しかった。自分のプレーが上手くいく、いかないにかかわらず、自分よりも目立っていたり、点を決めていたり、それがたまらなく悔しかった。それでもその悔しさや嫉妬心を表に出すことの方が、よっぽどかっこ悪いと思っていたから、態度に出さないように振る舞いを常に意識していた。我ながら、まともなガキんちょだったと思う。

そして悔しさがおさまらない自分は「できるまでやる」という謎ルールを自分に課して、TRし続けた。「今日はリフティングでこの回数ができるまで!」「ここまでボールを蹴れるまで」などである。勉強もできないことが悔しかったから、できるまでやった。だからあの頃は基本的にできないことなんてなかった。そうやってライバルに負けないように、競い争い、勝てるように練習し続けた。

目的は常に「隣のあいつに負けないように」


何はともあれ
原動力は常に「競争」であったのだ。

これまでのサッカー人生を振り返ると、サッカーに魅了されたというよりも、「競技」としてのサッカー、いわば「競争」に取り憑かれていたといっても過言ではない。


小学校の頃、「将来の夢は?」というワークシートに「プロサッカー選手になる!!」と書くことに違和感を覚えていた。その時は何も意識をしていなかったが、目の前の競争だけが自分を駆り立てていたのだろう。「将来なんて知らんと」言わんばかりに。

こんな調子で小・中・高とサッカーを続けていた。目下の「競争」という名の餌に食らいつくライオンが如く。

しかし大学4年の今、「競争」のためにサッカーをしているという感覚がまるでない。かけらもない。

はっきりといつからマインドシフトしたのかはわからないが、ア式という環境がそうさせた。
下級生の頃から、あの人には、あいつには到底「敵わない」「勝てない」と思ってしまう場面がたくさんあった。ライバルと認識さえさせてくれないのである。1年生のときから、その思いが積りに積もった結果、競争しなくなった。そんな自分が情けなく、疎ましく、自己嫌悪が自分を取り巻いた。

しかし、これが意外と悪くない。

ここで話を整理するために「競争」とはなんぞやということを整理したい。
※読んでくださっている皆さん、今年のブログも長くなってしまいそうです。お許しください。

これは完全に私の私見であることを前提に捉えていただきたい。
競争には常に相手がいる。1人の場合もあれば、複数人と競う場合もあるだろう。
そして、競争とは常に相対的である。例をあげる。
10人がマラソンを走っていると仮定する。小野寺はトップでゴールした。小野寺は大喜びする。おめでとう。タイムは3時間ぴったりだとしよう。
次のレース。同じく10人で走る。小野寺は3時間、前回と同じタイムでゴールした。しかし、最後にゴールした。結果は何を隠そう、10位だ。泣き崩れる。ドンマイ。そんなこともあるさ。
小野寺はどちらのレースでも同じタイムだ。しかし結果はトップとビリ。

もうひとつ例をあげる。
同じくマラソンのレースだ。10人で走る。小野寺は6時間でゴールした。9位が3時間だったから、ダントツのビリだ。恥ずかしい。
次のレース、条件は同じ。鍛錬を重ねに重ねた小野寺は3時間でゴールした。しかし9位は2時間55分。ビリだ。またも悔しさだけがこみ上げる。うなだれる。
これが「相対的」であることの正体である。
何を言わんとしているかというと、競争の世界では、自分の持っている「力」に関わらず「周囲の環境」によって、自分の立ち位置が決まる。キーワードは「比較」だ。どんなに力をつけても、頑張ったとしても、成長しても、鍛錬しても付きまとうのは相対的な「順番」だ。


話を戻す。

先ほど「これが意外と悪くない」と話した。
何が悪くないかというと、「競争」から距離を置くことで、自分には何ができて何ができないのか適切に判断できるようになった。
「相対」の対義語は「絶対」だ。
距離を置くとは「絶対的」に自分はどうか?
という点にフォーカスすることを意味する。自分以外の誰かとの比較ではない。
物差しを自分自身に置く。
昨日よりも1本多く走れた、昨日よりもうまくターンできた、昨日よりも緊張せずにやれた、といった具合に自分の成長を、状態を捉える。

そんな自分を象徴する場面がある。確かあれは前期の関東リーグの試合。自分はメンバーに入ることもなく、パソコンの画面越しに早稲田イレブンの活躍を見ていた。山下(2年)、丹羽(2年)、田中(3年)、加藤(3年)の下級生諸君が、中盤でえげつないパスワークを披露した。こうやって下級生がまざまざとオレに現実を見せつけてくる。頼もしい限りだ。
そしてその瞬間、「こりゃ、無理だ。」と思った。このプレーの輪の中に入る実力をつけることは、残りの限られたシーズンでは不可能だと、悟った。またも「敵わない」と突き付けられたのである。何を隠そう、確実にあの瞬間、心が折れた。
ただ、彼らとの競争を諦めるのと「自分の物差し」で頑張るのは完全に別個の問題である。そのあとも自分なりに、昨日よりもボールに強くアプローチできたか、丁寧にコントロールできたか、ゴールに強く向かえたか、などなど自分の物差しチャレンジをし続けた。いわゆる「自分にできること」をやるマインドである。そこに徹底的に向き合う。誰かに敵わなくとも、どんな人間でもやれることはある。彼らとは一切、戦っていない。
そうこうしているうちに、成長できたのか自信がついたのか、様々なチーム事情も相まってその大きなアシストを受けながらも、関東リーグという夢にまで見た舞台に立つことができた。依然として華麗なパスワークには到底加われない。それでもだ。

ようやく結論である。要は、目的を達成する上で

適切に自分を、自分たちの立場を推し量ることが重要である。

ことを伝えたい。

競争だけに囚われていると、勝利が善、敗北が悪の、二項対立になってしまう。その過程で成長しているかもしれないし、もしかすると退化しているかもしれない。
自分を過小評価、もしくは反対に過大評価し、自分には何ができて、何ができないのか、何ができるようになっているのかを知らずに、相対的な順番だけで一喜一憂しているのは危険である。
「上には上がいる」とよく言われるが、上がいることを知らずに、自分がてっぺんだと思い上がって、あぐらをかいてしまってはもったいない。反対に、周りと比較し、その力の無さに絶望して身動きが取れなくなるのももったいない。できることは必ずある。立場にかかわらず必ずある。
だから、自分の立ち位置を認識して役割を定めるためにも、比較から一歩身をひき、客観的に自分を捉えてみる。これまで何を目的に、何をやってきたのか。問いただしてみる。そして自分の中の物差しに対し愚直に取り組む。ただひたすらに。

それで時々、
あー、まだ足りないのか。
あー、こんなところまで来れたのか。
といった具合に、時折「競争」という名の「比較」に片手を突っ込んで、腕試しをしてみるのがいいのではないだろうか。

そしたらいつの日か、自分が想像もしてなかった場所にたどり着くこともできるかもしれない。



※もうすぐ終わります、もう少しだけ辛抱願います。
ここまであたかも競争を悪者かのように扱ってきたが、全くそうは思わない。そもそも競技という枠組みの中でサッカーをしている以上、対戦相手と競争することは避けられない。そして100人いる部員の中で試合に出ることを志したら、相対評価による11人がピッチに立つことになる。競技であるがゆえの必然だ。無情にも必ずつきまとってくる。
競争が成長をブーストさせてくれる場面も過去にたくさんあった。競争により育まれる大切なマインドがたくさんある。これも間違いない。
また、今回記したような形で自分を正当化して、無理矢理自分をインスパイアしないとやっていられなかったという裏事情もある。つくづく弱い人間だと辟易する。
そして、関東リーグに出場できたことを美談として語るつもりもない。結局、数試合出ただけの人間だ。なんの結果も残していない。

だからもう一度、残りのわずかな期間で「競い争い」
必ず勝利をもぎとりたい。

そのためにできることを全部やる。どんな立場であろうと。

ア式のみんな、準備はできてるか?

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小野寺拓海(おのでらたくみ)
学年:4年
学部:政治経済学部
前所属チーム:専修大学北上高校


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