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安楽死をめぐる用語の使い分け:消極的安楽死 医師扶助自殺 MAiD 積極的安楽死

本日は「安楽死をめぐるあれこれ」というテーマで用語の解説をします。


専門用語というか、「言葉」というテーマでお話ししようと思います。
「安楽死」と言ってもいろいろなものがあるんですよね。

「積極的な安楽死」とか「消極的な安楽死」とか、いろいろな言葉があって、混ぜて使うと余計な誤解や混乱を生んで議論が深まっていかないので、今回は安楽死をめぐる言葉の使い分け、というテーマで言葉を整理していこうかなと思います。

◾️消極的安楽死と積極的安楽死 

まず、「殺人」があります。他人を殺すこと。
「自殺」というのもありますよね。
殺人と自殺があります。
自殺は自分の意志で死ぬということです。

安楽死をめぐっては、
「消極的安楽死」というのは、今も日本で行われているんですよ。

「尊厳死」とも呼ばれる。
これも結構難しいんですよね。

これはどんなものかというと、いわゆる「DNR」と呼ばれるやつです。
延命治療をしない。
DNARとも呼ばれたりします。

例えば、病気が重い人で胃ろうは作らない。
命を失いそうな時にもう人工呼吸器はつけない。
心臓マッサージは一定時間を過ぎたらやらなくていい、そういうものになります。

日本でも、高齢の方が入院する時に、もしこういう場合があった時にどうしますかということを取ります。

例えば、90歳認知症のある方が誤嚥性肺炎で入院している時に、肺炎の治療はするんだけれど、心臓が止まった時に心臓マッサージをどれぐらいしますか、薬はどれぐらい使いますか、ノルエピネフリンはどれぐらい使いますか、ということも一回話し合ったりします。

例えば、ご飯が食べられなくなった時に貧血になりました、輸血はしますかしませんか、ということを話したりします。

どこまで医療をするのかという時。医療をすることでその瞬間の命は救えるかもしれないけども、長い目で見た時に本人をより苦しませることもあるわけですよね。

究極的には脳死の状態でも人は生きていけるので、脳幹さえ生きていれば人工呼吸器をつなげば生きていけるので、家族との話し合いの時にはこういうDNRという形でやったりします。

これは「消極的な安楽死」と呼ばれます。それに対して「積極的な安楽死」というのは何かというと、薬の投与で亡くなるということですね。

消極的な安楽死は医療をしないことで亡くなるということですが、積極的安楽死は薬物投与によって亡くなるということです。

◾️医師扶助自殺

医者が薬を点滴で投与することで亡くなるのを積極的安楽死と言うのですが、ここの中間ですね。自殺と積極的安楽死の中間として、「医師扶助自殺」というのがあります。

Medical Assistance in Dying(MAiD)と言います。
海外では、これを尊厳死と呼んだりすることもあるんですけども、医師扶助的自殺というのもあります。

ALSなど全身の筋肉がだんだん衰えていく、自分の意志で自分の命を断てない場合は積極的安楽死になることもあるし、自分でボタンを押せますよという人はMAiDを選ぶこともあるし、ここがちょっとややこしいんですよね。

この中間にあります。
自殺を医師に手伝ってもらう。

病気になった時に、認知症になったときに、もう亡くなると分かっている場合は、消極的安楽死ではなく医師扶助自殺にしたいというここの兼ね合いがありますよということですね。

医師扶助自殺の発展形として「理性的自殺」と呼ばれるものもあるんですよね。

「先制的自殺」と呼ばれるもので、75歳以上で認知症になって生きられないとか、高齢であることで関節が痛くて長く生きられないという場合、スイス、オランダ、ベルギーなどではこういうものを認めていこうということもある。

「自発的飲食停止」というようなものもあったりします。そういう法律がない時には食べませんということを援助する、というのもあったりするみたいですね。

何かややこしいね。
あとはそもそも死刑というのは殺人なのか、という話もある。
昔だったら日本は切腹というカルチャーもあった。切腹と死刑はどう違うんだと。

姥捨山もありましたよね。過去にはそういうものもあったので、ただの制度だけではなく、過去の文化的な背景にも僕らは引きずられていますので、色々な制度を作る時に、そういう背景もあったりします。

関連することで、例えば本人の意志と関係なく死ぬという制度。
家族とか社会のために死んでもらうよという制度、そういう安楽死というのは基本的にはないですよということですね。

昔あったのはナチスドイツのみだった。
優生法があったということです。

安楽死といっても色々なものがあるし、家族や社会のために積極的に安楽死をするというところは基本的にはないです。

本人の意志とは関係なしに。
よく海外で安楽死はあるよというのはこれですよね。
医師の補助自殺というのがあるよということです。

◾️安楽死の概念の拡大

当然、安楽死の制度を一度認めると、だんだんこの概念が拡大していくんですよね。

例えば、体の苦痛が酷いからということで一部認められていたものが、理性的な自殺という形で年を取ったらいいとか、認知症だったらこの制度も拡大すべきだとか。

知的障害や精神疾患でさえ含まれたりとかするというのがあります。あとは貧困苦からのがMAiDがすすめられることで、それはおかしいだろうと言って裁判になったりとかね。

あとは認知症の人で、自分が認知症になったらMAiDをしてくれという人がいたけれど、実際は自分が本当にそうなった時には拒否したんだけども適用されてしまったとかね。

きちんと精神科医に診てもらう、精神疾患ではないということを除外しなければいけないにもかかわらず、精神科にちゃんと繋がらなかったケース。

ルーティン化した時の問題、偽装化される、説明責任が果たされない、安楽死後の臓器提供、ビジネスになってしまう、そういうのも問題だったりする。

あとはサブリミナルなメッセージだったり、社会的な圧、親からの圧でMAiDを選んでしまうケースもあるということなんですよね。

安楽死と言ってもいろいろなものがあるので、ここら辺の用語を整理していくのは大事ですね。

安楽死といっても、どういう安楽死なのか。
次にどこまでを認めるのか、どういう人だったらそれが対象なのかということ。

どこまでかというのを拡大していっていいのか、してはいけないのか。
きちっとルールを守れるのか守れないのか。
そういう観点がこの議論をするのに大事かなと。
誰に対して、誰がどのように。

全ての医師がそれをしなきゃいけないのかというと、そういうわけではなくて、やりたくない人、良心の呵責に耐えられない医師はやらなくていいよという制度もあったりするんですね。

でもやらなくて良いよという制度を作ってしまったら、これを担う医師はやってもいいと思っている医師だけになってしまって、その時には偽装されるんじゃないかとか、こういう問題もあるということでしょうか。

◾️本日の宿題

どういう制度なのかということを調べてもらって、皆さんの感想を書いてください。

色々な言葉を知ることで生まれてきた気持ちとか感じ方とかあると思うんですよ。なので今回、こういう言葉の使い分けを聞いたことで、自分の中でどんな気持ちが芽生えたのかをコメント欄で書いていただけると良い学びかなと思います。


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