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<黒ベタデザイン>その後。歌は世につれ世は・・・。街歩きスケッチの醍醐味

はじめに

 「歌は世につれ世は歌につれ」。最近、街歩きスケッチをしていて、久しく忘れていたこの言葉がふと頭に浮かびました。

 一見すると、スケッチと流行とは関係ないと思われるかもしれません。実は、この言葉の「歌」を「黒」に置き換えてみてください。先日、新宿御苑を訪れる途中、新宿2丁目の交差点で、あるものを見て驚きました。それは、ある施設の黒ベタ看板です。以下、街歩きスケッチと「黒」の流行の関係について書いてみます。

街歩きスケッチの醍醐味

 「線スケッチの魅力」については、すでに記事を公開しました。

 その中では言及しませんでしたが、都市および郊外をくまなく回り現場で直接線描する「街歩きスケッチ」あるいは「都市スケッチ」は、私にとって特に力を入れているジャンルです。

 その魅力ですが、一つは、スケッチする場所の歴史、かつて生活した人々の風俗に思いを馳せて現代を見つめて描くことです。すると、その場所が昔から連綿と時を刻んで現在までつながっていることが実感でき、なぜか喜びが湧いてくるのです。

 もう一つの魅力は、都市をよく観察してスケッチすると、否が応でも風俗の変遷を感じてしまうところです。

 人のプライベートな部分にかかわる流行、例えば髪型やメイク、服飾や食べるものなど身体や身にまとうもの、嗜好についての流行は、誰もが気になることなので絵を描かなくてもすぐに気づきます。

 一方、周りの景観、例えば、街並みの変化については、意外に気が付く人は少ないのではないでしょうか。建築物の設計デザイン、建材や配色、広告宣伝のロゴ、配色、看板そのものの様式などがその例です。地上げなどで古い街並みが取り壊されると、はじめて普段見慣れていた街並みの建物細部が思い出され、その大切さに気が付くのです。

<黒ベタ看板>街歩きスケッチで気が付いた時代の変化

 10年以上前、仙台に単身赴任し、スケッチしていた時に、ふと「黒ベタ看板」の多さに気が付きました。

 慣れ親しんだ東京、大阪の街並みに比べて、東北新幹線「はやぶさ」の広告や座席などのデザインが黒色好みであること気付き、東北地方が一般的に黒地模様を好むのではないかという仮説をたてました。さらに琉球装束の黒ベタから、アイヌおよび琉球デザインの縄文文化の関連性まで話を広げ、最後には東京、関西の都市でも、黒い看板、黒デザインが進出してきたとの内容を、以下のタイトル名でブログ記事にしました。

 ・美人とは(宇野亜喜良の小村雪岱の黒ベタに対する評を文中に含む)
 ・黒ベタは和の美ではない?(1)
 ・黒ベタは和の美ではない?(2)
 ・黒ベタは和の美ではない?(3)
 ・黒ベタは和の美ではない?(4)

(以上の記事は、末尾にまとめてリンクを貼りました。詳細内容にご興味あればお読みください)

 参考までに、私がこれまで描いた黒ベタは、例えば「神楽坂兵庫横丁・旅館和可菜の黒塀」や「京都木屋町、高瀬川沿いの飲食店の黒壁」などがあります。ここでは後者の絵を示します。

京都木屋町高瀬川沿い風景(彩色)IV(修正)

 さて、その後仙台を離れて、東京、関西諸都市の街歩きスケッチを続けてきたのですが、しばらく黒ベタの看板のことは忘れていました。

 ところが昨年末、画材を買いに新宿三丁目の「世界堂」に向かう時に、新宿三丁目の交差点の周囲を見まわすと、東西南北の通りには、黒ベタの看板の店どころか、黒ベタ壁のビルまであり、どんどん黒い面積が広くなっているではありませんか。

 ふと、もしかすると黒ベタの街への進出のフェーズがさらに進んだのではないかとの思いがよぎりました。

 下の写真をみてください。

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 何と! 明るく健康で余生を過ごすイメージであるはずの「老人ホーム」の看板に「黒」をしっかりと使っているではありませんか。

 昔なら、明るく爽やかなイメージの緑や青系を使うはずです。暖色系でも真っ赤ではなくパステル系を選ぶと思うのです。

 改めて街の様相を調べて驚いた

 冒頭に述べたように、これまで黒ベタを使うのは、飲食店、特に和食、居酒屋、ラーメン店、あるいは逆に欧米高級ブランドが主な分野でした。けれどもわずか新宿三丁目の交差点という一か所で、当てはまらないものがいくつも出てきたのです。ここ10年で何かより大きな潮流の変化が起こったのではないかと感じました。

 そこで、新宿だけでなく、私が立ち寄る場所を中心に「黒ベタ」を調べてみました。具体的には、渋谷、立川、世田谷、府中です。サンプル数が十分かどうか分かりませんが、「大きな変化が起こった」という仮説のもとに街の看板や街並みを眺めると、出てくるは、出てくるは、これまでイメージしていた飲食業の枠をはみ出して、あきらかに多種多様の業種に進出していることが分かりました。

分類すると、以下のようになります。(写真も示します。)

1.飲食業

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 定番のラーメン、和風レストランに加えて、大手コーヒーチェーン店も黒塗り看板になっている(上の写真にはないドトール・コーヒーも)。

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 ワッフルや菓子店なども高級感を出すためか、黒ベタ看板を採用。

2.高級ブランド製品

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 昨年末、トヨタのレクサス店も一斉に黒ベタに。大衆感が強かったHISもVIP向け部門に黒を。もともとの高級ブランドは黒ベタなのは分かりますが、われもわれもという感じで、にわか仕立ての感がしないでもありません。それは、他の業種も同じです(次の項)。

3.その他いろいろの業種

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その他いろいろ

 衣料関係はまだ理解できるとしても、ドラッグストア、靴の量販店に黒ベタが必要かどうか。クリーニングチェーン店までこの流行に乗っているのにはおかしみも湧いてきます。

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 その他いろいろに入れてよいのか分かりませんが、歯科医院の黒ベタ看板を発見しました。

4.建屋、ビル一棟、外装

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 そして、最近強烈な存在感を示すのは、建物すべてを真っ黒に塗る例です。もちろん、和食や飲み屋の店では前からあったかもしれません。けれど大手銀行やスーパーまで黒塗りにする例となると、強烈なインパクトを感じつつ、そこまでする必要があるのかと思ってしまいます。一般民衆向けの建売の戸建て建築やマンションも黒塗りです。スタイリッシュと感じるのでしょうか。

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 建物全体といかないまでも、施設の一部や壁や柱を黒にする例や、昭和30年代、40年代の民家をリノベーションするに際し、以前はベージュだったと思われるモルタル壁を真っ黒に塗り替える例も増えてきました。

5.公共施設標識やビルの案内板

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 何といっても気になるのは、公共の場所、例えば、駅やトイレ、あるいはビル内の案内板までも、黒がスタイリッシュと云わんばかりに黒塗り基調に変わってきたことです。新宿御苑のゴミ箱が一列横並びに真っ黒になっていたのには思わず笑ってしまいました。(上の写真の左上)

 以上、サンプル数は少ないかもしれませんが、言われてみればそうだと思っていただけるのではないでしょうか。この勢いでは、今後街の景観の様相が一変するのではと考えてしまいます。

最後に

 以上の結末では、分類だけして終わりかと言われそうなので、今後の私の街歩きスケッチとの関連でコメントをして終わりにします。

 末尾に示した10年前に書いたブログの中で、黒ベタと縄文文化の関連で述べたように、本来黒ベタは日本の美に深く関連しています。

 実は最近、近年建てられた、高幡不動尊の奥伝の壁が真っ黒だったり、早稲田の穴八幡宮の本殿や大鳥居が真っ黒(共に近年再建されたと思われる)に塗られているのを見つけました。さては現代の流行に乗ったかと思いましたが、よく考えるとお寺や神社が黒塗りなのは、少ないながらも昔からある様式の一つです。

 さらに思い出せば、伊達政宗の霊廟や、大阪城、松本城も真っ黒でした(どこかで、秀吉の城は黒、家康の城は白だと読んだことがあります)。黒地に錦糸の着物も入るかもしれません。都市の景観と言えば、幕末の江戸の街は、愛宕山から撮ったパノラマ写真を見ると瓦屋根の黒(灰色かもしれませんが、黒の海のような印象)で統一されていました。これらを考えると、現代の黒ベタばやりは、一種先祖返りしているとも受け取られます。

 それでは、街歩きスケッチをどうするかです。実は黒はとても扱いにくいのです。一回描くのはよいかもしれませんが、いっそのこと水墨画風にした方が絵として成立しやすいかもしれません。今後、スケッチポイントを決めて、黒ベタの東京の街を描く構想を練りたいと思います。

 余談ですが、20年ほど前からか、日本人(特に女性)の服装が真っ黒になってきました。これも都会のスケッチをする上で頭を悩ましています。彩色しても全員黒なので、どうにも同じ感じになってしまいます。仕方がないので、原色好みの海外からの観光客を中心に、色とりどりの服装を描いています。もっともコロナで海外観光客はいないので最近はそれもできませんが。

 ちなみに、昨年末黒ベタの事例を探していた時、新宿南口からすぐ近くのお店にいるお客の服装がほぼ全員黒なので写真に撮ってみました。(数字はすべて黒の服装のお客です)

 しばらく黒い服の流行は収まりそうにありませんね。

図2


参考:10年前に書いた<黒ベタ>に関するブログ記事


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