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<ポール・ジャクレー展>太田記念美術館:フランス感覚と思いきや江戸浮世絵版画の色? そして歌麿の継承者?

はじめに

 表題の美術展に6月21日(木)と7月12日(水)に訪れました。

 ポール・ジャクレーは、フランス人の「新版画」作家です。この作家の作品をはじめてみたのは、2009年に江戸東京博物館で開催された「よみがえる浮世絵、ーうるわしき大正新版画展」でした。
 その中で、一連の「チャモロ族の女性」(横浜美術館蔵)の作品を目にして、一瞬のうちにそのエキゾチックなテーマだけでなく、日本人の感覚に無い色彩センスと配色に魅せられました。

図1 ポール・ジャクレー 《チャモロの女性》連作シリーズ
出典:「浮世絵検索」より。
図2 ポール・ジャクレー 《チャモロの女性》連作シリーズ
出典:左、「ポール・ジャクレー展」HPより。右、「よみがえる浮世絵展」図録より。

 他の作品を見たいと思っていたのですが、その後ジャクレーの美術展が開かれず、今まで果たせませんでした。
 ところが、一昨年2021年10月に何と軽井沢全作品を展示する美術展が行われるというではありませんか。これは行かねばと思っていたのですが、当時都合がつかず泣く泣く諦めました。

 これまでnoteの記事で繰り返し述べていますが、「線スケッチ」の立場からは「新版画」の作品は見逃せないのです。ですから見逃したショックは大変大きかったのです。

 ようやくその傷も癒えた今年6月初めジャクレー全作品160点あまりを展示する美術展の、太田記念美術館オフィシャルツイートを偶然目にしました。
 予期せぬ喜びとはこのことです。さっそく出かけました。なお、会場の狭さから、全作品を前期(6月)後期(7月)前後に分けての展示です。もちろん前期、後期共に訪れすべての作品を見終わることが出来大満足でした。

 なお、前期の6月21日は開館30分前の午前10時に行ったのですが、何と20人あまりの人が並んでいるではありませんか。「新版画」自体は最近でこそ知られてきたのですが、ポール・ジャクレーはほとんど知られていないはずで少々驚きました。
 あとで知ったのですが、その日は学芸員日野原健司氏によるスライド・トークがあり、その整理券を受け取るために並んでいたのです。トークに参加したのはいうまでもありません。

感想:江戸浮世絵との関連について

 前期、後期併せて観た感想のまとめを下に記します。

(1)全体について

●当然ながら、目にする実物は素晴らしく、印刷にくらべて表面の摺面の質感、色の深みが圧倒的である。
日本画を習っていた直後は、日本の伝統的な構図と色合いの作品だったのが、日本本土以外の人物モチーフを描き出してから画風が劇的に変化する。
●定評通り南洋の人物画魅力あふれているが、個人的には、中国モンゴル朝鮮人物画南洋人物画に劣らず魅力的な絵が多いと感じる。特に朝鮮の人びとの作品は人物に日常生活のストーリーを感じ、味わい深く、ジャクレー朝鮮への愛を感じる。他の新版画作家が描かなかったアイヌの人々を描いているのもジャクレーならではである。
●初期の版元を介した作品を除き、描く人物はいわゆる売れ筋の美人画に限っていない。老若男女、年齢に関わらず市井の人々を描いている。
●人物の描き方は、西欧の人体デッサンをもとにした肉体表現ではない。ジャクレーの活躍した時代は、多くの画家が西洋絵画の基本を学んでいるはずだが、彼の描く筋肉の輪郭人体デッサンの基礎練習の跡が感じられない
線遠近法をまったく使っていない。江戸時代の北斎広重でさえ、線遠近法を取り入れた絵を描いているのに、他の新版画作家と違って、徹底的に日本の伝統的な描き方にこだわっているように見える。陰影についても、他の新版画作家は取り入れているのに、ほとんど使っておらず、使っていても気が付かないくらい程度である。
喜多川歌麿が多用したモチーフ、「透ける物」を多く描いている。肌が透けて見える衣服扇子、帽子などである。喜多川歌麿の作風を意識していると思われる。自身が蝶のコレクターであることから、花と蝶だけの作品があるが、これも歌麿の「画本虫撰(えほんむしえらみ)」の構図の影響を感じる。その他、障子に移るシルエットも、歌麿の絵の影響か。

(2)彩色について

彩色は華やかだが、原色のギラギラ感はまったくない。どちらかと言えばパステル調エレガント、品がある。紫、赤紫の使い方がフランス的と感じさせる。一方意外に地味な彩色の作品も多く、その場合は思いっきり地味だが、それはそれでシックで魅力がある。
背景色は人物を引き立たせており、その色の選択(配色)が「線スケッチ」の彩色に大変役に立つ
南国の植物、葉っぱの色の使い方がうまい。もともとトロピカルな植物はカラフルだが、一種類の植物なのに多色彩色しており必ずしも写実ではない。すなわち絵画的効果を狙っている。
 なおジャクレー蝶のコレクターらしく蝶と草花との組み合わせや花と植物を背景に配しているが、構図(空間構成)の取り方や線描から、北斎の動植物画よりも歌麿の動植物画(画本虫撰など)に近いものを感じる。
黒ベタを随所に入れて効果的に使用している。特に服装黒髪、中国の帽子に顕著である。人物画中心の新版画作家は、女性の黒髪と和服のしか描かないのと対照的。むしろ喜多川歌麿黒ベタ表現の多彩さと類似する。
●今回初めて知ったが、連作「満州宮廷の王女たち」は、200回以上の刷りを繰り返した作品で、あの刷りの回数の多さで有名な吉田博をはるかに上回ることに驚いた。これまでの浮世絵版画で観たことが無いゴージャス感で実物でなければ得られないオーラを感じた。
江戸浮世絵版画との比較をするため、代表的な浮世絵版画と比べてみた。江戸浮世絵版画復刻版褪色していない色彩と比較してみると、ジャクレーの華やかな色彩はフランス的というよりも江戸浮世絵版画の色といえないか。これまでフランス的色彩と考えてきた印象派の色とは浮世絵版画由来という見方もできるのではないか?

 以上、個別の作品を思い出しながら、(1)作品の全体について、(2)彩色について、感想をそれぞれ述べてきたのですが、この記事を書き始める前は、もやもやとして考えがまとまらなかったことが、この感想のまとめを書いているうちに明瞭にになりました。それは次の結論です。

 結論を言えば、ジャクレーを除く他の新版画作家が、江戸浮世絵の伝統よりも西欧絵画の技法を積極的に取り入れたのに対し、ジャクレーは逆に江戸浮世絵の伝統を忠実に継承していこうとしたように見える。中でも、喜多川歌麿の継承者を内心自負していたのではなかったか。また、ジャクレーのフランス的色彩センス、言い換えればフランス印象派絵画以降の明るい色彩は、もとをただせば江戸浮世絵版画由来といえないだろうか。

 作品の例を示して補足説明したほうがよいと思うものを選んで下記に示します。

1)描かれた朝鮮の市井の人々と日常の描写について(図3)

図3 朝鮮の市井の人々と日常生活を描いた作品
出典:太田記念美術館HPおよび「浮世絵検索」

 ジャクレーは、南洋以外に、満州モンゴル朝鮮など日本本土以外の人びとを描いていますが、朝鮮ではなぜか豪奢な服装を着た富裕層は描かず、市井の人々を描いています。しかも他の地域の作品と異なり人物に物語性を感じるのです。(お金を無心する手紙を読む父、彫り終わった仏像を見る仏師、小鳥に餌をやる老人など)
 うろ覚えですが、解説によれば当時朝鮮にジャクレーの身内が住んでいたためによく訪れたそうです。そのような事情が影響しているかもしれません。
 なお、他の新版画作家、例えば川瀬巴水朝鮮の風景を多く描いており、私も好きなのですが、描かれているのは異国情緒のある建築と風景添景人物が中心でジャクレーのような人物画はまったくありません。

2)線遠近法をまったく使っていない例(図4)

図4 線遠近法を使わずに背景の景色の奥行きを描いている例
左から、モンゴルの平原、朝鮮の山々、北海道の大地を背景に描いている。すべて手前から上部へ移動する方法で遠近を表している。
出典:太田記念美術館HPおよび「浮世絵検索」

 西洋の絵と日本の絵の奥行き表現の大きな違いは「線遠近法」を使うか、使わないかであることはよく知られています。明治以降、急速に西洋の「線遠近法」が取り入れられ、木版画もすべて「線遠近法」で描かれるようになりました。「新版画」においても基本は「線遠近法」により描かれ、江戸時代の浮世絵版画との大きな違いとなっています。もちろん江戸後期になると北斎広重もかなり「線遠近法」を取り入れています。とはいえ本当に必然性があるとき以外は使わず、大半は従来の日本の遠近の表現で描いています。
 一方、ジャクレーはかたくなに「線遠近法」は使わず、他の「新版画作家」とは一線を画しています。広重北斎ともその姿勢は異なっており、まるで自分こそ日本の浮世絵版画の正統だと言わんばかりです。
 図4に示したのは、いずれもかなり奥行きのある風景ですが、近いものを下に、奥に従って上に移動する伝統的な遠近の表現で描いている例です。

3)喜多川歌麿のように「透ける物」を好んで描写する傾向がある(図1,2,5,6)

図1 (再掲載)透ける服の例
図2 (再掲載)透ける服の例
図5 透ける物を描いた作品
出典:太田記念美術館HPおよび「浮世絵検索」
図6 喜多川歌麿の透ける物の描写例
出典:すべて「浮世絵検索」

 図1および図2では「透ける服」を、図5では、透けるスカーフ帽子団扇の例を示しました。いずれも、彫師摺師を泣かせるモチーフで、優秀な彫師摺師無くしてはできない作品です。
 図6に、歌麿が好んで描いた「透ける物」の作品例を示します。歌麿は「透ける物」として、「蚊帳」や「漁網」を多く描きましたが、ここに示した小物類も描きました(中には江戸期とは思えないワイングラスの例もあります)。
 ジャクレーの「スカーフ」、「団扇」の絵の構図歌麿の「」、「団扇」の絵の構図が類似していることから、ジャクレー歌麿の「透ける物」に注目しモチーフとして選んだのは間違いないでしょう。

4)色鮮やかな作品だけでなく地味だがシックな色合いの作品もある(図7)

図7ー1 華やかな色合いの作品:左から中国の王女。南洋の女性、南洋の植物、花と蝶
出典:太田美術記念館HPおよび「浮世絵検索」
図7ー2 左から、日本の女性、朝鮮の女性、南洋の女性
出典:「浮世絵検索」

 ジャクレー南洋のシリーズの作品で観られる華やかで異国情緒豊かな作品がよく取り上げられますが、意外にも地味な作品もそれなりに多くあることが分かりました。上に示したように色味が控えめな作品です。
 ただ、モノトーンなりに微妙な諧調をつけたり、グレーの背景を多めに使うことで、シックな感じに仕上がっています。これはこれで実物を前にすると好感を持ちます。

5)トロピカルな植物を効果的に背景に用いている(図8)

図8 背景に花、葉を効果的に用いた例
出典:太田美術記念館HPおよび「浮世絵検索」

 南洋諸島の人びとを描いたものは、どの作品も魅力を感じます。それは単純に近代文明にはないエキゾチックな雰囲気が理由かもしれませんが、配色としては、人物の茶色の肌に対して意識的に反対色の青、あるいは同系色の黄色や赤を背景色として用いていることが魅力をさらに増していると思います。それらの反対色、同系色以外にグレーをかなり頻繁に使っており、その場合は絵全体の色味が落ち着いて私自身は一番好きです。

 さて、以上の背景色に、さらに花や葉を人物の背後に加えた作品を多く制作しています(図8

 花や葉のはおそらく写実に基づいたものだと思いますが、特に葉の場合は、一つの枝に付いた葉に対し異なる色を使うという現実にはないケースもあり、必ずしも忠実に植物の色を再現しているわけではないことが分かります。

 以上から、ジャクレーは自分がよしとする絵造りのために全体の配色を決めている様子が見て取れます。

 なお、図7-1の蝶と植物の絵とあわせて、上述の背景にも植物を描いていますが、動植物画の木版画と言えば葛飾北斎喜多川歌麿がまず頭に浮かびます。もしジャクレー浮世絵版画を参考にするとしたら両者の絵を見たはずです。
 下図にそれぞれ喜多川歌麿葛飾北斎動植物画を示します(図9、10
 北斎の絵の場合、余白部分に比べて動植物を目の前に迫るように大きく描き、線描や彩色も強めで迫力満点であるのに対し、歌麿は余白も多めに取り、線描も優美、彩色、配色は上品で、私はジャクレーの絵と両者と比較すると、どちらかと言えば歌麿の絵と共通点があると感じ、参考にしたのではないかと推測します。

図9 喜多川歌麿の動植物画
出典:wikimedia commons, public domain
図10 葛飾北斎の動植物画
出典:左上:「牡丹に胡蝶」すみだ北斎美術「北斎花らんまん展」HPより。
それ以外全て:wikimedia commons, public domain

6)多彩な黒ベタ塗りの表現は他の新版画作家にはない独自性がある。むしろ江戸浮世絵版画、中でも喜多川歌麿に倣ったか(図11)

図11 黒ベタ塗りの例
出典:出典:太田美術記念館HPおよび「浮世絵検索」

 新版画作家の中で、人物画を多く描いているのは、主に伊藤深水名取春仙山村耕花小早川清です。彼らの作品を調べると、全員黒ベタ表現が認められますが、描く人物は、日本髪和服の女性、あるいは歌舞伎役者で、黒ベタの部分はすべて黒髪と和服の組み合わせに限定されます(例外として、小早川清に、黒い手鏡を持つ女性の作品があります)。

 ところが、ジャクレーは、先に挙げた人物画を描く新版画作家と違い、老若男女、人種、身分も限らず、それらに対して実に多彩な黒ベタ表現を試みています(図11)。

 一方新版画と違い、江戸浮世絵版画では、黒髪黒の和服の組み合わせはもちろん、それ以外の多彩な黒ベタ表現が当たり前のように描かれています。
 すべての浮世絵版画を調べる時間が無いので、下記に喜多川歌麿の作品例を示します(図12、13、14

図12 喜多川歌麿の黒ベタ表現(黒髪と和服の組み合わせ)
出典:「浮世絵検索」
図13 喜多川歌麿の黒ベタ表現(黒髪と和服以外の黒との組み合わせ)
出典:「浮世絵検索」
図14 喜多川歌麿の黒ベタ表現(黒髪と鏡、他との組み合わせ)
出典:「浮世絵検索」
  •  いかがでしょうか? 今回喜多川歌麿全人物画を調べてみて、実に多様な黒ベタ表現をしていることに驚きました。一般に浮世絵版画では、女性の黒髪着物の黒地が主な黒ベタ塗りであり、歌麿も当然描いています(図12)。しかしそれ以外の黒ベタ塗りが数多く描かれているのです(図13、14)。

 実はこの段階で私は「ジャクレーは歌麿の黒ベタ表現を参考にした」と言いたいのですが、すべての浮世絵版画を調べていないので「おそらく歌麿の黒ベタ表現を参考にした」という表現にとどめます。他の可能性があるとすれば、漆黒の闇夜のベタ塗りで有名な鈴木晴信ですが、今後、よく調べてみたいと思います。

 ただ、先述した「3)喜多川歌麿のように「透ける物」を好んで描写する傾向がある(図1,2,5,6)」の項で述べた様に、歌麿が好んだ「透ける物」をジャクレーが参考にしているのはほぼ間違いないと思います。ですから黒ベタ塗りについても同じように歌麿を参考にしておかしくはないと私は思うのです。

 なお、ジャクレー歌麿を参考にしている傍証として付け加えますが、私にはジャクレー人魚の絵構図が、喜多川歌麿海女の浮世版画構図、具体的には海の中の岩の位置足(尾)の先を海水に透けて入れている点などに似ているように思えてならないのですがいかがでしょうか(図15

図15 ジャクレーの「人魚」(左)と歌麿の「海女」(右)の絵の対比
出典:左、太田記念美術館・展覧会HP
右、浮世絵検索

7)私が当初魅せられたジャクレーの「フランス的色彩センス」は、はたしてフランス的と言えるのか?(図16、17 、18)

 この記事の冒頭で、なぜジャクレーに魅せられたのか、それは彼の絵の「フランス的色彩センス」に魅せられたからだという理由を述べました。
 もともと私は「線スケッチ」の師匠、永沢まこと氏カラフルで明るい透明水彩の絵に憧れて「線スケッチ」をやり始めたのですから、ジャクレーの彩色にもすぐに魅せられたわけです。

 ジャクレーの絵を知る前は、かつて多くの日本の漫画家が影響を受けたジャン・ジロー(メビウス)漫画・イラストを見た時に、「あっ、これこそフランス的色彩だ!」と思いました(図16)。

図16 ジャン・ジロー(メビウス)のPC壁紙用フリー画像

 示したのは、PC壁紙用フリー画像なので彼の代表的な作品ではありません。しかし彩色は私がフランス的だと感じた色彩感覚を十分示していると思います。

 これを見て、なぜ私がジャクレーの絵と同じものを感じたかお分かりになると思います。「ピンク、赤紫、紫、黄色、オレンジ、茶色、ターコイズブルー、青緑、緑」の各色の選び方と色自身も日本人の感覚とは違うパステル調でかつ明るく澄んだ色です。そしてそれら配色も共通しているのです。私はこのような彩色例はかつての日本の画家、イラストレータ、漫画家ではほとんど見たことがありません(現代は除く)。

 さて、この記事を書くまでは、フランス人に共通の「フランス的色彩感覚」が存在することを疑いもしませんでした。実際フランスには、パステル調でおしゃれな色彩センスがあると日本では一般に考えられていると思うのです。通俗的な例ではマリー・ローランサンの絵などは世間でフランス的だ言われているように思います。

 しかし、ジャクレーの絵の感想を書き進めていく中で、根本的な疑問が芽生え始めました。「はたしてフランス的色彩感覚は存在するのか」と。

 書店には様々な「配色に関する専門書」が並んでいますから、この疑問に対してはすでに答えがあるのかもしれません。
 現時点ではそれを無視して私の疑問とそれに対する考え方を以下に述べていきます。

 上述の「感想」の中で、ジャクレー他の新版画作家とは違い、西欧絵画よりも、江戸浮世絵版画の伝統を忠実に守っている、そして喜多川歌麿浮世絵版画を参考にしている可能性が高いことを指摘しました。

 この江戸期浮世絵版画、特に喜多川歌麿の版画を調べている時に、あることに気が付いたのです。
 私が利用しているデータベース「浮世絵検索」の画像にときどき、近現代に復刻された作品が出てくるのです。それらの褪色していない作品群の色を見て思いました。

何ておしゃれな色彩だろう。強い原色ではなくパステル調で、カラフルで明るく澄んでいる色彩と配色!

 これは、どこかで見た文章と同じですね。そうです、ジャクレーの絵を見て私が感じたものと同じ内容です。

 実際に喜多川歌麿復刻版を見てみましょう(図17)。

図17 明治以降1970年代までに復刻された喜多川歌麿の浮世絵版画
出典:全て「浮世絵検索」

 褪色していない浮世絵版画を見る機会は多くないので、あらためてその明るさと心地が良い配色に驚きます。

 ただこれらの復刻年代明治以降1970年代の近現代ですから色の好みは歌麿が望んだものとは違っている可能性があります。
 しかし、褪色としているとはいえ極めて保存状態がよい作品を持つ海外の美術館、例えばボストン美術館シカゴ美術館大英博物館所蔵の歌麿の浮世絵版画を見ると、同じ感じを受けるので、当たらずとも遠からずではないかと思うのです。

 参考までに、シカゴ美術館所蔵の歌麿浮世絵版画の例を示します(図18

図18 シカゴ美術館所蔵の喜多川歌麿の浮世絵版画
出典:「浮世絵検索」

 ですから、褪色する前浮世絵版画は、もし当時にタイムスリップしたなら今よりもっとビビッドな色合いをもつ華やかな絵だったと想像します。
 ジャクレーの版画は、まさにその点でも江戸浮世絵の世界を忠実に継承しているのではないかと思うのです。

 一方「いったいフランス的なおしゃれで明るい色彩感覚とはどこから来たのだ」という問題がまだ残っています。

 あらためて西欧美術の歴史を見てみましょう。私は印象派の画家達が日本の浮世絵の色彩の明るさに驚き、その後色彩分割筆触分割点描画法科学的な描法に進んでいった経緯を思い出します。

 彼らが日本の浮世絵版画明るさに驚いたというのは、私がジャクレーの絵の華やかさ明るさに驚いたときの感情と同じではなかったのか、いや明るい絵に慣れている現代の私よりは、暗い絵しか知らなかった当時の印象派の画家達の衝撃はいかかばかりだったでしょうか。

 ジャクレーの「フランス的色彩感覚」についての議論が長くなってしまいました。詳しくはどこかの機会で述べることにして、現時点での私の結論を述べます。

 この展覧会を見るまで私が思い込んでいた「フランス的色彩感覚」は、実は日本の浮世絵版画の明るさに触発された印象派の画家達が発展、その後西欧社会に広まった色彩感覚である。フランス的というよりも、正確にはパリに集まり印象派の運動に飛び込みあるいは影響を受けた様々な国籍、人種の画家達を含むので、「フランス印象派的色彩感覚」とする方が実態を表している。

 印象派の画家達としては、モネを筆頭とする印象派の画家達後期印象派アール・ヌーヴォースラブ系画家アルフォンス・ミュシャも同様な色彩感覚を持ちます。

 それでは、言ってみれば印象派の明るさの元であった浮世絵版画の明るさに気が付かず、なぜ私はフランス的色彩感覚に憧れを持ってしまったのでしょうか。

 一つの理由は、私の受けた教育では、日本の絵は明るく華やかだという教えは無かったように思うことです。経年のため古くなった美術品しか例示がありませんし、美術館では照明も暗く、本来手元で観る浮世絵版画も暗い印象しかありません。また、明治以降の高尚な芸術論ではなぜかわび・さびに繋がる系譜が強調されて、浮世絵版画は、庶民が慰みに買う商業美術的な位置づけだったことも理由にあるかもしれません。

 ですから、本来明るく華やかな美術であった日本の絵画の側面が、すくなくとも私の受けた教育では強調されなかったと言えます。

 その反動なのか、最近では日本絵画の見直しが進み、人気が出てきたように感じるのはうれしいことです。

最後に

 以上感想を述べてきましたが、ここで、冒頭に述べた感想の結論を再度掲載してこの記事を終わります。

 結論を言えば、ジャクレーを除く他の新版画作家が、江戸浮世絵の伝統よりも西欧絵画の技法を積極的に取り入れたのに対し、ジャクレーは逆に江戸浮世絵の伝統を忠実に継承していこうとしたように見える。中でも、喜多川歌麿の継承者を内心自負していたのではなかったか。また、ジャクレーのフランス的色彩センス、言い換えればフランス印象派絵画以降の明るい色彩は、もとをただせば江戸浮世絵版画由来といえないだろうか。

 仮説だらけの結論ですが、今後補強できる材料があれば、追加投稿していきたいと思います。

(おしまい)

 前回の記事は下記をご覧ください。


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