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365*「自由に生きる」ということ

私はミュージカルが大好きです。

その中でも特に好きなのが、『エリザベート』という作品。日本では宝塚歌劇団で一路真輝さんの退団公演として上演されてから、20年以上も再演され続けている大人気の作品です。

私が劇場で生で観たのは一度だけですが、映像では何度も見ていて、宝塚版も東宝版もDVDを買ったくらい好きな作品です。色々なキャストのを観てきましたが、その時々で違った魅力があるので、何度観ても飽きません。

なぜ、そこまで好きなのか。私が始めて映像で観た2014年の宝塚版の配信を観て、ふと考えていていました。

もちろん、ミュージカルの一番の魅力は音楽なので、どの曲も名曲ばかりで引き込まれます。歌詞もほぼ覚えています。

作品全体としては、オーストリア帝国最後の皇后と言われるエリザベートを題材に描かれていて、完全なハッピーエンドというわけでもなく、悲劇的な作品ですが、なぜか観終わった後に生きるエネルギーをもらえる気がします。

舞台をつくる一人ひとりが、その役を活き活きと演じているからかもしれません。特に主人公のエリザベートは、「自由に生きる」という希望を糧に、自分らしく生きる道を探し続ける女性として描かれていて、劇中歌「私だけに」の歌い終わりの日本語歌詞にも「私が命ゆだねる それは私だけに」と力強く歌い切ります。

原曲のドイツ語のタイトル「Ich gehör nur mir」も、「私は私だけのもの」という意味。誰の物でもない。私は私らしく生きる。そんな力強さにも魅了されます。

しかし、現実はそう甘くはなく、エリザベートの願いとは裏腹に、皇后としての義務や責任に押しつぶされそうになる日々。姑との対立、夫とのすれ違い、政治的な駆け引き、そして子供を奪われる。

自由を求めるほど、自由を奪われ縛られていく。自分らしく生きようとするほど、自分らしさを見失う。大切なものを守ろうとするほど、大切なものを失っていく。誰かと解り合おうとするほど、すれ違いは深くなっていく。

そんなエリザベートの孤独にも共感する部分がありました。

現代でも、「自由に生きる」とは結構難しいことだと思います。そもそも「自由」とは何か。人を傷つけてまで自分の意見を押し通そうとするのは、果たして「自由」と呼べるのだろうか。

宝塚に限らずエンタメ業界では色々と否定的な意見も飛び交っていますが、問題があると鬼の首を取ったかのように攻撃するような人もいるので悲しくなります。

感動をもらい、生きる活力をもらった人もいる。これからも多くの人に感動を与え続けてほしい。

話がそれましたが、『エリザベート』の余韻に浸りながら、「自由に生きる」という意味を考えてみました。

お付き合いくださり、ありがとうございます。

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