見出し画像

「車酔い」についてぼやく

北見市で行われる研修会の行き帰りのバスの中は、久々に読書し放題時間だったので、前から気になってた「つんどく」状態の本を読む。國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」は、人間が感じる暇や退屈の感覚と、システマチックな社会で、消費の奴隷になり得る人間の姿を考察した、とてもスリリングな名著だった。

バスで本を読んでいると、たまたま後ろに座った知人から「よく、こんなに揺れるバスで本を読んで、車酔いしないですね」と半笑いされる。そう言われて気がついたのだけれど、そう言えば、ぼくは車酔いというものを知らない。

正確にいうと、一度だけ車酔いしたことがある。

あれは小学生の高学年だったと思う。父の車で、自分が住む小樽市から札幌市に出かけたときのこと。当時、父と母は離婚しており、「近くに来たからご飯を食べよう」と父から連絡が来て、弟と父の車に乗った時のことである。

数年振りに会う父は、なんだか少し他人感が増していた。その原因の一つは車だったと思う。父はずっと普通常用のスポーツタイプに乗っていた。車好きだった記憶がある。その父の車が、焼玉エンジンのランクルに変わっていた。まぁ、これはこれで、マニアが好きな車である。

やたらとエンジン音が大きい車で、困ったことに後ろにちゃんとしたシートがない。後部の荷台のようなところに、2席跳ね上げ式の狭い横ノリ席があり、転げ落ちそうになりながら、その席に弟としがみついていた。車の乗り心地が悪くて、なにを食べたかも覚えていない。

弟は小樽から札幌へ向かう道すがら、すでに車酔いになっていた。紙袋に「おえーっ」と嘔吐しようとしていたが、なかなか吐けない。「ここは僕がしっかりしなくちゃ」と小学生ながら思ったわけで、ぼくは弟の背中をさすり続けた。その日、父と弟との記憶の大半は、そのことだった。

札幌でご飯を食べて、母の待つ自宅に戻る車中、弟の車酔いは多少和らいでいた。弟は父が大好きだっとから、父と会うのが嬉しそうだった。ぼくは、身勝手な振る舞いで僕ら兄弟と母を捨てた父が許せなくて、その日はあまり口を開かなかったという記憶。

慣れない車にゆられ、弟の背中を摩離続けていたせいか、帰りの車の中でぼくはうたた寝をしてきまった。夢の中でぼくは父に向かって、一生懸命不満をぶつけていた。しかし、実際の小学生のぼくは、現実では父に文句をいう勇気なんてなかった。夢の中だけの抵抗だ。

ハッと気がつくと、まだ、車の中。父と弟はなんだか楽しそうに話をしていた。「いい気なもんだぜ」と小学生ながら心で悪態をついた。その瞬間、喉まで込み上げてくるナニかが。最初は、喉の奥にナニかを詰まらせたと思った。しかし、咳払いをしても全く喉の通りが良くならない。

その時、気がついた。「あ、これ、車酔い?」

薄っすら吐き気が襲ってきている。これが弟や妹がいつも悩まされている車酔いらしいと気がついた。「父さん、ちょっと車止めて!」と訴え、外で嗚咽。しかし、なかなか吐き気は治らない。困っていると、父が背中を摩ってくれた。父は「すぐに楽になるから」と笑っていた。

あの日の出来事は不思議と今でも鮮明に覚えている。現在、その父は80歳近くなり、ぼくも2人の子持ちになった。あれから、ぼくは一度も車酔いをしたことがない。どんなに揺れる車に乗って、本読んでも具合が悪くなったことはない。あの時の自分が、ほんとうに車酔いにやられたのかどうか、今となっては検証することもできない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?