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祖母の毒

大好きな祖母がいた。

と言っても、父方の祖母だったので、小学校からは疎遠だった。ぼくの父と母は、ぼくが子どもの頃に離婚している。どうやら、嫁姑問題があったらしく(詳しくはしらない)、母がなんとなく辛そうだったので、大好きだった祖母にも自然と会わなくなった。

一昨年の一月に100歳で亡くなってしまったんだけれど、不思議なことに、最後に言葉を交わしたのはぼくだったらしい。祖母は長く病院で寝たきりになっていたし、とてもボケていたので、他の人はあまりお見舞いに来ていなかったのだろう。

「たけしだよ」というと、「そうかい。たぶん、あんたが孫だということはわかるけど、誰だかわからないんだよ」と答えてくれた。そして、必ず付け加える「わたし、ボケちゃってるから思い出せないの。ごめんね」。

祖母と疎遠になっていたが、ぼくに子どもが生まれた20年ほど前から、ちょくちょく病室 を見舞うようになった。祖母は、ぼくの息子を、ぼくかぼくの父と勘違いしていたが、別に正しいことを伝える必要が見つからず、勘違いされるままにしておいた。

祖母とぼくの共通点は、本をたくさん読むことだった。祖母は「たけしは、わたしと同じで本をよく読むね。」と嬉しそうだった。たぶん、ぼくが子どもの頃、本ばかり読んでいたのは、祖母を喜ばせたかったという理由も20%くらいあったと思う。

「わたしが小さい頃は、女が本を読んでると怒られたの。だから、押し入れなんかに隠れて読んでたの」と、祖母は少し悪い顔をして、僕に話してくれた。たぶん、ぼくが小学生の頃だ。祖母は、タバコを吸って怒られる高校生や、ゲームばかりやっていて呆れられる小学生のほうな顔をしていた。たぶん、祖母の子どもの頃、読書は「やっては行けないこと」=毒だったのかもしれない。少なくとも祖母の家ではそうだったのだろう。

だから、祖母は、ぼくが共犯者みたいで嬉しかったのだと思う。

祖母から学んだことは、その時代に「毒」とされるものが、いつの時代でも「毒」であるとは限らないということだ。「ゲームばかりするのは悪いことだ」と、子どもたちに言ってしまうのだけれど、時々そんた自分を顧みる。その毒は、もしかすると、50年後に「薬」と認知されるかもしれない。

そんなことを考えていたら、黄砂が降ってきた。どこからか飛ばされてきた毒に降られながら、ぼくは家の周りを散歩してみた。

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